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失った苦しみを抱えながら生きる──難民として渡ったチャドで働く、国境なき医師団スタッフからの手紙

国境なき医師団 / 2024年12月26日 17時7分

チャドのアドレにある一時滞在キャンプで、国境なき医師団の医療活動について説明するヘルスプロモーターのアイシャ(中央) © Ante Bussmann/MSF

国軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間で、1年以上にわたり紛争が続くスーダン。人びとは空爆や銃撃、略奪、性暴力といった絶え間ない暴力に直面している。その結果、790万人が国内避難民となり(2024年、国際移住機関)、210万人以上が国境を越えて近隣諸国に避難した(2024年、国連人道問題調整事務所)。

今回はスーダンの西隣チャドに避難を強いられた女性、アイシャが綴った手紙を紹介する。アイシャはスーダンからチャドのアドレに逃れ、避難民が暮らす一時滞在キャンプにたどり着いた。そして現在は、キャンプ内で国境なき医師団(MSF)のヘルスプロモーターとして働いている。
チャドまでの過酷な旅を乗り越え、今なお危機の中を生きながら、人びとの命を守るためにMSFの活動に携わる彼女からのメッセージとは──。

MSFヘルスプロモーターとして働くアイシャからの手紙

紛争ですべてが変わってしまった

私はアイシャ・B、西ダルフール州ジェネイナ出身の28歳です。紛争ですべてが変わってしまいました。それまで私は、不自由のない暮らしを送っていました。社会学と都市開発の勉強を終えた後、数年間NGOで働きました。現在はMSFのヘルスプロモーターとして、アドレの一時滞在キャンプで、健康教育や利用できるサービスについて人びとに伝える仕事をしています。

今、この手紙を書いている間にも、70万人以上もの人びとが、私や私の家族と同じように、スーダンからチャドに避難しています。

私たちはみな、服や写真、現金など、必要最低限のものしか持っていけませんでした。

チャドまでの旅は悪夢のようでした。村が焼け落ちていくのを見たり、銃声を聞いたり、武装した男たちから身を隠したり、そして、数えきれないほどの検問所を通過しました。

チャド東部にたどり着いた頃には、私はほとんどすべてを失っていました。

兄と母とともに国境を越えてから、1年以上が経ちます。私たちは30キロメートルもの道のりを猛暑に耐えながら歩き、その間ずっと、攻撃や地雷、そして拘束される恐怖と隣り合わせでした。家族が一緒にいてくれなかったら、私は歩き続けることはできなかったでしょう。

ようやくアドレの街の近くの一時滞在キャンプに到着したとき、そこにはほとんど何もなく、数張りのテントと低木が点在する、ほこりっぽい平原が広がっているだけでした。少しずつトイレや給水所が建設され、援助団体が食料の配給を始め、私たちの支援をしてくれました。

しかし、これほど多くの人びとが突然一カ所に集まり、人道援助に全面的に頼らざるを得ないとなると、生活は当然、厳しいものになります。
スーダンで紛争が始まって以来、アドレの人口は6倍以上に増加しました。難民の多くは疲れ果てていて、病気にかかっている人や、中には重傷を負っている人もいました。

MSFはキャンプ内に診療所を開設し、移動診療や心のケア、水の供給など多くのサービスを提供していました。そこで初めて、私はMSFの存在を知ったのです。

混沌の中で、私ができることは──

毎朝、私が仕事を始めるときにはすでに、多くの患者が診療所の前で待っています。私は彼らの症状を聞き、適切な病棟に案内します。ここでは多くの言語が話されているため、コミュニケーションが大きな課題となっていて、私は医療チームと患者をつなぐ役割を担っているのです。 朝に来院した大勢の患者の治療が終わると、私は急性栄養失調の子どもたちが入院している病棟へ移動します。そして、保護者に治療の仕組みや最善のケアの方法、再発防止策などについて説明します。また、栄養失調の原因、下痢やマラリアなどの病気から子どもを守る方法についても伝えます。

時には、ただ彼らの声に耳を傾けるだけでも、助けになることがあります。

誰もがそれぞれに、辛い物語を背負っています。紛争で失う苦しみを味わった人はみな──私もその一人です。私たちは恐ろしい経験をし、家を離れなければならなかったのですから。

最近、マナヒル・Mさんが生後5カ月のサバハちゃんを連れてMSFの診療所にやって来ました。マナヒルさんは到着後まもなく高熱を出して、意識を失いました。私たちは彼女の家族の誰かと至急、連絡を取る必要がありました。 医師がマナヒルさんを診察している間、私は彼女の携帯電話でどうにかマナヒルさんの夫に電話をかけました。夫はすぐに駆けつけてくれました。そして、私は同僚とともにサバハちゃんの世話をしました。この子は幸いにも元気でいてくれました。 マナヒルさんはマラリアと重度の脱水症状と診断され、点滴と治療薬が投与されました。20分もしないうちに彼女は意識を取り戻しましたが、とても弱っており、ぼんやりとしていました。夫は彼女の手を握りながら、サバハちゃんのケアをしました。 治療が功を奏し、マナヒルさんの状態は安定し、夕方には退院することができました。私は本当にほっとしました。彼女が助からなかったら、夫と幼いサバハちゃんにとってどれほど耐え難いことだったでしょう。

このような時こそ、家族の大切さがより深く感じられるのです。

仕事に集中する以外、選択肢はない

こういったことは、私が日々関わっている多くの家族のうちの一つに過ぎません。テントや一時的なシェルターさえ持っていない人びとも大勢います。このような環境に、心が痛みます。

国際援助は、多くの人びとが流入している状況にまったく対応できていません。食料の配給も不十分です。

子どもたちの多くが深刻な栄養失調に陥っており、私たちは栄養治療食を使って治療を行っています。 スーダンの状況はさらに深刻です。故郷からのニュースを聞くたびに、まだそこにいる友人や親族を思い、胸が痛みます。国連によると、スーダンでは約2500万人が危機的な飢餓に苦しんでいます。これは、スーダンの人口の半分に相当します。 激しい戦闘の中、MSFはスーダン各地で援助を提供するために、全力を尽くしています。紛争が始まったころ、多くの負傷者が国境を越えてアドレにやって来ました。当時、MSFは市内中心部に手術室を備えたテント式の病院を設置し、24時間体制で医療にあたりました。そして、数えきれないほどの命を守りました。 前線が移動したため、アドレに来る負傷者は減っていますが、戦闘そのものは続いています。私はスーダンに残っている親族のことが、いつも気がかりです。

でも、私にはここでの仕事に集中する以外に選択肢はありません。日々の仕事に没頭することで気を紛らわし、目的意識を持つことができます。

私にとって仕事は、家族を養う収入を得ること、それ以上に、人びとの助けになることです。私はこの地で暮らすすべての人びとを支援するために、懸命に働くチームの一員であることを、幸運に思っています。

私たちにとって、今は困難な時期です。しかし、お互いの話を聞き、思いやりを持つことで、私たちは多くのことを達成することができます。私たち難民は、お互いに支え合う、一つの大きな家族のようなものなのです。

どこに住んでいようとも、私たち全員に共通することが一つだけあると信じています。それは、私たちの人生には、親しい人や頼れる人が必要だということです。特に困難な状況においては──。

私のこの手紙を、どこで誰が読むのかは分かりません。しかし、チャドから、そしてスーダンから、皆さまにどうかこのメッセージが届きますように。
心を込めて アイシャ・B

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