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「もし自分が国を追われ、逃げることになったら」 国境なき医師団のスタッフが語る、ロヒンギャのこと

国境なき医師団 / 2024年10月17日 17時7分

マレーシア、ペナンで活動に従事するMSFのスタッフ Ⓒ MSF

マレーシア北西部に位置するペナン州。国境なき医師団(MSF)は、ここで主にロヒンギャの人びとを対象に、基礎医療や心のケアを提供している。

MSFのペナンにおける活動に欠かせない存在が、ロヒンギャのボランティアスタッフだ。ミャンマーやバングラデシュからマレーシアを目指し、危険な船旅を試みる人びとと同様、彼ら自身もマレーシアにたどり着くまでに、さまざまな困難と苦しみを経験してきた。

この夏、ペナンのプロジェクトを訪れたMSF日本のスタッフが、診療所で働くMSFのチームに話を聞いた。医師、心理士、カウンセラー、ロヒンギャのボランティアスタッフ──。それぞれの立場から語る、ロヒンギャの姿とは。

ロヒンギャはどこにいても危険と隣り合わせです。ミャンマーでもタイでも、マレーシアでも

ミャンマー・ラカイン州の出身です。5歳のときに国を出て、6歳からマレーシアで暮らしています。小さなボートで出発し1週間、海を漂流しました。旅の終わりを告げるかのような大きな波に何度もおそわれました。ジャングルを抜けてたどり着いたタイでは、わずかなお金を元手にティッシュや花を売りました。母と3人のきょうだいでがんばったものです。その後、すでにマレーシアにいた父が私たちをタイまで迎えに来て、マレーシアに連れてきてくれました。

ロヒンギャはどこにいても危険と隣り合わせです。ミャンマーでもタイでも、そしてマレーシアでも。人間としての尊厳や権利、仕事や教育、精神的・肉体的に保護されること。そのすべてが、私たちにはありません。私は教育を受ける機会がありませんでしたが、いまでは自分のたどってきた旅が、自分の学位だと思っています。すべての経験が私という人間を作り上げてくれました。いま、MSFを通じて自分のコミュニティをサポートできることに喜びを感じています。

私たちは女性のため、子どものため、そしてすべての弱い立場に置かれた人びとのためにここにいるのです。

ヌール・バル・ヌール・イスラムMSFのロヒンギャ・ボランティアスタッフ/性別およびジェンダーに基づいた暴力(SGBV)を担当する、コミュニティ・ケースワーカー

私たち一人一人がロヒンギャを知る必要がある

私はマレーシアのペナンで育ちました。以前は保健省が運営する病院で働いていましたが、医療を切実に必要としている人たちの力になりたいと思い、MSFで働くことを決めました。ここでは、主に女性と子どもを対象に基礎医療と心のケアを提供しています。診療所での活動のほか、移動診療も行っています。MSFは、ロヒンギャやその他の非正規の立場にある人びとのニーズに目を向け取り組んでいる、数少ない医療機関のひとつです。もし私たちの活動がなければ、ここに暮らすロヒンギャの人びとは医療を受けることができません。

ロヒンギャの危機は長い間、続いています。でも、なぜ彼らが故郷を追われることになったのか、いまミャンマーで何が起きているのか。その歴史や背景を多くの人は知りません。

知らないことが、ロヒンギャへの差別と偏見を生み出し、彼らの生活をより一層困難なものにしています。

私は、多くの人がロヒンギャの直面している問題について知り、お互いに話してほしいと思っています。この危機は私たちの国でも起きていること。私たち一人一人がロヒンギャを知る必要があるのです。

セイシャドリー・クマラグルMSFの医師

もし自分が国を追われ、どこかに逃げなくてはならないとしたら──

移民収容センターにいる人びとにカウンセリングを通した支援を提供しています。多くはミャンマーやバングラデシュから逃れ、マレーシアにたどり着いたロヒンギャです。訪問する収容センターには、それぞれ600人から800人が収容されており、女性や子どももたくさんいます。人びとは何カ月にもわたる旅の中で、時には性暴力の被害に遭い、虐待やトラウマになるようなことを数多く体験しています。そのため、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症するリスクがとても高いのです。また、どこにも行けず、未来の見えない絶望的な日々も人びとの心に深刻な影響を及ぼしています。

収容センターでは、3歳くらいの子どもたちが私のことを「ママ」と呼ぶことがあります。

なぜ、子どもたちは私たちMSFのスタッフにとてもなつくのでしょう?それは私たちが彼らを人間として扱い、接しているからです。

もし自分が国を追われ、どこかに逃げなくてはならないとしたら──。想像ができません。自分には頼るべき国がないなんて。そんな過酷な人生を、ロヒンギャはずっと強いられています。

ビグネスバリ・バーギンゴマMSFのカウンセラー

自分が難民の人びとよりも、恵まれた状況にいると感じるのなら

心理士として、診療所での心のケアや、移動診療、地域へのアウトリーチ活動に携わっています。私たちが医療を提供している難民の人びと、特にロヒンギャや他のミャンマーの少数民族は、現在のミャンマーの状況に非常に心を痛めています。また、都市部の難民が置かれた状況は長期化しており、彼らは仕事や食事、住む場所さえもままならない中、絶え間ない不安にさらされています。ボートに乗ってマレーシアまで来たことを後悔している人もいます。

バングラデシュでは、マレーシアに到着すれば、教育が受けられ、どこにでも行くことができる。そんな誤った情報が広まっているため、現実とのギャップによるショックが大きいのです。

誰も想像すらしていなかったのです。あんなにも辛い旅の末に、拘束される恐れがあること、仕事や収入がないこと、そして自分たちが歓迎されないことを──。もし、いま自分が難民の人びとよりも恵まれた状況にいると感じるのなら、ロヒンギャに何が起きているかを知ること、そしてその苦しみを認め、考えることが大切です。

バワニー・ラジェンドランMSFの心理士

食料も水もなく、多くの人が目の前で亡くなった

2012年、故郷のミャンマー・ラカイン州で衝突が起きた時、私はまだ高校生でした。危険を察知した母から、バングラデシュに逃げるように言われたのです。難民キャンプに滞在し、その後バングラデシュから小さなボートで出発しました。食料も水もなく、多くの人が目の前で亡くなりました。希望を失い、あきらめかけた時にアンダマン海の小さな島に漂着したのです。そこからタイに強制送還され、マレーシアにたどり着きました。 いまはMSFのボランティアスタッフとして、患者のサポートや通訳・翻訳、必要な医療への紹介などに携わっています。マレーシアに来て11年になりますが、新型コロナウイルス感染症の流行の後から、生活の厳しさを感じています。難民に対する憎悪やゼノフォビア(外国人嫌悪)が広がり、特にロヒンギャが標的にされています。私は、難民としてたどり着いた人、移民収容センターで拘束されている人たちの気持ちを理解できます。私自身も同じ経験をしてきたからです。

私たちロヒンギャは、命を守るために故郷を離れた時から、人びとの想像をはるかに超える苦しみをずっと味わっているのです。

ムヒブッラー
MSFのロヒンギャ・ボランティアスタッフ/コミュニティ・ケースワーカー

自分は殺されるのか、生き残れるのか──その恐怖の中で

ミャンマー・ラカイン州のマウンドー出身です。ミャンマーではロヒンギャに対して厳しい移動制限があります。そのため大学には2週間しか通えませんでした。2012年に衝突が起こり、国を離れることを余儀なくされました。衝突が起きた当時、当局は教育を受けた人びとを標的にしていました。ミャンマーからマレーシアへの旅は、まるで悪夢のようでした。食料もなく、人身売買業者による拷問もあります。いまこの瞬間に自分は殺されるのか、生き残れるのか──そんな恐怖の中にいました。 マレーシアにたどり着いた後にMSFのトレーニングを受け、カウンセラーになりました。いまはロヒンギャの暮らす地域を訪れ、メンタルヘルスの大切さを伝える啓発活動にも携わっています。私は特に男性の心のケアを担当しています。私たちのコミュニティでは、男性が感情を表に出すことはめったにありません。おそらく、文化的・伝統的な影響もあるのでしょう。

長い間、私たちロヒンギャにはとても多くの悲劇が起こりました。2012年の衝突では、たくさんの無実の人が拘束されました。彼らがまだ生きているのか、すでに亡くなったのか。いまも誰も知りません。

ムハンマド・アヌール
MSFのロヒンギャ・ボランティアスタッフ/カウンセラー

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