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【ガザ1年:記者会見】ガザで日本人スタッフが見て、聞いて、感じた── 人びとの“今”

国境なき医師団 / 2024年10月16日 17時7分

今年7月から9月にガザで活動した国境なき医師団(MSF)の日本人スタッフ。左から植田佳史、本川才希子、萩原健 © MSF

パレスチナ・ガザ地区でイスラエルとハマスの紛争が激化して1年。絶え間なく続く攻撃で、ガザにおける死者数は4万人(※)を超えた。

ガザで今、何が起きているのか。何が人びとを追い詰めているのか。今年7月から9月にかけて現地に派遣された国境なき医師団(MSF)の日本人スタッフ3人が9月26日、記者会見を開いた。彼らが見た、ガザの人びとの姿と声を伝える。

  • ※ガザ保健省:2024年9月22日

萩原 健(はぎわら・けん)

緊急対応コーディネーター:ガザにおける活動全体を統括 膨大な医療ニーズがある中、現場の責任者として優先順位を見定め、実現可能な策を講じて実行に移すのが主な役割。内部調整や外部機関との折衝も行った。活動を維持するための情報収集や安全確保、停戦後を想定した対応策の立案にも従事。 派遣期間:2024年8月4日~9月19日

本川 才希子(もとかわ・さきこ)

看護師:ガザでは看護マネジャーとして活動 ガザ南部の中核病院であるナセル病院で活動。熱傷や外傷に対応する病棟にて、約150人の現地スタッフの責任者を務めた。創傷ケアや感染予防など医療の質を管理するほか、プロジェクトの運営に不可欠な物資の調整や人事面の仕事も担った。 派遣期間:2024年7月18日~8月29日

植田 佳史(うえだ・よしふみ)

ロジスティシャン: ガザではホスピタル・ファシリティ・マネジャーとして活動 ガザ中部デールバラハでのアッザワイダ地区で 、MSFの仮設病院の建設に従事。物資の調達や上下水道の構築、空調や電気等のインフラ整備など、病院設備についての幅広いマネジメントも担った。 派遣期間:2024年7月16日~8月29日

ガザで見たこと──徹底的な破壊、劣悪な衛生環境、医療品の不足

徹底的な破壊 医療体制は事実上、崩壊している (萩原)

ガザに入ったときの第一印象は、徹底的な破壊がなされているということです。その破壊の程度は、過去、私がさまざまな紛争地域で活動してきた経験と比べても、全く違うスケールでした。建物をはじめ、あらゆるものが人間の手によって破壊しつくされているのです。 ガザの人口は約220万人、その多くがイスラエルが設定した「人道地域」という限られたエリアに追い込まれて暮らしています。そこは本来、非戦闘地域とされていますが、攻撃は続いています。人道エリアはもはや、安全な場所ではないのです。 しかし、人びとはそこから自由に移動もできず、生きるために必要な物資や水も、他者の手中に委ねられています。これはつまり、生きるための選択肢すら与えられていない、服従を求められている状況です。まさに集団的懲罰であり、到底人道的とは言えず、人間の尊厳としての問題であると感じました。 医療ニーズは高まる一方ですが、医療体制は事実上、崩壊しています。高度治療を担う中核病院の数は半減している一方で、多くの基礎診療所も閉鎖を余儀なくされています。そのため、数少ない中核病院に人があふれ、患者の収容能力を大きく超えてしまっているのです。

病棟にハエが飛び回り、廊下には患者があふれかえる (本川)

私がいたナセル病院は、かつて攻撃を受け、写真のように悲惨な状況になっていたそうです。その病室を何とかきれいにして使っていましたが、社会インフラが破壊されたため、病院の周りには大量の生活廃棄物が放置され、院内は常にものすごい数のハエが飛び回っていました。私がこれまで活動してきた紛争地の中でも、衛生環境はナセル病院が一番悪かったです。 そんな状況でも、病棟はいつも患者でいっぱいでベッドの空きはありません。熱傷・外傷病棟のベッド占有率は常に100%を超えており、廊下にも患者があふれています。そのため、手術を繰り返してやっと歩けるようになったような患者にも、離床できたらすぐに退院指示が出ます。

広範囲に傷が残る患者に、即座の退院指示が出たとき、退院後に住む場所がなく感染リスクが高かったため、退院を延ばしてもらったこともありました。ただ、それくらい早期退院を促さないと、病院が回らないのです。 外傷で一番多いのは「開放骨折」ですが、骨を固定する創外固定器が足りない。熱傷の手当てをするガーゼも足りない。医療品の不足に日々直面していました。また、本来なら高度治療室の入院が望ましい患者も、一般病棟で治療しなければいけないことがありました。

加えて、緊急手術は命を脅かす場合しか行えませんでした。そして、たとえ退院したとしても行くところがなく、病院の敷地内で寝泊まりしている人びともいました。

下水の氾濫とゴミの山 感染症拡大の引き金に (植田)

ガザに到着して、最初に思ったのは衛生環境が非常に悪いということです。特に気になったのは、いたるところで下水の氾濫が起きていることです。あふれた下水は、土を通して地下に浸透します。人びとは、井戸から地下水を汲み上げているので、下水で汚染された水を、生活用水として使っていることになります。 また、路肩のあちこちでゴミが山積みになっています。その中に「使えるものはないか」と、子どもから大人まで立ち入って、生活物資を探しているのです。

ポリオのワクチン接種キャンペーンが話題になりましたが、内部だと肝炎の報告もあり、水質汚染や不衛生な環境が、これらの感染症の原因、そして拡大につながることを懸念していました。

ガザで聞いたこと──爆撃やドローンの音、悲痛と希望の声

「今日も停戦に近づいた」 明日への希望をつなぐ (萩原)

私のチームには約300人の現地スタッフがおり、その中にはイスラエル軍からの退避要求が出ている区域に住んでいる人もいました。そのスタッフたちから「MSFの宿舎にどうにか住まわせてもらえないか」と頼まれることがありました。しかし、MSFとして、全てのスタッフとその家族を受け入れるだけの場所は到底、用意できません。その要望を聞くたび、非常に苦悩しました。 また、子どもたちは日々、戦闘機の爆音に耳をふさいでいるという話をよく聞きました。そして、絶え間なく飛ぶドローンの音で眠れない夜を過ごしています。ドローンの音が窓のすぐそばまで近づいてくると、大人の私でさえ、四六時中誰かに監視されているような気分になり、安心して眠りにつくことはできませんでした。 一方で、印象的だったのは、現地スタッフが言った「今日も一日停戦に近づいた」という言葉。いつが停戦の日になるかわからない。けれども、今日も停戦に近づいた。そう思うことで、希望を持つ──これが人びとにとって最大限、できることなのです。

すぐそばで空爆が起きても「病院は安全な場所」 (本川)

写真中央の女性は、爆発によって両手に複雑骨折を負い、娘である女の子(女性右側)は両足を切断せざるを得ませんでした。また、その際、一緒にいた女性のお兄さんは亡くなったそうです。 あるとき、MSFの男性看護師が、この女性は自分の妹だと教えてくれました。彼はその爆発で兄を亡くし、妹とその家族も負傷したショックで、2週間ほど仕事に来られなくなりました。しかし、同僚たちが気にかけてくれて前向きな気持ちになり、再び病院で働けるようになりました。
さらに、彼の両親は、彼が病院で勤務し、妹家族がナセル病院に入院していることを「とても安心している」と言ったそうです。

ナセル病院はイスラエル軍による退避要求エリアからわずか1キロメートル、昼夜を問わず空爆が起きているようなところです。それでも、ガザにおいては「病院は安全な場所」という認識なのです。

“失うものは何もない” それが人びとの日常── (植田)

現地スタッフは、大変な状況にも関わらず、明るく熱心に働いています。退避要求が出ると、勤務中でも急遽、「家族を避難させるために帰宅する」ということはよくありました。

私は心配して、その後に必ず声をかけるのですが、みんなもう慣れてしまったのか、「また場所を見つけたから大丈夫だよ」と平然としています。重い空気にならないよう、無理をしてでも明るさに徹しているのかもしれません。 現地スタッフの多くは、ガザ北部から避難してきていて、そこでの体験をよく聞きました。特に印象的だったのは、仲良くしていたドライバーのスタッフの話です。「家も破壊されたし、家族も何人か殺された。残っているものはもう何もないし、着の身着のままで逃げているから、いつ攻撃されたって、何も怖くないよ」。

彼の運転するトラックに揺られながら、この話を聞いたときは、“失うものは何もない”という生活が彼らの日常なのだと感じ、とてもショックでした。

厳しい状況下でも、力になれたこと──医療を提供し続けるために

持続性のある活動を守る スタッフや施設の安全確保も (萩原)

医療ニーズが膨れ上がっていくのに対して、病院はせっけんすら十分にないような物資不足、病棟は常に受け入れ能力を超えています。絶対的に何もかもが足りない、そして日々刻々と変わる情勢において、カギとなるのは「持続性のある活動」です。

医療活動は、1日だけ行えば終わりというものではなく、継続性が求められます。そのために、優先順位を見定め、実現可能な策を講じ、内部調整と外部機関との折衝を通じて実行に移すことが、私の役割でした。 ガザのような紛争地域で持続性を維持するには、安全確保が何より重要です。具体的には、MSFの医療施設や活動場所の情報をイスラエル側に共有しておくことや、有事の際の一時避難場所の設定、移動時のリスクを下げるためのルール作りやルートの選定などを行いました。 実際、突発的な非常事態で、大量の患者が一気に病院に押し寄せることは多くありました。その場合、事前に練っておいた対応策を、状況に応じて実行します。

また、将来想定されるシナリオを描く──状況の悪化はもちろんですが、一方で停戦も大きく情勢が動くときで、当然、医療ニーズも変わってきます。さらに、停戦後を踏まえた策も考えていました。

医療の質を管理 医薬品の代替案作成や消費予測も (本川)

ナセル病院での私の看護マネジャーとしての役割は、大きく分けて「医療の質の管理」と「プロジェクトの運営」に関わることです。 「医療の質の管理」では、患者のモニタリングや薬の投与、創傷ケアなど、看護師が行う医療行為がグローバルスタンダードに達しているかをチェックしていました。

必要に応じて指導も行いますが、ガザは元々教育水準が高いので、看護師のレベルも非常に高かったです。間違いを見つけても、それぞれのチームのリーダーに報告すれば、必ずフォローアップされていました。 「プロジェクトの運営」では、現地スタッフ約150人の責任者として、人事の仕事にも多く携わりました。加えて、医薬品や医療材料が足りない中、「この薬がないときは、どの薬が代用できるか」という医療物資の代替案作成や消費予測も行いました。また、他のNGOや世界保健機関(WHO)と協働し、ハエ等の害虫対策の提案書を作成しました。

仮設病院をオープン 物資調達と下水道整備に苦慮 (植田)

ホスピタル・ファシリティ・マネジャーとして、ガザ中部デールバラハにMSFの仮設病院をオープンするというのが私の役割でした。病院の建設に加え、上下水道の構築、空調や電気等のインフラ整備、医療設備のマネジメントも行いました。 最も困難だったのは、物資の調達です。建設に使う資材や医薬品や医療機器など、必要最低限なものでさえ手に入れるのは難しく、MSFのサプライチームや現地保健省と交渉し、各地から物資をかき集めました。物資は確保できても、それを載せたトラックが検問所でイスラエルによって止められ、建設に遅れが生じることも多々ありました。 もう一点、下水道の構築も大きな課題でした。仮設病院から出る下水のパイプを、街の下水システムにつないでしまうと、路上の下水の氾濫をMSFが引き起こしかねません。結果として、病院から約1キロメートル離れた下水システムにつなぎましたが、そこまでの地面を掘り起ってパイプを通す作業も、長いパイプを供給できるサプライヤーを探すのにも苦労しました。現地スタッフや建設業者、保健省のコネクションを総動員して、やっとの思いでパイプラインを構築しました。 そして8月26日に開院し、患者の受け入れを始めました。27日に救急、29日には外来、そして、現在では手術室とICUもオープンし、運営を続けています。設備としては、一般的な病院に比べると程遠い状態ですが、患者や働くスタッフの明るい表情を見て、開院できて本当に良かったと思いました。

ガザで感じたこと──人びとへの思い、停戦への願い

子どもは憐みの犠牲者じゃない 希望であるべき (萩原)

私が管轄する診療所を訪れたときのことです。入り口に立つと、歓声と手拍子が聞こえてくるんですね。それはMSFスタッフが企画した、子どもたち向けのレクリエーションでした。

そこで子どもたちがダンスを楽しむ姿、その賑やかな声を聞き、明るい笑顔を見たとき、やはり子どもたちは、憐みの犠牲者ではなく、希望であるべきだと、強く感じました。

生き延びるのも大変な現地スタッフが、市民を救っている (本川)

ナセル病院の大部屋には、手術を待っている患者があふれています。通常、ベッドとベッドの間は1.5メートル以上のスペースを設けなければいけませんが、ここでは1メートルもないくらいでした。

この密集と衛生環境の悪さ、そして暑さも相まって、病室の空気はよどみ、むせかえるような臭いが充満していて、患者の傷からは血が染み出し、そこにハエがたかっているのです。

19世紀にナイチンゲールは感染症を予防するため「患者を密集させない」「換気をよくする」「清潔を保つ」ということを提唱しました。まさかこの時代に、ナイチンゲールのやっていたことが実践できていないなんて──この現実に、非常にショックを受けました。

そして、現地スタッフはテント生活を余儀なくされ、自身も生き延びるのが大変な状況です。銃撃が聞こえれば床に伏せ、逃げなければいけない時に備えて、外用の服を着て寝ています。家族を失った人もいれば、同僚を自分の手の中で看取った人もいます。

そんな中でも、病院に来て、一生懸命に働いています。ガザ市民の命は、そんな彼らが救っているのです。

一時的な停戦ではなく、根本的な解決策を (植田)

退避要求によって、元々限られている人道地域の、さらに限られた場所に人がどんどん押し込められています。そこでは衛生環境の悪化が、感染症の原因にもなっています。このような状況を終わらせるには、停戦と状況の改善が必要です。

ただ、歴史的経緯から見ても、単純な停戦ではまた同じ紛争状態が繰り返されるでしょう。それが個人的には一番恐れていることです。一時的な停戦ではなく、もっと根本的な解決策を、国際社会が一丸となって模索していかなければならないと思います。

MSFが訴えること

会見ではそれぞれの報告の後、萩原から「MSFが訴えること」として、以下の点を改めて求めた。

【特集】ガザ、紛争激化からの1年

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