デヴィ夫人とは何者か、ご存知ない若者へ~知られざる波乱に満ちた半生を読み解く

messy / 2014年8月31日 12時0分

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短期集中連載・デヴィ夫人を読む!01

 夏の終わり~♪ 皆さん、充実した夏休みを過ごされましたでしょうか? 「社会人に夏休みなんてものはない!」という社畜的意見も多いかとは思いますが、messyでは昨年の叶恭子さんに引き続き、1人の女性の生き様を図書から読み解く課題をライター陣に与えました。

 2014年のテーマは「デヴィ夫人を読む」です。

貧乏だった少女期

『デヴィ・スカルノ自伝』(文藝春秋/1978年)
『デヴィ・スカルノ回想記 栄光・無念・悔恨』(草思社/2010年)

 通称・デヴィ夫人、本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)。そもそも彼女はなぜ「夫人」と呼ばれているのか? 流暢な日本語を操るけれども出生や国籍はどこなのか? 豪華なドレスを身にまとい、きらびやかな生活をしているようだけれども、生業は何なのか? 若いmessy読者の方々はよく知らないのではないでしょうか。

 若い頃の写真を見ると、それはもう美しい顔立ちで彫りが深く、異国の血が流れているのではと思うほど、日本人離れした美貌の持ち主です。けれど彼女は日本人。根本七保子(ねもと・なおこ)という名で、1940年2月、東京都港区にて生まれました。港区といえば今でこそ高級住宅街のイメージが強いですが、彼女自身は裕福な家庭に育ったわけではありません。目の悪い父は大工でバツイチ(先妻との間に3人の子有)、後妻となった母は七保子と弟を出産後、内職で家計を支えていました。七保子の年の離れた異母兄がたびたび一家の元へ金の無心に訪れて、家族を困らせていたそうです。

 七保子の美貌と品のある振る舞いは近所で評判でした。17~18歳の頃の写真を見れば、評判になるのも納得です。しかし小学校に進学し、「世の中には金持ちと貧乏がいる。そして私は貧乏だ」ということを彼女は悟ります。うっとりするほど美しく真新しい洋服を着た同級生、父のマントをほどいて母が縫ってくれたセーラー服を着ている自分。ただ、容姿には自負があったうえ、ハンカチや靴下を汚さない身綺麗な子供だった彼女は、貧乏扱いされていじめられるようなことはなく、むしろ「いい家庭のお嬢さん」と勘違いされることが多かったようです。

一年間の輝かしい青春

 女優か画家になりたいというひそかな夢を抱いた中学時代を経て、七保子は高校へは進学せず15歳で就職の道を選びました。生命保険会社に入社して事務仕事を行いながら、夜間定時制高校に通いはじめます。「本当はもっと学びたい、けれど、経済的な事情で仕方なく……」という気持ちではなく、「さあ、いよいよわが手で人生を開拓するのだ」と野心に燃えていた七保子。彼女は精力的に動き、平日昼間は生保の事務、定時制高校の夏休みは夜に喫茶店でアルバイトもし、一方で芸能プロダクションに所属して女優業も開始しました。そのうえ、友人たちと銀座の美少年バーや赤坂のナイトクラブへ行き、「青春をエンジョイ」しまくっていたというから果てしない体力です。「三日間くらい寝ずにいたってビクともしない、はがねのような若さ」と本人が述懐する通り、かなりタフな青春時代ですね。このころに初めての恋人と交際し、山中湖の湖畔にあって友人の別荘で16歳の時に初夜を迎えたことまできっちり記されています。

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