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<漫画「日露戦争物語」の真相(2)>明治元年・松山生まれの秋山真之が主人公では「日露戦争」は描けない

メディアゴン / 2015年6月3日 7時20分

江川達也[漫画家]

* * *

(前々回の記事|前回の記事)

「日露戦争物語」を開始するにあたり、小学館のその編集者は、まず、主人公を「山本権兵衛」から「秋山真之」に変更することを主張し始めた。そして、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読むことを薦めた。筆者は司馬遼太郎さんの小説は好きではない。坂本龍馬も特に好きでもない。

司馬さんの体験談や歴史エッセイはかなり好きだが、小説はどうも売れ筋を意識しすぎてるところが鼻について嫌いなのである。エンターテイメントし過ぎなのがダメなのだ。歴史をおもちゃにして快感を得させる演出がエンターテイメントと教育を研究して来た自分には、歴史を気持のいい物語りに仕立て上げて読者に快感だけを与え、教訓を忘れ去らせているように見えて耐えられないのだ。

非常に「少年ジャンプ的」なのだ。そして、その快楽を与え、現実から目をそむけさせる手法は宮崎駿さんへと受け継がれていく。まさに戦争をネタにして快楽をむさぼる読者を育成しているようにしか見えないのである。

司馬さんが「坂の上の雲」という日露戦争を題材にした作品の3人の主人公の11人である「秋山真之」という海軍軍人(作戦参謀)は、日露戦争の10年前の日清戦争を分析した文章の中で、

 「戦争が小説のネタになるようなら、その作戦を立案した参謀は能力が低い。作戦は面白おかしいものを目指すのではなく無味無臭なものであるべきだ。」

というようなことを書いていた。

司馬さんがそれを読んだかどうかは知らないが、秋山真之という実在の人物は、戦争が主人公の失敗や活躍で面白く気持よく描かれることには、批判的だったわけで、その秋山真之本人の意思とは逆に、秋山真之を主人公の1人にして日本海海戦の勝利を作戦の失敗による苦しい状況からの一発逆転戦闘劇という快感を催す少年漫画的な話に司馬さんは仕立て上げた。

苦戦していた陸戦でも無能な乃木希典将軍(実は無能ではない)の代わりに登場した乃木将軍と親友の児玉源太郎参謀長の下した新たな命令によってすぐに旅順要塞が陥落するという少年ジャンプの格闘パターンと同じ構造の展開を用意し読者の快感中枢をしげきしまくった。そう、友情と努力と勝利までもがてんこ盛りなのだ。

司馬さんの小説は歴史という事実を題材にして大体が構造的に単純なメジャーな友情努力勝利の少年漫画なのである。だから私は嫌いなのだ。史実に対して勝利の快楽を求める人の群れが愚かな判断をする傾向になるということに気付いてないのだろう。

日露戦争に対する分析の甘さが後の日本を蝕んで行ったと考えるから、筆者は「日露戦争物語」というタイトルをつけてそれをテーマの軸にしたかった。

現実の秋山真之も戦争に対する冷静な分析をし続け、知恵を振り絞って思慮に思慮を繰り返し構想を練り準備を着々と進めていく人間だったと筆者は推測する。

生きていて、司馬さんの「坂の上の雲」(そもそも明治人は坂の上の雲を目指してなどいなかったと筆者は思う)を読んだら、小説の中の自分のあまりの軽薄ぶりにあきれかえるのではないだろうか。いや、忸怩たるものを感じるだろう。小説になどになったら、参謀の恥と明言しているわけだから。

少年ジャンプでは、主人公の敗北や、主人公が間違っていてまわりから諭されて納得するような展開は御法度である。壊滅的に人気が落ちる。なので、そういう展開を考える発想すら描き手や編集者の頭の中にはない。

司馬さんの小説も友情努力勝利以外の発想があまり感じられないから私は嫌いなのだ。だから、司馬さんは太平洋戦争に関する小説が描けなかったのだろう。司馬さんの小説家になろうとした動機は敗戦時、戦車長だった自分に手紙を書くというところから始まっているというようなことを本人の書いたエッセイで読んだ記憶が筆者にはある。そこに筆者はいたく感動した。

何故、こんな戦争をこんな戦い方で行っている国になってしまったんだ。という疑問。それに答えるため、その時の若き戦車長の自分に手紙を書くつもりで小説を書く。と。確かそんな感じだった。

しかし、司馬さんは一番書かなくちゃいけない昭和の戦争の小説を書かなかった。いや、描けなかった。なぜか。「あまりに昭和の戦争はひどくて描けない」との言葉をどこかで読んだ。

それを読んだときに筆者は思った。そりゃそうだ。友情・努力・勝利しか描けない少年ジャンプ(300万部を超えた後の少年ジャンプ)の作家に大敗戦を舞台に戦争漫画は描けないように、司馬さんにも描けないだろうな。と思った。

勝利という快感が原動力の作品しか描けない者には敗戦は描けないのだ。書いていて気持がよくない。とも言っていた記憶がある。作家性の限界なのだろう。しかし快楽で描いてない作家にとって敗戦する作品を描くのは何の苦労でもない。「もののあはれ」をテーマに描いて来た作家にとっては昭和の戦争はまさに筆が進む題材である。その他、現実とは皮肉なものである。ということを訴えたり、純粋に軍事的な失敗と成功を分析する作家にとっても絶好の題材だ。

筆者が歴史漫画を描くときに一番のテーマにしているのは、原因と結果である。因果がどう繋がっているのかを描きたい。友情努力勝利などどうでもいい。

むしろ、そこで苦悩する人の人生の悲哀を皮肉を時の無常と無情な現実、そして「もののあはれ」を生き抜くための絶望に満ちた「笑い」を描きたい。

このテーマなら、どんな時代も描けるし、歴史に学ぶ姿勢が伝えられる。と思っている。快楽を提供し人の知能を低下させるエンターテイメントではない教育的歴史漫画が描けると思っていた。

・・・と、いうところに司馬さんの「坂の上の雲」を読ませて主人公を「秋山真之」にという編集者の要望である。編集者は司馬遼太郎ファンで「坂の上の雲」に描かれる秋山真之が好きなのだ。

漫画家である筆者は司馬遼太郎さんの小説が嫌いで、山本権兵衛を描くことで人々に「レコンキスタからの西洋の非西洋人の奴隷化」が進み日本にも危険が迫ってきた時代の「薩英戦争」から「日露戦争」そして「昭和20年の敗戦」と「戦後の歴史認識」までの因果関係を知らせたくて描こうとしている。司馬遼太郎さんと秋山真之では、全く話にならないのだ。

結果的には、筆者が折れて、連載は始まった。

途中、筆者が出した折衷案として「東郷平八郎」を主人公にするという話も出たが、没となった。筆者としては、本当に「薩英戦争」という出だしでやりたかった。

幕末からやりたかった。幕末と明治を繋げたかった。(その思いは回想シーンとして何度も出したが弱い)しかも、もっとよいことは、薩摩の少年たちの姿を描いておくとその少年たちがそのまま陸海軍及び、政府の首脳陣になるからだ。

明治元年・松山生まれの秋山真之という主人公では、日露戦争は俯瞰で描けないのだ。

(前々回の記事|前回の記事|次回に続く)



(江川達也)

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