現代美術のオリンピック「ベネチア・ビエンナーレ」で考える日本のキュレーター(学芸員)の働き方
メディアゴン / 2015年5月26日 6時30分
齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]
* * *
2015年は奇数年度に開催されるベネチア・ビエンナーレの開催年。今回はいつもより1か月早い5月に始まった。
周知のように、この展覧会は、イタリアのヴェネツィアで1895年から開催されている現代美術の国際美術展覧会。一番の特徴としては国が出展単位となっており、国同士が威信をかける、というところだろうか。美術のオリンピックとも言われるゆえんである。
今回の日本館の作家は塩田千春。記憶や過去をテーマに、スケール感があるインスタレーションを作りだす作家である。現地の様子をドイツのテレビ局ZDFの番組(ネット上でアーカイブとして公開されている)で見ることができる。
映像だけで見ても、塩田氏の作品の傾向を知る人なら、それとすぐにわかるインスタレーションだ。会場の日本館の壁や天井に赤い糸をはりめぐらし、2艘の古い木製の小さな舟が置かれ、その蜘蛛の巣のような赤い糸に、たくさんの様々な形の鍵がつりさげられている。
ドイツ語に堪能な人にナレーションの内容詳細を聞いたところ、塩田氏が1980年代にドイツにきて現代美術を学び、現在も在住であるなどの経歴も含めて過去の欧州での展覧会の作品も紹介されているそうだ。そしてビエンナーレだけに、アーティストには政治的なメッセージが必要なのかという投げかけからはじまっている、という。
ベネチア・ビエンナーレは国別の代表選の様相が強いことから、政治的なメッセージを持つ作品も多いようだが(今年の金獅子賞=最優秀賞は報道の通り、100年前のアルメニア人の虐殺をテーマにしたアルメニア館が受賞)、塩田氏の作品にはそういったメッセージ性は感じられない。
彼女の作品は、もっと普遍的でシンプルな何かを感じさせる。その最大の強みは、人の過去の記憶という根源的なものを呼び覚ますような、圧倒的で物質感(存在感)のある空間を作りだすところにある。
先ほどのドイツのテレビ番組もまた、彼女の作品の美しさに言及し、シンプルで美しければ(政治的なメッセージがなくとも)それもよし、と述べて終わっているようだ。
政治的なメッセージ性というのは、日本における美術の文脈では微妙な立ち位置となっている。とはいえ、そもそも芸術というものは社会や事象に対する批評性をもつものでもあるのだから、なんらかの批評性はもちろんあるはずである。
しかし、美術館の多くが公立である日本では、政教分離ならぬ政芸分離のようなところがあり、政治的なメッセージの強い作品自体あまり見かけることがない。
戦後70年の間、内戦ひとつない平和な日本では、政治的メッセージということ自体が、日常生活ではフィクションのようになっているからだろうか。さすがに未曾有の大災害に見舞われた後のビエンナーレでは、その東日本大震災をテーマに据えた現代美術作家・田中功起の展示が特別表彰を受賞したのではあるが。
そもそもこのビエンナーレ会場の日本館は軒下の高いピロッティの2階部分の展示室と、軒下部分の屋外部分からなり、展示空間としては難しいスペースになっている。
塩田氏の、どんな場所にも自在に増殖するように広がって独特の空間を作りだすインスタレーションの手法が、この難しい空間をも制覇したということだろうか。海外メディアなどにもその印象的な「赤い糸の部屋」は一斉に取り上げられており、近年の映像作品の多い現代美術界では、その手仕事の作りだす存在感が一種の作戦勝ちだったというところだろう。
ベネチア・ビエンナーレは、偶数年には建築展が開催されるが、美術と違って建築家は自分で建築事務所を作るケースが多い。大型の国際展に選ばれたら、仕事を減らしてそちらに傾注し、結果を出せばそれがそのまま自分の建築事務所に実績になり、大舞台でのオファーはまたとないチャンスだ。大舞台へのプレッシャーも、国の威信がかかるというストレスもある程度は納得がいく。
では美術はどうかといえば、作家は同様ではあるが、作家と二人三脚となるキューレター(学芸員)はそうもいかない。先に述べたように、所属先は国公立の美術館が多いため、業務外のこういった仕事をどういう立場ととらえてかかわるかは非常にデリケートな問題となる。
学芸職というのは研究職でもあるため、専門分野が所属先の美術館の収蔵作品のラインなどと一致しており、展覧会を開催する際は当然図録を発行し、その展覧会の意義や狙いを詳細解説した論文を執筆することになる。それは、こういった現代美術の世界でも同様で、取り上げた作家の作品や傾向を詳述した論文をつけた図録を発行する。
そのための何年にもわたる地道な調査や文献研究も必要で、ある程度身分を保証され息長く続けられる土壌がなければ成り立たない専門職といえる。
その一方で、近年は国内でも「横浜トリエンナーレ」、「瀬戸内芸術祭」、「越後妻有トリエンナーレ」など、地域の観光振興と美術振興の両方を狙う大型の展覧会が増えている。
瀬戸内も越後妻有も総合ディレクターは固定化しているが、横浜トリエンナーレのように毎回、国内外の美術館の学芸職の中から総合ディレクターが選ばれるものもある。その仕事を持ちかけられると、そのこと自体は、名誉ある、かつチャレンジングな仕事ではあっても、所属先の美術館外の仕事に多くの時間を取られるために、板挟みにあって所属先を辞めるケースもあると聞く。
大舞台で成功し話題になれば、その後、大学教授への転身や別の美術館の館長に引っ張られて研究をつづけられるケースもあるようだが、指名されるだけの実績をどこで積んだかといわれれば、なかなか難しい問題ということがわかるだろう。
日本ではフリーのキューレターという仕事が成立しにくい(美術館や博物館以外での展覧会がまだまだ少ない)ことから、こういった仕事を受ける際の働き方も、そろそろ再考されてしかるべきだろう。
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