1歳で脚を切断、家族を全員失った子も──ガザ:外科医が目撃した、絶望的な状況
国境なき医師団 / 2024年1月19日 17時17分
国境なき医師団(MSF)の外科医アルド・ロドリゲスは、2023年11月14日から3週間、ガザ中部のアル・アクサ病院や南部のナセル病院で活動を行った。
医療体制が崩壊寸前の中、ロドリゲスは毎日20~25件の手術を担当。患者の多くは12歳以下の子どもだったという。3週間の活動を終えてメキシコに帰国した彼が、ガザで見た惨状について語る。
絶望的な光景
11月14日、MSFのチームの一員としてガザに入りました。そこには驚くべき絶望の光景が広がっていました。閉じ込められた市民たち。燃料も食料も水もない。救急車もない。病院への攻撃は日常茶飯事で、人びとはますます絶望的になっていました。
ガザで過ごした最初の数時間は、イスラエルがこの地域を監視するために使用しているドローンの絶え間ない騒音に悩まされました。ストレスのたまる轟音が、昼も夜も途切れることなく聞こえてきます。
ガザの悲惨な状況を事前に知っていたとはいえ、すべてが廃墟と化した中、人びとががれきの中で食料を探し、パンを手に入れるために延々と列をなして待つ姿は衝撃的でした。ガザには、粉々になった建物がない場所はありません。
南部のナセル病院へ
可能な限りの医療支援を行うために、MSFは南部ハンユニスにあるナセル病院に向かいました。当時ナセル病院は、北部のシファ病院が執拗な攻撃を受けた影響もあり、ガザで機能を続ける最大の病院となっていました。
しかし、対応可能な患者数の2倍もの患者を抱えており、空爆や砲撃から避難するためにテントを張っている人びともいました。自宅が破壊され、退院後も行き場のない患者もいます。少なくとも暖かく、飲み水がある病院で、多くの人びとは身動きがとれなくなっていました。
3日目、病院から1キロも離れていない難民キャンプにミサイルが着弾しました。建物が揺れ、窓がきしむのを感じました。10分もしないうちに救急車が到着し始め、1時間足らずで130人の患者を受け入れました。
何よりも悲しかったのは、その半数以上が到着時にはすでに命を落としていたことです。その日は約30人の子どもたちが亡くなりました。
私たちが目にしたのは、遊んだり昼寝をしたりする子どもたちではありません。手足を切断せざるを得ず、長期の集中的な理学療法が必要になった子どもたちの姿です。胸が痛みました。
攻撃を受けたアル・アクサ病院
1週間、可能な限り多くの患者を治療した後、MSFは同じく激しい爆撃のあったガザ中部のアル・アクサ病院に移動しました。同病院のストレッチャー収容数は200台でしたが、患者数が多いため、650床のベッドを設置しなければなりませんでした。
この病院でMSFは、トリアージ(重症度、緊急度などによって治療の優先順位を決めること)をサポートし、診察や手術の実施や創傷の管理、紛争関連の傷を負った患者の理学療法や心のケアを行いました。
しかし1月6日、MSFはイスラエル軍から退避要求を受け、アル・アクサ病院からスタッフを避難させなければならなくなったのです。避難の前には、ドローンやスナイパーがスタッフの家族を負傷させ、集中治療室には銃弾が貫通しました。激しい戦闘はスタッフが病院に向かうことを妨げました。
MSFはイスラエル軍に対し、病院内で働くスタッフと治療を受けている患者を保護するよう求めています。
それにもかかわらず、1月7日、ドローンが病院の管理棟と中庭の人びとを標的にしました。 1月10日には、病院の入り口にある建物への空爆により、40人が死亡し、150人以上が負傷したのです。
アル・アクサ病院は、ガザ中部で部分的に機能している唯一の病院であり、いくつかの難民キャンプを含む周辺の広範囲なコミュニティに医療を提供しています。
絶え間ないドローン攻撃と爆撃
ガザを移動することは容易ではなく、病院に行くことさえままならない状況でした。私たちがガザ中部に移動した朝には、イスラエル軍の戦車2台が主要道路の交通を断ち、ガザ南部を2つに分断したのです。
多くの人が住んでいる場所や働いている場所から移動することができなくなり、反対側にある食料やその他の物資を手に入れることができなくなったのです。横断する唯一の方法は、ビーチに隣接する1本の道路を通ることでしたが、車もガソリンもない中で、人びとは閉じ込められてしまったのです。また、通信の遮断も頻繁に起こりました。
ガザ中部は、絶え間ないドローン攻撃と爆撃にさらされていました。毎日2、3回、そう遠くない場所に爆弾が落ち、その後には負傷者やすでに亡くなっている人がたくさん運び込まれてくるのです。 攻撃はあまりにも苛烈で、被害を受けた人びとは重度の脳外傷を負って意識不明となり、脚や腕を失った状態で運びこまれます。多くの患者は、肉体的な苦痛だけではなく、近親者や家を失うという苦しみにも直面していました。
「負傷した子ども、生き残った家族はいない」
ガザで私が最も試練を感じたのは、毎日20~25件の手術を行った時でした。家族の中でたった一人生き残り、一人で病院に来た幼い患者もいます。爆撃の犠牲となった1歳や2歳の子どもが、脚の付け根のあたりで切断を余儀なくされたケースもありました。
家族が誰もいない子どもたちが多く来院しました。私たちはWounded Child, No Surviving Family──負傷した子ども、生き残った家族はいない、という意味の頭文字をとり、その子たちを「WCNSF」と呼ぶようになりました。
毎日、子どもが一人ぼっちで打ちひしがれている姿を見ました。攻撃を受ける直前まで普通に遊んでいたという子もいます。切断手術後、子どもたちは落ち込んだまま、口数も少なくなります。手術だけでなく、すべてのことがすっかり変わってしまうからです。退院しても、病院の周囲をさまようしかありません。どうしていいかわからず、向かうべき場所もないからです。
子どもたちは肉体的には回復するかもしれません。でも、精神的には大きく傷ついたままなのです。
ガザのことを世界に伝えて──
私がガザを去る前、ガザで出会った人たちは、私が見たことや行ったこと、そしてガザの人びとが苦しんでいることを世界に伝えてほしいと言いました。ガザのパレスチナ人に何が起きているのか、人びとがどんな思いをしているのか──彼らは世界中に知ってほしいと願っています。
私は、3カ月以上続くこの恐ろしい紛争の痛ましい惨状を自分の目で見ました。毎日毎日、より多くの命が失われ、人類に対する絶望は深まっています。
ガザの包囲と無差別な暴力は、今すぐやめなければなりません。
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