「ガザの次は私たちの番なのか」 パレスチナ・ヨルダン川西岸で暴力が急増──恐怖と隣り合わせの日常で
国境なき医師団 / 2024年1月18日 17時2分
「ここはもう何年もひどい状態です。 昼夜を問わず、何の前触れもなしに、イスラエル兵によるパレスチナ人の家宅捜索、破壊、逮捕が続いているのです」
パレスチナ・ヨルダン川西岸地区の最大都市、ヘブロン──。10月7日以降の状況について、この町に暮らすパレスチナ人女性アルマさんはそう話す。
アルマさんのアパートは、数日前にイスラエル兵によって破壊されたばかりだ。「10月7日以降はいろいろなことがさらにひどくなり、人びとは常に恐怖の中で暮らしています」とアルマさんは続けた。
暴力と嫌がらせが増加
脅迫と抑圧の嵐が吹き荒れているヘブロンは、占領下におけるパレスチナ人の苦しみを端的に表している場所だ。移動制限、強制的な立ち退きと移住、家屋の取り壊し、 捜索・逮捕活動、学校教育の妨害、常にどこかにいるイスラエル軍と入植者たち──これらはヘブロンの人びとの日常となっている。
イスラエルとガザでの紛争の激化は、ヨルダン川西岸に住むパレスチナ人に押し付けられる暴力と制限を悪化させるばかりだ。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、昨年10月7日から今年1月2日までに、ヨルダン川西岸で、少なくとも198世帯、1208人(うち子ども586人)が家を追われたと記録。これは、2023年初頭以降に報告された、入植者の暴力や移動制限による強制退去の78%に相当する。
ヘブロンで国境なき医師団(MSF)のプロジェクト・コーディネーターを務めるシモーナ・オニディは次のように話す。
「(イスラエルとガザの紛争が激化した)10月7日の直後から、事態が暗転していくのが見てとれました。買い物や医療といった誰もが必要なサービスの利用すら大幅に制限されていったからです」
医療も例外ではありません。患者も医療スタッフも厳しい移動制限と暴力の危険にさらされ、2023年10月に私たちのチームが行った診療は、前月比の78%減となりました。
最も制限の厳しいヘブロン旧市街、「H2」地区
ヘブロンの旧市街は「H2」と呼ばれ、イスラエルの管理下にある。移動の制限が非常に厳しく、予測も不可能だ。そのため、そこに住むパレスチナ人はあらゆる面で影響を受けている。
H2は長い間、ヨルダン川西岸地区で最も制約の多い場所の一つだ。イスラエル軍が運営する21もの常設検問所がパレスチナ住民の移動を規制し、現地での活動を試みる医療従事者にとって大きな障壁となっている。
イスラエルとガザでの紛争が激化した最初の数週間、イスラエル軍はさらに移動を制限し、週にわずか数日、午前と午後の1時間だけ検問所を開けるようになった。パレスチナ人は時に、4日間連続で家を出ることが許されず、ゴミ出しや窓を開けることさえできなくなる。
「いま行われている制限の激しさは、以前とは比べ物になりません。イスラエルの入植者と軍はやりたい放題にふるまっています」と、H2のテル・ルメイダ出身のパレスチナ人女性アリーヤさんは言い、こう続ける。
「例えば、私は妊娠しているのに、今朝は兵士に検問所でX線検査機を3回通るよう求められたんです。お腹の赤ちゃんの安全のために、通らせないでほしいとお願いしたのですが、聞き入れてもらえません。私が妊娠していることさえ信じていないかのようでした」
H2に住むサルマさんも次のように話す。
私たちは皆、怖くて仕方がありません。ガザで起きていることはヨルダン川西岸でも起きると誰もが考えています。次は私たちの番だろうか。それがいつ起こるかはわからないけれど──と。
移動制限が医療に落とす影
この2カ月間、移動制限と暴力のため、医療へのアクセスも混乱することが増えた。そのため、MSFは医療施設にたどり着けない人びとに医療を提供するため、徐々に対応を拡大している。
2023年11月、MSFは6カ所の移動診療を活動に追加。ヘブロン旧市街の外側と内側、そしてヨルダン川西岸南部のマサーフェルヤッタの辺境の村を含む、合計10カ所の地域を訪問した。MSFの移動診療チームは、一般診療、リプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)、心のケアに当たっている。2023年11月と12月には、上記の異なる場所で1900件の診療を行った。
「検問所が増え、外出禁止令が出されたことで、医療施設へのアクセスは危険になるばかりです。また、移動制限は医療従事者の出勤にも影響を及ぼしているため、医療援助団体が活動を行うことはより難しくなっている。結果として、医療の提供に支障をきたしているのです」
ヘブロンでMSFの医療チームリーダーを務めるフアン・パブロ・ナウエル・サンチェスはそう話す。
H2地区には、パレスチナ保健省が運営する、急性および慢性疾患の患者を対象とした医療施設は一つしかない。10月7日以降、保健省の職員に現地に入る許可は下りず、人びとは医療を受けられないままだ。ケアの継続を図るための経過観察を受けられない場合、慢性疾患患者はとりわけ深刻な状況に置かれる。現在、MSF以外の団体はこの地域で活動ができていない 。
H2には車どころか救急車さえ入れません。妊娠中で間もなく出産という時はどうしたらよいのでしょう。
そして、ナディアさんはこう続けた。 「検問所の一番上の丘まで歩き、兵士がすんなり通してくれるよう祈るしかありません。医療者に診てもらう必要があるからといって、突然権利をもらえるわけではないのですから」
人びとの心にも深刻な影響
ヘブロン郊外にある人里離れたマサーフェルヤッタ地区。ここでは、イスラエル当局や入植者らが、パレスチナ人の住民に対して、地区から退去させようと尋常ではない圧力を加えている。紛争の激化以降は、立ち退きや家屋取り壊し、移動制限も一層厳しくなり、それが人びとの医療へのアクセスを大幅に妨げているのだ。
「何週間も何カ月も医者にかかっていない患者を診ています。最も多いのは呼吸器感染症と慢性疾患。治療薬は高く、健康保険がなければ患者には支払えません」と、先ほどのフアンパブロ・ナウエルサンチェスは話す。
また、MSFはこの状況の影響を受けた人びとの心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド: PFA)やカウンセリング、心のケアも実施。MSFの心理療法士によると、人びとの心の健康は目に見えて悪化しているという。
MSFは心的外傷後ストレス障害だけでなく、今も続く心の傷も治療しています。人びとはトラウマになるような出来事に毎日さらされ続けている。そのため、安心感を得るのが難しいのです。
人びとの心の健康の悪化は、占領による暴力の範囲や影響を把握できる大人だけに限らない。乳幼児にも、夜尿症、悪夢、孤立感といったかたちで、不安の症状が表れているのだ。
「このような環境で子どもを育てるのは心が痛みます。先日、娘が私に言ったんです」。H2のテル・ルメイダ出身のアリーヤさんはそう話し、続けた。
「『ママ、わたし怖い』って。──あの子はまだ、たった2歳なのに」
パレスチナ・ヨルダン川西岸地区におけるMSFの活動
1988年以降、MSFはヨルダン川西岸で活動を展開。現在はヘブロン、ナブルス、ジェニンで活動している。心のケアや移動診療のほか、医療施設や病院に対して医療、緊急対応、患者のトリアージ(重症度、緊急度などによって治療の優先順位を決めること)に関するトレーニングの提供も行っている。
10月7日以降は医療活動の拡大に加え、地域社会での健康推進活動を強化した。また、国内避難民のガザの人びとや、暴力や強制移住の影響を受けているヨルダン川西岸の住民に救援物資、衛生用品キット、食料の小包を配布した。
※安全のため、取材対象者の氏名は変更し、個人を特定できる可能性のある事実は削除しています。
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