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世界の「広さ」を知る経験に──産婦人科医として向かったナイジェリアで

国境なき医師団 / 2024年12月16日 17時20分

窪田 葵

職種

産婦人科医

活動地

ナイジェリア

活動期間

2024年8月~10月

医療従事者の両親の影響もあり医師の道へ。大学病院の医局員として7年勤務した後、2024年に国境なき医師団に参加。初回のアフガニスタンに続きナイジェリアが2回目の派遣となる。(写真・本人左)

「かっこいい」国境なき医師団へ

海外で活動してみたい──。大学病院を退職し次は何をしようかと考えていたタイミングでふと浮かんだのは、そんな思いでした。医師の父が国境なき医師団(MSF)への寄付を続けていたこともあり、MSFは子どもの頃から身近で「かっこいい」存在でした。旅行ではなかなか行けないような国で働ける。そんなところも応募の決め手になりました。

応募時の一番の不安はやはり英語です。それまでの海外経験は、父の留学に家族で帯同した1年間のアメリカ生活のみ。小学1年生の時の滞在だったため、仕事で英語を使いこなす、というレベルではありません。半年間ほど語学学校やオンラインレッスンなどを駆使し、使える時間を全てつぎ込んで英語の勉強にあてました。 初回のアフガニスタンでも、2回目のナイジェリアでも、言葉に関しては意外と問題なく過ごせました。海外派遣スタッフ同士だと、英語の堪能な人がフォローしてくれることも。また、現地スタッフの中には英語が苦手な人もいるため、簡単な言葉を使い、できるだけ簡潔に伝えることが求められます。

大切なのは語学を極めることよりも、コミュニケーション力。また、活動中は英語しか使わないため、どうしたって英語力は鍛えられました。

洪水で患者が減った その理由は

今年の8月から10月まで派遣されたのは、ナイジェリア北東部ボルノ州の州都マイドゥグリ。長引く情勢不安に加え、栄養失調の危機にも直面している、人道状況が深刻な場所です。MSFはマイドゥグリで栄養治療センターを運営し、5歳未満の栄養失調児への対応を行っています。今年6月、新たに産婦人科のプロジェクトが立ち上がり、産婦人科医として活動に参加しました。

病院で見るのは主に重症患者です。周囲にはMSFの助産師が働く診療所が8つほどあり、そこでの対応が難しい患者が病院に搬送されてきます。地域的に妊娠高血圧症の患者の割合が高く、またマラリアに罹患している妊婦さんも多くいました。運ばれてくる重症患者のほとんどが、けいれんや意識障害を伴う子癇発作(しかんほっさ)を起こしており、日本ではほぼ見ない症状に驚きました。

原因として考えられることの一つは、妊婦検診などの産前ケアが十分ではないこと。そもそも多くの人が出産に対し「家でできるのに、なぜお金をかけて病院で?」という感覚を持っており、積極的に病院に来ようとしません。健康に対する意識や文化的背景も、妊産婦を取り巻く状況に大きな影響を及ぼしていると感じました。 また、私の派遣期間中にマイドゥグリでは大規模な洪水がありました。大雨によりダムが決壊したのです。

洪水は家屋や畑、医療施設などに甚大な被害をもたらし、数年ぶりの未曽有の大災害に現地スタッフも驚いていました。

洪水後、8カ所ある診療所のうち稼働できる場所は2カ所ほどに縮小。そのため、スタッフが皆大忙しで対応に追われる中、病院に搬送されてくる患者ががくんと減り、医師の自分は暇になってしまいました。しかし、それは患者の数自体が減ったことを意味しません。患者が医療へのアクセスを失ったため、そのような状況が生まれてしまったのです。医療施設にたどり着くことができず、どこかで亡くなってしまった人がどれだけいたのか──そう思うと胸が痛みました。

お互いに教えたり、教わったり

病院では現地スタッフの助産師や看護師の指導に当たりながら、入院患者の回診を行っていました。スタッフは知識や技術の点では、日本と比べると向上の余地がある部分もあります。それでも前向きな姿勢で学び、めきめきと成長していく姿は頼もしかったです。お互いに教えたり教わったりしながら、とても良い関係性の中で仕事ができました。

実は、最初に派遣されたアフガニスタンでは、人間関係に非常に苦労しました。今思えば、その時はやはり自分が言い過ぎてしまうところがあったように思います。その反省を生かし、今回は「言い過ぎない」「でも、言うべきところはしっかり言う」などと決め、結果的にスタッフと信頼関係を築くことができたのだと思います。

11人の子どもを育てるスタッフ

私自身がマイドゥグリで身の危険を感じることはありませんでした。MSFは長い間この場所で医療・人道援助活動を続けており、地域社会からしっかりと受け入れられていたからです。MSFが信頼されているとはいえ、この地域は全体として「平和で安全」に暮らせる場所とは言えず、現地の人びとは多くの困難に直面していると感じることもありました。

現地スタッフの一人に、子どもを11人育てているという方がいました。話を聞くと、全員が自身の子どもではなく、武装勢力に殺されてしまった弟の子どもが5人、交通事故で亡くなった妹の子どもが4人とのことでした。彼らを引き取り、自分の実子2人とともに育てているというのです。紛争の影響で家族を亡くした。そのような話はほかのスタッフからもたくさん聞きました。

紛争や自然災害、治安の悪化により、ある日突然すべてを失ってしまうかもしれない──。現地の人びとの間には、そのような恐怖がいまも現実のものとして存在しているのだと感じました。

「日本の当たり前」ではない働き方に触れて

実際にMSFの活動に参加してみると、意外なこともたくさんありました。医療従事者だけではなく非医療職のスタッフもいることや、多くの現地スタッフがいることにも驚きました。海外派遣スタッフについても、欧州や米国の出身者を想像していましたが、そんなことはありません。南米のブラジルやアルゼンチン、中東で現地スタッフとして働き始めて海外派遣スタッフになった人も。MSFの活動を通して、世界の「広さ」を知ることができました。

海外派遣スタッフの働き方の多様さにも刺激を受けました。月曜日から金曜日まで休みなく働き、場合によっては土日も仕事して……。そんな「日本の当たり前」をやる人は少ないくらい。

皆、自分の人生の時間を上手にやりくりして、MSFに参加しているのです。さまざまな働き方を目の当たりにし、仕事に対する考え方も変わりました。

私はもともと女性医学に関心があり、産婦人科医の道を選びました。MSFの活動地は産科医療のニーズが高いため、当分はMSFでの活動を続けたいと思っています。また、活動地では女性の産婦人科医も必要とされています。文化的な背景から男性医師が女性を診察することが難しい地域もあるためです。日本で働く女性も、興味があったらぜひ挑戦してみてほしい。一度経験すると、自分の世界がぐんと大きく広がります。

活動地のひとコマ──ナイジェリア編

癒しアイテムのサックスでセッション 中学生の頃から吹奏楽部でサックスを演奏していたので、派遣用に電子サックスを持っていきました。部屋でこっそり吹いていましたが、途中で皆にバレて「セッションしよう!」と引っ張り出されてしまいました(笑)。スタッフの中にはだいたい一人はギターを弾ける人がいます。

手術室看護師はみんな男性 産科病棟にいるスタッフは全員女性でしたが、手術室看護師は全員男性。手術室に行くと小柄な自分のほかは屈強な男性陣がずらり、というチーム編成でした。

シェフが作ってくれるごはん 滞在していた宿舎にはシェフがいて、昼食と夕食を用意してくれました。お昼休みは一度病院から宿舎に戻って昼食をとります。いつもおいしくいただきました。

産婦人科医としてMSFで活動したい方は……

主な業務内容、応募条件など、

詳しくは『産婦人科医』のページへ!

産婦人科医のページを見る

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