心の傷と生きる方法を見つける──戦禍のウクライナで取り組む心のケア
国境なき医師団 / 2024年7月4日 20時5分
故郷を離れるという決断
「子どもの頃から、ずっとマリウポリに住んでいました。とても素敵な家でした。友達もたくさんいて、将来の希望もいろいろあったんです」
20歳のアリーナ・ロシェワさんは、そう語り始めた。
「そのすべてが2022年2月に終わりました。親族がみんな私の家に集まってきて、地下室に避難したんです。老若男女13人みんなで、なんとか生き延びるために。そこで聞こえる爆発音はすさまじいものでした。地下室のドアが吹き飛んできたほどです。これは故郷を離れるしかない。そう決断するしかなかった。故郷に残っていたら、いまごろ生きてはいなかったでしょう」
アリーナさんは地下室で20日間を過ごしたあと、親族とともに長く危険な旅に出た。ロシア軍が支配する十数カ所の検問所を通過し、前線を越え、ウクライナ軍が支配する地域にたどり着いた。その後彼女らは、南部の都市ザポリージャを経て西部のビンニツァ市に入り、当面そこで暮らすことになった。
心のケアで子どもたちに変化が
アリーナさんのように、ウクライナ国内で避難生活を送る人は、現在460万人以上にのぼる。そのうち、16万人がビンニツァに居住している。2022年4月、国境なき医師団(MSF)は、移動診療の活動として、市内外の避難所で医療と心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド)にあたった。
大人と子どもの両方に行ってきた心のケアは、多くの人びとに影響を与えた。特に、子どもたちの避難生活に変化をもたらした。MSFでヘルスプロモーターを務めるマリアナ・ラチョックは、こう語る。
「心のケアを始めた当初、子どもたちはただ座っているだけで、誰ともコミュニケーションを取ろうとしませんでした。でも、時間を重ね、回を重ねていくうちに、子ども同士が一緒に遊び始めたんです。それを見た時は嬉しかったです」
戦争とトラウマ
戦争を通して心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する人びとがいる──。ビンニツァのMSFチームは、そこに特化した心のケアを提供していく必要があると、すぐに気づいた。そして、2023年9月、MSFは戦争に関連してPTSDに陥った人びとを対象とする心的外傷センターをビンニツァに開設した。
MSFの医師リリア・サウチェンコはこう語る。
「患者のほとんどは、信じられないほど恐ろしい出来事に遭遇してきた避難民です。彼らは、絶望感、悪夢、フラッシュバック、不安、疎外感などを経験していきます。これらはすべて、異常な出来事に対する正常な反応です。しかし、そうした状態が3~6カ月を超えて続いているとなると、PTSDになっている兆候といえます。そこからは、日増しに症状が悪化していく可能性が高いのです」
現在、MSFの心理士は、毎週約30人の患者たちをカウンセリングしている。医師と心理士が、初回診察において患者の声に耳を傾ける。そして、検査と臨床観察による診断結果に基づいて、治療プログラムを作っていくのである。
「この治療プログラムの内容は、患者の精神状態によって異なります。ただし、いずれにせよ、平均して10~15回のカウンセリングを実施しています」と、医師のサフチェンコは話す。
カウンセリングでは、MSFの心理士が患者たちのニーズに合わせながら、安定化、心的外傷の整理、社会生活への復帰、という3段階で、エビデンスに基づいた手法を実践している。
助けを求めることをためらう人びと
PTSDに共通して見られる症状の1つは、助けを求めることへの抵抗感だ。心のケアへの偏見が、この抵抗感をさらに深刻なものにする。この点について、MSFの心理士で、心のケアチームリーダーのアンドリー・パナシウクは、次のように語る。
「心理療法が具体的にどのようなものか理解されていないので、人びとは助けを求めることをためらってしまうのです。そこで重要な役割を果たすのが啓発活動です」
MSFは、PTSDについての理解を深めてもらうために、開業医や退役軍人協会を対象にした講座を開催している。また、現地の避難民支援団体と協力して、創作ワークショップなどを展開し、その中で、PTSDに関する心の健康講座を実施している。
こうした活動において、ヘルスプロモーターたちは、参加者一人一人とじっくりと対話を重ねて、信頼関係を築いていく。そして、心のケアが必要な人びとを見つけ、彼らがケアを受けたいという気持ちになるよう働きかける。
この点について、先ほどのマリアナ・ラチョックが語る。 「私はよく、身体的なけがと精神的なけがを並べて説明します。消毒も治療もせずに、傷口をただ覆って隠すだけでは、傷そのものは悪化していくだけです。
心理士には、あなたの家庭や友人を取り戻す力はありません。でも、心の傷と共に生きていく方法を一緒に見つけることはできる。
あなた自身の感情を理解して対処していくこともできる。あなた自身を助ける方法を一緒に見つけていくこともできるのです」
生きる力を取り戻す
74歳のリディア・バズアリエワさんは、ウクライナ南部の都市ヘルソンから避難してきた女性だ。MSFのもとでPTSDに対するケアを受けてきた。彼女が微笑みながら話す。
「心理士との会話は、私にとっての心の支えでした。また、創作活動も私を救ってくれた。おかげで、少しずつですが、トラウマを負った状態から抜け出せたのです。今では、ここが私にとって唯一の家族のようなものです。ヘルスプロモーターの皆さんが企画するイベントには、必ず参加しています。みんなと会話を交わして、情報を伝え合うことで、だんだんと生きる力を取り戻しているんです」
つい最近、アリーナ・ロシェワさんは、MSFのPTSDプログラムを完了したという。 「セラピーをたくさん受けてきました。大変でしたね。一夜にして治るものではありませんから。長く複雑な道のりでした。でも、治療を始めて3カ月ほど経つと、パニック発作がなくなりました。消えたんです。ようやく発作をコントロールして対処する方法を身につけました」 現在、アリーナさんは、避難民支援団体で文化活動の企画を担当している。彼女は、ビンニツァで新たな友人たちもできた。彼女は、自分への自信を取り戻し、そして、自分の未来に改めて向き合おうとしている。
MSFは、1999年にウクライナにおける活動を開始。それ以来、HIV/エイズ、結核、C型肝炎の治療にあたってきた。2014年から2019年にかけては、紛争の影響下にあるルハンスク州とドネツク州で活動。移動診療を運営するほか、地元の医療従事者に向けて、ピアサポートと心のケアの研修を実施した。
この2年は戦争の激化に伴い活動内容を拡大。患者の避難と移送、移動診療による医療と心のケアの実施、外科、救急、集中治療、理学療法の提供、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の心理治療などを行っている。
2023年9月、ビンニツァに新設した心のケアセンターで、戦争関連のPTSDについて専門的な診療サービスを開始した。それ以来、MSFは約1400件のカウンセリングを行い、診療所やパートナー団体を通して4400件の「心の健康講座」を開催している。これまでに81人の患者が、セラピーを終えてこのプログラムを完了した。
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