1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

「遺体を埋葬する時間すらない」 ──大規模攻撃を受けたガザ中部、現地医師が語る恐怖と死

国境なき医師団 / 2024年6月11日 18時17分

攻撃を受けたガザ中部のヌセイラト難民キャンプ=2024年6月8日 © MSF

イスラエル軍は6月8日、パレスチナ・ガザ地区中部のヌセイラト難民キャンプを含む地域を大規模攻撃した。地元保健当局によると、この攻撃により、少なくとも270人のパレスチナ人が死亡し、約700人が負傷。国境なき医師団(MSF)は、アル・アクサ病院とナセル病院の医療スタッフとともに、何百人もの重傷患者の治療にあたった。その多くは女性と子どもだった。 ヌセイラト難民キャンプに暮らし、2013年からMSFの一員として活動しているパレスチナ人医師のハゼム・マロ—が、この日の経験を語った。

人びとが吹き飛ばされ

「あの日、私は3時間恐怖の中にいました。ミサイルと爆発の音が響きわたり、何が起こっているのか分かりませんでした。皆が悲鳴を上げてあらゆる方向に逃げ惑い、救急車のサイレンが聞こえてきます。まるで世界の終わりのようでした。 息子が、市場に行ったまま戻ってきていない──。『あの子はどこだ!』私は声を枯らして叫びました。1時間後、息子が恐怖に包まれた顔で家に戻りました。人間のこんな表情は見たことがありません。息子はこう言いました。

人が粉々に吹き飛ばされてる……。子どもも、女の人も……。どうしてこんなことになるの、父さん。

私は息子を抱きしめて泣きました。初めて自分の弱さを感じました。

次々と運ばれる負傷者

その後、私は自宅から数メートルの場所にある、デールバラハのアル・アウダ病院に向かいました。そこでは何十人もの人が地面に倒れていました。すでに息を引き取っている人もいれば、けがをしている人も……。そこに新たな救急車が到着し、3人の死者と4人の負傷者が運ばれてきました。私の目は涙であふれました。 『弟が背中に爆撃の破片を受けて血を吐いている。どうしたらいいか』と同僚から電話がありました。でも、私に何ができるのでしょう。救急車もないのです。私は、傷口に布を巻いて圧迫すること、そして弟が生きていることを祈るように言うことしかできませんでした。 この日、何十人もの人が殺されました。しかし、遺体を埋葬する時間もありませんでした。

命を奪われた友人たち

たくさんの友人や知人が亡くなりました。親友の娘のラニームもその一人です。彼女はエジプトで医学を学ぶ準備をしていて、最後に会った時には、『おじさん、卒業したらMSFは私を採用してくれるかな?』と笑顔で話していました。 マフムードも素晴らしい青年でした。庭作業や農作業をよく手伝ってくれました。殺される前日、彼は家の前で薪を拾い、子どもたちのために麺をゆでようと火をつけながら、『僕は今ではマクルーバ(パレスチナの伝統料理)よりもおいしい麺が作れるんだよ』と話していました。その彼も土曜に殺されたのです。 ラミは漁師でした。攻撃の前日、彼は私にこう言いました。『紛争が終わったらまた海で泳ごう。準備しておいてよ』と。そのラミも殺されました。 亡くなった人たちの名前のリストは、あまりにも長い。私はもう彼らと、二度と会うことができないのです」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください