心のケアは魔術じゃない──中米ホンジュラスにおける、国境なき医師団の挑戦
国境なき医師団 / 2024年6月3日 17時8分
国境なき医師団(MSF)は、中米ホンジュラスの北部で、心のケアを普及させる活動にあたっている。2023年には、4430件を超える心のケアの相談を実施した。これは前年比で2倍にあたる。さらに、向精神薬を無償で受け取れる場も広げてきた。
ホンジュラスでは、心のケアに関する仕組みが十分に整っておらず、人びとがケアを受けることが難しいのが現状だ。MSFが取り組む活動、そして見えてきた課題とは──。
薬物依存で自殺を2回図った男性
2023年のことだ。ホンジュラス北部の都市ラリマに住むジョエルさん(32歳・男性)は「頭痛とめまい」のために、地元のラプラネタ診療所を訪れた。
その場で不安症と診断され、心理士による治療と薬物療法によるサポートが必要だと告げられた。
「心理士と話すように言われた時は、違和感を持ちましたね。私は精神的におかしいわけではないと答えました。でも、カウンセリングを受けるうちに分かってきたんです。心の健康を管理していくのは大切なことなんだ、とね」
その数年前、ジョエルさんは交通事故に遭っており、数カ所を骨折した。その痛みを和らげるために、注射薬に頼るようになった。
「依存性のある薬とは知らず、何年も使い続けていました。1日に18〜20回ほど注射していましたね。そのうちに、薬をやめられないこと、それでも痛みを感じ続けることを苦にして、2度ほど自殺を図ったのです」
この点について、MSFの心理士として、このラプラネタ診療所で活動するエリサ・リンドに話を聞いた。彼女によれば、ジョエルさんは、1年間にわたって心理療法を受け続け、ゆっくりとした改善を見せていったという。
「ジョエルさんは、こちらの指示によく従ってくれました。治していこうという心構えもあった。それが大きかったですね。カウンセリングにも意欲的でしたし、処方が変われば、それにちゃんと応じてくれる。その上、家族もジョエルさんを支えてくれたんです」
心のケアをもっと身近なものに
ホンジュラスでは、心のケアに関する人材も予算も設備も十分に揃っていない。同国北部の経済的中心地であるコルテス県を見ても、公共施設で活動する心理士は3人しかいないのだ。
こうした状況の下、MSFは、ホンジュラスにおける心のケアを改善する活動に取り組んでいる。特に、心理的応急処置と患者のモニタリングにフォーカスしてきた。
例えば、ホンジュラス北部の主要都市サンペドロスーラとチョローマにおいて、MSFは心のケアへのアクセス格差を是正する活動に取り組んでいる。
そのために活用しているのが「メンタルヘルス・ギャップ・アクション プログラム(mhGAP)」だ。これは、世界保健機関(WHO)が開発したプログラムであり、医療従事者が心のケアに専門的に対応できるようサポートするものだ。2023年、MSFは、mhGAPを活用した研修を現地8カ所の診療所で実施しており、15人の医療・看護専門家が受講している。
この点について、チョローマ市内のラブエソ診療所に勤務するドネア医師に話を聞いた。彼によれば、mhGAP研修のおかげで、単なる診断結果だけで判断せず、患者の病歴について、さらに深く掘り下げることができるようになったという。
「患者がどのような様子で診察室に入ってくるか、どのように話し始めるか、どのようなしぐさを見せるか。そういったことにフォーカスして患者を診ることが重要です。それが患者たちを助けることにつながるのです」
一方で、ドネア医師は、当面の課題についても指摘する。
「薬の供給量が足りないこと、ホンジュラス社会に存在するタブーなど、多くの課題があります。そもそも、この国では、自分の心の問題について、他人に打ち明けられる人間はほとんどいないのです」
心というものを取り扱うのは魔術かなにかと思っているんですね。心の問題がいかに重要であるか、周りのサポートがいかに大切かを説いていかないといけないわけです。
このラブエソ診療所で活動するMSFの心理士ダニエル・レアンも、プログラムの価値を力説する。 「このプログラムは貴重です。ホンジュラスでは、メンタルヘルス関連のニーズ、精神疾患、心理社会的問題などに対して、基礎レベルで対応できる体制が整っていないのです。こうした診療は、民間施設や専門病院でしか受けることができない。人びとが簡単にアクセスできない状況にあるのです」
「気分が上向いているのを実感する」
MSFの活動やmhGAPプログラムを通して、2022年には2215件以上の心のケアの相談が実施された。2023年には4430件以上となり、前年比で100%成長した。倍増したのである。この4430件以上のうち、1577件は新規患者のものであり、2877件は経過観察である。また、さまざまな場所に無償で薬を配布する場を設けたことで、安全で依存性のない向精神薬が人びとの手に渡りやすくなった。
先ほどのMSFの心理士ダニエル・レアンが、さらに語る。
「診療の中で多く見られるのがうつ病です。間違いなく、ほとんどの年齢層において、最も治療対象となっている精神疾患です。そのほかに多いのが、心的外傷後ストレスと急性ストレス反応ですね。簡単に対応できるものではなく、もっと専門的な治療が必要な精神疾患なども見受けられます。私たちは、プログラムを通して、そうしたところに手を伸ばしているところです」
この点について、先ほどのジョエルさんも、次のように語る。
今まで、メンタルヘルスなど信用していなかったし、真剣に考えたこともなかった。でも、自分自身、気分が上向いてきたのを実感しています。心を守ることがいかに大切か、周りに説くようになったぐらいです。
しかし、ホンジュラスでは、心のケアが依然として軽視されている。この点について、心理士のレアンは最後にこうしめくくった。 「診療体制を強化し、緊急心理ケア体制を早く整備すること。それがMSFの訴えていることです。また、公立私立を問わず、医療施設における人的資源を拡充すること、研修、臨床管理、薬物療法などの普及に力を入れることも重要です」
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