レバノン:故郷を追われ、最低限の物資もない──アザリエ避難所の人びとが直面する苦労と悲しみ
国境なき医師団 / 2024年10月23日 18時13分
レバノン・ベイルートの中心部に建つビル、アザリエは今、イスラエルの爆撃で住まいを追われた人びとの避難所となっている。周囲はベイルートのショッピングやビジネスの中心地。このビルもオフィスや商業施設などが入居していた著名な建物だ。しかし、続く不況とイスラエルの攻撃などで、今は活気を失っている。
レバノン当局によると、アザリエ避難所には現在、2500人以上が暮らしている。ここはもともと長期居住を目的に作られたものではないため、状況は悲惨であり、人びとは十分な物資や最低限の必需品もないまま、苦しい生活を強いられている。レバノン国内には、こうした避難所が800以上できている。
避難所の人びとの医療ニーズに対応するため、国境なき医師団(MSF)は移動診療を行っている。特に影響を受けた子どもたちに向けて、基礎医療と心のケアを提供している。さらに、衛生用品、マットレス、毛布など必要な物資を配布し、弱い立場にある人びとの生活環境の改善を支援している。
故郷を追われ、アザリエ避難所での暮らしを余儀なくされている人びとの苦労や悲しみとは──。
冬の雨と寒さの中で、暮らしていけるのか──イマド・ハシェムさん(55歳)
イマドさんは妻、妹、息子、いとことともに、レバノンのベイルート南部郊外に住んでいた。
9月27日のイスラエルによる攻撃で、ヒズボラ最高幹部のハサン・ナスララ書記長が死亡した後、イマドさんは、この地域の治安が悪化し始めていることに気づいた。イマドさん家族は、いつも持ち歩いている身分証明書をはじめ、運べるだけの荷物を抱えて、ベイルート南部からアザリエに避難した。
イマドさんによると、マットレスや毛布を見つけるのには数日かかったが、アザリエ避難所では定期的に食料が配給されるため、なんとか生き延びることができているという。しかし、一家の父親として、避難所の生活環境──特に、これから冬が到来し、雨と寒さがやってくる中で、家族が暮らしていけるのかを心配している。また、がんを患っているいとこが、2日間も治療を受けられずにいることも気がかりだ。 「以前は公立病院で治療を受けていましたが、今はどうすれば治療を受けられるのかわかりません」
イマドさんは数日前に自宅の近所を訪れることができた。家が壊されていないことを確認できたので、いつか戻りたいと願っている。
「レバノンを離れたくはありませんが、息子と妻を養わなければなりません」
生活の安定を取り戻す唯一の方法が離れることであるなら、そうするしかないでしょう。しかし、どこを目指し、どうやって行けば良いのか、わからないのです。
女性としての特別な安全対策を取らなければならないエズディハール・アル・ディカールさん(39歳)
レバノン東部バールベック出身のエズディハールさんは、夫と14歳の娘、17歳の息子とともにベイルート南部郊外に住んでいた。最初の空爆がこの街を襲ったとき、一家は当初、状況はすぐ正常に戻るだろうと期待して、この街にとどまることを決めた。しかし、9月28日午後10時半頃、一家が夕食をとっているときに、近隣への攻撃が迫っているという警告を受け、避難を決意した。 エズディハールさんの夫は、母親の世話をするため山岳レバノン県へ移動した。母親の健康状態を考えると、過密している避難所に居続けることは容態を悪化させる可能性があるため、夫とその兄弟は母親と一緒に別のアパートに移ったのだ。
一方のエズディハールさんは、2人の子どもを連れてレバノン南部郊外を離れ、近隣住民14人とともにベイルート中心部へ向かった。避難場所がわからなかったため、一行は最初の夜を路上で過ごし、その後、かつては賑やかな市街中心部の商業ビルだったアザリエ避難所に身を寄せた。
そこで2週間を過ごしたが、彼女は避難所が安全だとは感じられず、爆撃から逃れるためにはどこに行けばよいのかも分からなくなっていると語る。
「昨日、ベイルート中心部でイスラエル軍の攻撃があった直後に、大きな爆発音が聞こえました。ここから2キロも離れていない場所です」
避難所での行動に気を付けたり、避難所内にある家族の小さなスペースのドアにも鍵をかけたりするなど、女性としての特別な安全対策を取らなければならないと感じている。
また、エズディハールさんはこれらの困難に断固として立ち向かい、事態が正常に戻ることを願っているが、母として、子どもたちに紛争の影響が及んでいることを目の当たりにしている。
「私の娘はまだ14歳です。乗り越えなければならない数々の困難の中で、彼女は空爆などの状況にも、年齢を感じさせない成熟した対応をすることがよくあります」
娘はこの状況に適応するため、急速に成長しなければならなかったのです。
生後8カ月の息子の健康状態が心配アッバスさん(28歳)
シリア出身のアッバスさんは、妻と両親とともに安全を求めてレバノンにやってきた。ベイルートで警備員をしていたが、紛争が始まると職を失ってしまった。
一家はベイルート南部郊外に住んでいたが、爆撃から逃れるためにこの地域を離れることを決意。 路上で数夜を過ごした後、アザリエ避難所に移り、そこでルームシェアをして暮らしている。
アッバスさんは、生後8カ月の息子アミールの健康状態がとても心配だと語る。
「アミールは熱を出していて、ここに来てから何度も具合が悪くなっています。 ミルクもオムツも底をつきそうです。 そして、泣くことも多くなりました。環境の変化と、特に爆撃の騒音で、不安な状況を感じているのだと思います」
アッバスさんは、より良い生活を望んでシリアを離れた。しかし、今は追い詰められたと感じている。
安全を求めてレバノンに来ましたが、ここではさらに弱い立場に立たされていることがわかりました。
シリアの家は破壊され、経済状況のせいで仕事に就くこともできず、彼が今、祖国に戻ることは不可能に見える。
平和な未来のためには、どこへ行っても構わないゼイナブ・オゼイルさん(29歳)
ゼイナブさんは、ヒズボラのナスララ書記長が殺害された翌日、夫と子どもたちとともにベイルート南部郊外を離れた。当初、一家は北に向かったが、その地域から立ち去るように言われ、歓迎されていないと感じたため、ベイルートに引き返すことにした。
その途中、避難民のためのアザリエ避難所に落ち着き、夫婦は4人の子ども──ヘレナ(8歳)、アフマド(7歳)、アッバス(生後2カ月)、アミル(生後1カ月半)とともに、10平方メートルの部屋で暮らしている。
ゼイナブさんは、愛する家族や家と離れて以来、圧倒的な不安感に襲われていると語る。
ここでの未来はもう想像できません。 紛争が終わったとしても、私たちの故郷には何が残るというのでしょう。 家族や友人は生き残ることができるのでしょうか?
2006年の紛争を生き抜いたが、現在の状況はもっと憂慮すべきものだという。さらに、紛争が子どもたちに与える影響も心配している。ヘレナとアフマドは学校に入学したばかりだったが、紛争が始まって以降、二人はいつ学校に戻れるのかと母親に尋ねる。
そして何よりも、紛争は子どもたち一人一人の“心”に負担をかけている。ゼイナブさんも悪夢にうなされ、わずかな物音で目を覚ます夜が続いたと語る。
避難所から2キロメートル離れたビルにイスラエル軍の爆弾が落ちたとき、子どもたちはもっと安全な場所に移動しようとゼイナブさんに訴えた。
彼女も当然、ここを去りたいと願っている。子どもたちの安全が確保され、平和な未来が待っているのであれば、家族でレバノンを離れ、どこへ行くことになっても構わないと考えている。
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