ゲスの極み乙女。ちゃんMARIさんにインタビュー

進路のミカタ / 2019年9月27日 12時5分

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バンド「ゲスの極み乙女。」のキーボーディストとしても活躍中のちゃんMARIさん。高校時代は工業高校で建築を学び、野球部のマネージャーをしていたという意外なエピソードも! 当時の思い出や、音楽への思い、悩める高校生に伝えたいことについてお話を伺いました。

■野球部のマネージャー活動に熱中した高校時代

―― ちゃんMARIさんはどんな高校生でしたか?

とにかく人の言うことを全然聞かない生徒だったので、あまり皆さんの参考にならないかも……(笑)。
音楽は小さい頃からやっていましたが、それで身を立てるのは無理だろうと考え、建築を学ぼうと工業高校に進学しました。でも、かなり早い段階で自分には合わないことがわかり、次第に学校もサボりがちに。目をかけてくれていた美術の先生に、「そんなにサボるなら早く辞めてバイトでもすれば」とアドバイスされるという、ちょっと変な思い出もあります。
救いだったのは母の教育方針。私が「やりたい」と言ったことは必ずやらせてくれて、常に自主性を尊重してくれました。短大を卒業後、就職せずにミュージシャンになると伝えたときも、東京行きが決まったときも、反対するどころか応援してくれたことには本当に感謝しています。

―― 高校時代に一番はまっていたこと・熱中していたことは?

先輩に誘われて野球部のマネージャーをしていました。もともと高校野球を見るのも大好きだったので、飲み物を作ったり、ノックの手伝いや球拾いをしたり、部員たちをサポートするのは本当に楽しかったですね。
途中で指導者が変わり、女子マネは不要だと辞めさせられてしまいましたが、できれば続けたかった。しかも1学年下の代が甲子園出場を叶えたので、今でも甲子園に行きたかったと思うくらいです。

―― 今、高校時代に戻れるなら何をやってみたいですか?

文化祭や体育祭をもっと積極的に楽しめばよかったなと思います。特に体育祭は応援団が盛んで、大きな旗を振ったり、大掛かりな演舞も披露してかっこよかったんです。もし戻れるならやってみたいですね。

■クラシックとジャズを基礎から学んだことが糧になった

―― 音楽との出会いについて教えてください。

記憶がないくらい幼い頃から、音楽はずっと身近にありました。小さい頃によく過ごした祖母の家に電子オルガンがあり、遊びながら鍵盤楽器に触れたのが最初だったと思います。
母が箏を習っていたので、その教室について行ったり、4歳からは自分でもピアノを習い始めました。

―― 楽曲づくりはいつ頃から始めたんですか?

小学1年生の頃からです。ピアノ教室の先生にコンクール出場を提案され、短いフレーズを20個くらいつくって教室に持って行き、先生と一緒に組み合わせて曲にするという体験をしていました。
ピアノ教室ではクラシックを習っていましたが、個人的にはポップスに興味がありましたね。小学4年生くらいの時は宇多田ヒカルさんに憧れていて、彼女がパソコンで作曲をすると聞いて「何それ?!」と衝撃を受けました。
自分でもやってみたいと、近所の電気屋さんに行ってパソコンとソフトが売っていないかを聞きましたが、やっぱり売っていなくて……。親戚がシーケンサーを譲ってくれてからは、それを電子ピアノにつないでリズムを出したりして遊ぶようになりました。
高校では、野球部のマネージャーをやめた後にバンドを組んで、私が作曲した曲を演奏することもありました。ヤマハが主催する「ティーンズ・ミュージックフェスティバル」にオリジナル曲で応募したのもいい思い出です。

―― 音楽でやっていこうと思ったタイミングはいつですか?

17歳の時に2つめのバンドを組んだ頃でしょうか。
「楽曲づくりに役立つ知識がほしい」と地元の短大の音楽科に進学。学年120人くらいの中で作曲志望は私1人だったので、教授からはマンツーマンで基礎から教えていただきました。
そこで音楽について何も知らなかったことに気づき、和声の勉強から各楽器の音域や奏法など多くの発見をした2年間でした。17歳頃からジャズピアニストの方に師事して、ジャズの理論や作曲法も教わっていたので、その時期は毎日音楽漬け。おかげでクラシックの現代音楽とジャズの知識は私の中の二大巨頭で、今も作曲や音楽活動の大きな糧になっています。
2つめのバンドは大学時代もずっと続けて、そのメンバーで東京に来たので、彼らとの出会いが今につながっていると思います。

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