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<ビブリオバトル(書評合戦)って何?>WEB時代だからこそ問いたいインターネット記事の「質」

メディアゴン / 2015年3月31日 1時42分

齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

* * *

以前から参加してみたいと思っていたビブリオバトル(「書評合戦」とでもいうのか)に参加してみた。

今回参加したビブリオバトルは、バトラーと呼ばれる参加者の前で、5分間の持ち時間で書評を発表する役割の人(投票者と発表者が分かれる場合はバトラーと呼ばれるらしい)は中学生と決められており、筆者はどのバトラーのすすめる本を読みたいかに投票する観客兼投票者という役どころ。

もちろんバトラーの中学生も投票権を持っている、ただし自分の本以外に投票のこと、というルールである。

ビブリオバトルには、全員がバトラーでかつ投票者という数人規模のものもあって、参加者数でやり方を変えられるようだ。今回、投票者として参加してみて非常に興味深かったのは、どういう本がチャンプ本(もっとも読みたがる人が多かった本をこういうらしい)になるのかとか、受けやすいやり方があるのか、という素朴な疑問になんとなく回答が得られたからだ。

予想のつくことなのだが、チャンプ本に選ばれるにはいくつかの条件がある。まず第1にバトラーの発表の仕方がうまいこと。

2つ目はバトラーの思い入れや押し、本への愛情が参加者の心の琴線に触れること。

3つ目は、当然といえば当然だが本そのものの魅力があること。全部をカバーしていれば、人の心に届きチャンプ本に選ばれる確率が高くなる。

投票者はたいがいは本好きの人たちである。年齢層も男女の別も様々ではあるがこの手の催しに参加するからには、日ごろから多少とも本を読む習慣があると考えられる。図書館や書店での開催も多い。

とはいえ、もちろん読書好きでない人でも参加できるし、公式ホームページによれば、

 「ビブリオバトルとは人を通して本を知る、本を通して人を知る、コミュニケーションゲームの一種」

であるらしい。いわく、

 「自分の好きな本というだけでは共感を得にくい」とか、「他人の評価を知ることで自分の物の見方が一面的であることに気づく」

などの効能もあるそうだ。(公式HP:http://www.bibliobattle.jp/)

今回参加したビブリオバトルでも、いかにも中学生が好きそうなライトノベルを取り上げたバトラーがいたが、そのラノベが当人にはとても面白かったことはわかるのだが、会場の投票者の心を揺さぶるには、やや力が足りなかった。

その本がラノベだからというわけではなく、人を説得するには、やはりその本の面白さを他人に伝えるためのひと工夫、切り口なり何なりが必要になるということだろう。

一方で他のバトラーは安倍公房を取り上げていて、今どきの中学生が安倍公房? とそのギャップが面白く、また中学生がこんなに面白く読んで人に薦めるのだから「難しそう」というのは先入観だったのか?

興味はそそられるし、また別のバトラーは、科学を突飛なたとえ話で解説する本を紹介し、これは本の内容をかいつまんで読み上げるだけで、その本自体の発想の秀逸さが一発で伝わり、科学嫌いの人も思わず惹きつけられる結果になった。

要するに、その本の魅力をいかに上手に効果的にわかりやすい角度で解説するか、相手を説得するかという、これは知的なゲームなのだ。時には投票者の全く関心の持てない、あるいは昔から苦手とするジャンルの本だってあるはずなのだが、そういう人にまで思わず読んでみたいと感じさせることこそ、ビブリオバトルの醍醐味、チャレンジだと思えてくる。

翻って考えれば、ウェブ上にあふれる記事や意見の数々にも、同様のことがいえるかもしれない。恐ろしいほど量の意見や情報が飛び交うウェブでも、読まれやすい言説というものにも一定の法則性がある。

一つは人通りの多い場所に掲出されること。これは当然だろう。どんなによい意見でも、知られなければそれまでだ。次に大事なのはタイムリーさだろうか。今それを知りたい、という人が多い時にそのことの詳細を解説したりわかりやすくまとめる記事は読まれやすい。

またあるトピックスについて、そのジャンルを深く知る専門家がきちんと過不足なく解説する記事もよい記事だろう。芸能やスポーツ、大きな事件なども耳目を集めやすい。

また、自分の実体験からあれこれを考察する記事も、客観性を担保すれば一定の説得力がある。全体に言えることだが、短いタイトルが記事の本質をとらえていて適確で、できればキャッチ―なことも、あまたある記事から目にとめてもらい選んでもらうには必須だろう。

とはいえ、単なる感想やちょっとしたハウツーに留まる記事は、検証(裏を取る)や論理構成、校正(文字だけでなく事実関係を含む)などの「書く」ことの基本的な訓練やチェックを受けたしっかりした記事にはどこかで負けてしまう。

感想や好き嫌いだけでは多くの人の支持を継続して受けることは難しく、やはりある種の見識・基準がしっかりとあって、なおかつ適確でわかりやすく、相手を想定して、その人に上手に伝えるために努力を惜しまない記事を書く人は読まれやすいということだろう。

もちろん、対象に対するあふれんばかりの愛情や好きという感情が、あらゆるものを押しのけ突き抜けることもごくまれにはあって、そういう迫力もまた文章の個性になったり捨てがたい魅力になったりするのだが。

自戒も込めて、もう一度自分の書くものを振り返ってみる。

本当に伝えたいと思う内容を、手間を惜しまずに、読む人の顔を思い浮かべて不親切にならないように客観性を担保して書いているかと。あふれるほどの情報の流れの中でも、焦らず書き流さず、きちんと自分の基準でチェックをしてから出稿しているのかと。

ビブリオバトル同様、きちんとした読み手(受け手)の反応は一番のモニターとなる。

次はぜひ、ビブリオバトルにはバトラーで参加してみるか、と思った。ウェブ上ではPVというもの言わぬカウンターの向こうが見えずらい。知らぬ間に書くものが独りよがりになりがちでもあろう。

まずは、顔の見えるリアルな場所で、自分の言説が通じるものか確かめてみるのも悪くないかもしれない。

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