佐村河内問題において法律では罰せられない”最大の罪“とは何か

messy / 2014年2月16日 9時0分

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 先週は雪が降ったりオリンピックが開幕したり都知事選があったりと、いろんなニュースがあった中で、個人的に最も考えさせられたのは、佐村河内さんのニュースでした。

 佐村河内守さん(50)。現在スキャンダル真っ只中のお方です。聴覚障害を持ちながら交響曲第一番(HIROSHIMA)を作曲したとされ、2008年に「広島市民賞」を授与されていた(現在は取り消されている)人物でした。そんな佐村河内作品、作曲はゴーストライター・新垣隆(43)さんの手によるものということが2014年2月6日発売の『週刊文春』(文藝春秋)の記事によって明らかになり、同日行われた新垣さんの記者会見では、佐村河内さんは聴覚障害を持っているかどうかも怪しく、佐村河内さんのピアノは初歩レベル、楽譜は書けない、耳は聞こえていたなどの情報が明らかに。

 ワタクシ、個人的に佐村河内さんの一連の詐称に関しては、ふつふつとした怒りを感じます。生理的嫌悪感に近いかもしれません。新垣さんが真実の暴露に至られたお気持ち、勝手にわかったような気になってしまっているくらい。

 そんな私ですが、初めはこの佐村河内騒動に関して、「ゴーストライターもプロフィール詐称もよくあることだし……」という冷めた見方しかしていませんでした。けれど今は、佐村河内さんの一連の詐称は、一般的に許容できるレベル(もしそんなものがあるとすれば、ですが……)の詐称を大きく上回る、悪質な詐称キャンペーンだったと感じています。佐村河内騒動に関しては「ゴーストライターがいた事実を隠していた・プロフィール詐称をしていた」以上の問題がある、と今では思っています。

ゴーストライターは別にいいと思う

 一連の佐村河内さんに関する報道に最初に触れた時点で思ったことは「ゴーストライターがいたこと自体は、別にいいんじゃないの?」ということでした。

 古くはルネサンス時代、絵画は工房で沢山の人の手によって制作され、絵画の制作者として名前がクレジットされる工房の親方は、制作における総指揮を取る、という共同制作が主流だったといいます。現代美術においては、分業化はますます一般的に。芸術家は作品のコンセプトについて論文を書くのが主な仕事で、作品そのものは、業者に外注するということは珍しくも何ともありません。

 今の日本には、演奏していないのにエア・バンドとしてライブパフォーマンスを観客の前で繰り広げるバンドもいれば、初音ミクのように映像だけの実体のないヴァーチャル・アイドルもいます。作曲家と表に出る人が別という点は、たいして問題ないのでは? と報道に接してまず思ったし、今でもそう思っています。

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