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慶大野球部出身のフジ新人アナ・梶谷直史に迫る どん底から変わることができたある人物の言葉

モデルプレス / 2024年10月1日 6時0分

モデルプレスのインタビューに応じた梶谷直史アナ(C)モデルプレス

【モデルプレス=2024/10/01】2024年4月、フジテレビに入社した梶谷直史(かじたに・なおふみ/23)アナにインタビュー。アナウンサーになったきっかけや入社後抱えている課題、野球一筋だった学生時代の最大の挫折について語ってくれた。【モデルプレスインタビュー】

◆梶谷直史アナ、アナウンサーになったきっかけは野球

梶谷アナは小学2年生から15年間野球を続け、慶應義塾湘南藤沢高等部から慶應義塾大学の硬式野球部に入部。同大学の商学部を卒業後、2024年に入社した。現在は「Live News イット!」でフィールドキャスターを務めるほか、「BSフジLIVEプライムニュース」(火、水、金)「すぽると!on TVer」(火、水、金)にも出演している。そんな経歴を持つ梶谷アナは、アナウンサーになったきっかけも野球の実況だった。

「スポーツは実況があることにより、さらに彩りが加わって、見る人をワクワクさせたり、期待感を持たせてくれたりするものだと考えています。そのように自分がやりたいと思えることを仕事にしたいと思い、1回しかない人生でチャレンジしようと考えました」

◆梶谷直史アナ、1番の挫折を乗り越えられた理由

梶谷アナは、就活においても「野球を長く続けてきたからこそ辛いこともたくさんありましたし、上手く行った時の喜びはもう何事にも変えられないということをアピールしました」と語る。そんな野球一筋の彼だが、野球を辞めようとまで思った挫折を経験したことも。高校2年生で肘の靭帯を怪我し、復帰後にイップス(突如自分の思い通りのプレーができなくなる症状)に陥ってしまったのだ。

「ブルペン(投球練習場)では投げられるのですが、試合では精神的な原因でうまく狙ったところにボール投げられなくなって、マウンドに立ってもストライクが入りませんでした。チームではキャプテンを務めていましたが、自分のプレーで結果が出ていないと部員にも示しがつかないという重圧もあって、監督に『キャプテンを辞めさせてほしい』と言いました」

しかし、これまで支えてくれた両親のためにと一念発起し、大学でもう1度マウンドに立つ覚悟を決めた梶谷アナは六大学野球でリーグ優勝、そして日本一にまで上り詰めたと話す。1度はどん底に落ちていた彼が変わることができたのはある人の言葉だったという。

「イップスが治っていない状態を隠したまま、初登板で全然ストライクが入らず『大丈夫か』と不安に思われていました。ですが、当時の監督にできない状態を精神的なものではなく技術的なものだと置き換えるよう言われたことが、考えを転換する大きなきっかけになりました。できない理由を見つけて、自分自身の弱さから逃げていたんだなと気付かされました。結果はすぐに出ないかもしれないけれど誰よりもとにかく練習して、徐々にその年の9月、10月くらいから少し結果が出るようになっていきました」

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