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SMアイドル「フェッティーズ」がオウム三女アーチャリー・松本麗華「止まった時計」を読んでみた

メディアゴン / 2015年3月29日 1時8分

SMアイドル「フェッティーズ」がオウム三女アーチャリー・松本麗華「止まった時計」を読んでみた

フェッティーズ[SMアイドル]

* * *

オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年が経ち、元教団代表・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の三女、松本麗華さんが実名・顔出しで手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(講談社)を3月20日に上梓した。

同書は、事件当時11歳だったアーチャリーが、父の逮捕後、唯一の「正大師」としての様々な問題に巻き込まれ、その後教団から離れ、文教大学に入学し、現実も心理カウンセラーの勉強を続けている松本麗華さんが、事件と向き合い切れない父との「縁」について語る内容だ。

「止まった時間」を読むと、松本麗華さんが目の当たりにした数々の苦難を知ることができる。もちろん、当時はまだ幼かったとはいえ、成長した今日、事件を正当化したり肯定的な面を見つけ出そうとはすべきではないだろう。しかしながら同書を読むと、当時のあの残虐な事件の記憶だけで、彼女を批判する事は出来ないような気もしてくる。

オウムの中で16年、社会に出て15年。その経験から、松本麗華さんは、オウムと社会について同書で次のように語っている。

 「オウムと社会を経験した結果はどうだったかと問われれば、大差はなかったというのが、正直な感想です。社会はシステムが整備されている分だけオウムよりはいい、というところでしょうか。いえ、オウムにも多様性を認められたという良い点がありました。やはり総合的にみて大差ないというのが結論です。どちらにも100人いれば100通りの考えがあり、100通りの価値観がありました。オウムで『教義でこれが正しい『という主張があるように、社会では『これが一般常識』というものがある」

オウム真理教の残虐な事件は、小さな閉鎖されたコミュニティのイデオロギーが起こした事件だ。しかし、それは「社会とはひとつではない」ということをも露わにしたように思う。

世界は様々な側面を持っていて、幾つもの小さな社会が重なり合って出来ている。決してオウム事件は肯定できないが、それでも「これが一般常識だ」という先入観から、それ以外のものが批判されたり、新しく生み出されるものが疎外の対象となる危機は、いつも、誰の身近でも存在するように思う。

例えば自分たち自身がそんな危機にある当事者の一人なのかもしれない。

私たちは、「フェッティーズ」という名前で活動しているアイドルグループである。しかし、普通のアイドルと少し(大分?)違う点は、「変態」「SM」「フェチ」などといった性的マイノリティである事を肩書きとして用いてる点だ。

常にマイノリティ側にあると自覚している私たちは、「一般常識」という先入観から疎外されがちである。それでも「SMアイドル」「変態アイドル」という肩書きで活動をしている理由は、自分たちが愛してやまないSMの世界や変態・異端とされる嗜好をもっと広く知ってもらいたい。何よりも価値観は多様に存在していることを知ってもらいたいという思いからだ。

その一環として、私たちフェッティーズは「フェティッシュサロン」というイベントを開催している。月に一度、『フェチな世界をもっと身近に』をテーマに、メンバーを含めボンテージ姿の妖艶な美女達が、一般(?)の人たちでも楽しめ、気軽にSMやフェチの世界に触れることができるエンターテイメント性を重視したイベントである。フェッティーズのライブに加え、SMショー、レズショー、ビザールショーが楽しめる。(※今月は3月30日19時より「六本木ビザール」にて開催)

しかしながら、こうしたコンセプトのイベントを開催していて感じることは、残念ながらSMやフェチの世界を受け入れる土壌はまだ社会にはないのではないか、ということだ。民主党・菊田真紀子衆議員がSMのことを「口にするのも汚らわしいところ」と表現した問題があったが、少なくとも「SMは汚らわしい」という認識を持つ人は現実に存在している。

SM愛好者や異端とされる性的嗜好を持つ人の中には、「一般常識」から疎外され、本来の自分の嗜好性を発揮できずに悩んでいる人は少なくない。もちろん、自分の趣味を隠している人は、「フェティッシュサロン」の来場者にも多いかもしれない。政治家でさえ、国会内の答弁で公然と「SMは汚らわしい」と公言するのだから、隠すのも無理はない。

私たちが「変態」「SM」「フェチ」などを肩書きに「アイドル」として活動している背景には、セクシャルマイノリティと一般社会を結ぶ架け橋でありたいと考えているからでもある。

「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を読んで、社会の多様性や常識からの疎外について、自分たち自身を重ね合わせつつ、改めて考えさせられた。(文責:フェッティーズ・プロデユーサー neko)

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