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<「ひな壇」に出るのを辞めてから学んだこと>違った動きをする時は必ず痛みを伴うけど、それらは時間が解決してくれる。

メディアゴン / 2015年5月25日 7時0分

<「ひな壇」に出るのを辞めてから学んだこと>違った動きをする時は必ず痛みを伴うけど、それらは時間が解決してくれる。

西野亮廣[芸人(キングコング)]

* * *

『はねるのトびら』(2001〜2012・フジテレビ)がゴールデンに進出して、視聴率も毎週20%を取っていた25歳の頃。

おそらく瞬間最大風速が吹いていたのに、僕は特別な存在になれていなくて、その瞬間に30代、40代の自分の姿が想像できてしまって、その想像の確認作業で生きるのは嫌だなぁと思ってしまった。

どのみち、そこで輝く才能もなかったし、会社と相方に相談をして『ひな壇』に出るのを辞めました。僕なんて下駄を脱がされたら、間違いなく、いずれ出られなくなると思ったので。

一部の先輩方やスタッフさん、そして世間の皆様からは、

「この時代に『ひな壇』に出ないなんてバカじゃないの?そんなことをしたら芸人として食っていけなくなるよ」

「何、奇をてらってるの?お前はイタイな」

・・・と散々お叱りを受けましたが、

「ここを切ったら、どうなるの?」

「皆、無理って言うけど、ホントかな?」

という興味が勝ってしまい、それから模索と工夫と発見と失敗の日々が始まりました。

タモリさんから「絵を描いてみろ」と言われたのも、ちょうどその時期。『ひな壇』の他にも、いろいろ辞めちゃって特にやることもなかった頃です。だから、絵なんて習ったことがありませんし、描き方なんて分かりませんでしたが、絵を描いてみることにしました。

そこでもやはり「なんで芸人が絵なんて描いてるの?」と皆様からお叱りを受けたのですが、それがたとえ前向きな変化であっても、違った動きをする時は必ず痛みを伴うこと、そして、それらは時間が解決してくれることも少しずつ覚えていきました。

ニューヨークで開催した2013年の個展や今年4月の独演会(単独のトークライブ)、そして、この夏に東京・青山で開催する過去最大規模の個展や日比谷公会堂という2000人規模の会場でおこなう独演会も、25歳の頃に急ハンドルを切らなければ実現できていなかったと思います。

まだまだ大きなことはやれていませんが、ただ、味方が少なかったあの頃に隣にいてくださった先輩方やスタッフさんや友人、そして、あの頃は悔しくてしょうがなかったですが、それでも「なにくそ!」と奮い立たせてくれた外野の声に、今、とても感謝しています。

僕は今、『ウィシム(wesym.com)』というクラウドファンディング(インターネット上で企画をプレゼンし、資金を募るシステム)のサイトで、チームで絵本を作る準備をしています。

「そもそも、どうして絵本は一人で作ることになっているんだろう?」

「バラエティーや映画やドラマや漫画やライブのように、専門分野の方々が、それぞれの才能を持ち寄って“分業制”で一冊の絵本を作ったらどうなるのかな?」

という興味から始まったこの企画。ここでもやはり、模索と工夫と発見と失敗の連続です。
誰も知らないやり方で、誰も見たことがない明るいモノを生みたいです。

クラウドファンディングのスタートは6月からですが、すでにサイトは立ち上がっていて、現在、チームで作る絵本の制作過程を公開しています。是非、『ウィシム』で検索して、覗いてみてください。

いつもガチャチャうるさくてすみません。

そして、いつもありがとうございます。



(西野亮廣)

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