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名言ななめ斬り! 第77回 オノ・ヨーコの名言「最後のところで、私は生きちゃう」-ジョン・レノンを惹きつけたのはヨーコの強さか

マイナビニュース / 2024年5月28日 7時5分

画像提供:マイナビニュース

「あの人は殺しても死なない人だ」なんていうことがありますが、もちろんこれは比喩表現です。それくらい強心臓かつ強いキャラクターを持っていると意味ですが、世の中には本当に殺されてかけて、かつ命を落とさない人もいるのです。

その人の名は、オノ・ヨーコ。ビートルズのボーカル、ジョン・レノンの妻だった女性です。ごぞんじのとおり、ジョン・レノンは1980年にニューヨークの自宅前でファンの男性に銃で撃たれて亡くなっています。「オノ・ヨーコ 今あなたに知ってもらいたいこと」(幻冬舎)で、ヨーコはこの暗殺を下記のように振り返っています。

あの日、ジョンが撃たれたすぐあと、こちらに向けて弾が飛んでくるのが見えました。本当に一瞬のことでしたが、弾が向かってくるのを見たんです。横にずれていたから、私には当たりませんでした。狙った人は、まず初めにジョン・レノンを、そしてその次にヨーコをやろうという考えだったのでしょう。

世界一有名なミュージシャンとの結婚、そして暗殺とドラマや映画のような人生のオノ・ヨーコとはどんな人生を歩んできたのか。オノ・ヨーコ自身による「ただの私(あたし)」(講談社文庫)をもとにご紹介したいと思います。
○超簡単にふり返る、オノ・ヨーコの半生

母方の親戚に安田財閥の祖、安田善次郎、父は日本興業銀行総裁。ヨーコの家系図をたどっていくと、彼女が貴族と大商人の血を引く超お嬢様であることがわかります。世が世なら、お妃候補になってもおかしくないようなお家柄ですが、父親の仕事の都合で渡米したことが彼女の運命を変えます。ニューヨークで前衛芸術家としての活動をはじめて評価され、アメリカで知り合った作曲家、一柳慧氏と結婚します。

芸術家として期待された二人でしたが、前出「ただの私(あたし)」によると、日本に帰国した際、評論家たちは夫の才能は絶賛するのに、ヨーコに対してはひどく批判的だったそうです。評論家たちに招かれたパーティーに夫婦で行くと、夫はほめられるが、自分は冷遇される。気を使ったヨーコは夫と行動を共にしなくなり、精神的においつめられていきます。マンションの11階からとびおりるような行動を繰り返すようになったヨーコは、精神科の病院に入院することになります。その病院を訪ねてきたのが、トニーという青年。ニューヨーク時代のヨーコのファンで、ヨーコに会うために持ち物を叩き売って、日本までおいかけてきたのです。結局、二人は男女の関係になり、一柳氏とは離婚することになります。
○2度目の結婚中にジョン・レノンと運命の出会い

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