安楽死の前夜に母が見せた悔し涙…「心が張り裂ける思い」取材Dが見つめた最期の日に向き合う家族の姿
マイナビニュース / 2024年6月2日 6時0分
●とにかく生きる努力をものすごくしていた
今回、スイスでの撮影に入るまでの間、マユミさんががんという病気に打ち勝つためにたくさんの努力をしてきたことは、本人や家族の話、そして実際に接した人柄からも十分に感じたという。
「進行が速いがんだったので、どんどん転移してしまうのですが、それでも何とか治そうといろんな治療を試してきたんです。病院を変えてみたり、最新の医療でどんなことができるのかを調べたり、バリバリのキャリアウーマンとして仕事をしていた時のように、夜な夜なずっと調べていたと、夫のマコトさんも話していました。だからもちろん、最初から安楽死という方向に向かっていったわけではない。どんどん体が蝕まれ、痛みもひどくなっていく中で、娘たちのためにもという思いで、とにかく生きる努力をものすごくしていたんです」(山本D、以下同)
末期がんにおいては、痛みを和らげる緩和ケアという方法もあるが、「もちろん、それは選択肢の一つとしてあったといいます。でも、マユミさんの場合は頭皮がんがすごいスピードで大きくなっていて、自分の脳の中も同じようにがん細胞でパンパンになってしまうのを考えたらキツいなと話していたんです。脳に転移してから急に目が見えなくなってきたり、体の支障も感じていて、今の形ではなく命を延ばす緩和治療を、自分がしたいとは思えないと言っていました」とのことだ。
○仲の良い家族だからこそ「理解」
マユミさんは、山本Dに連絡を取った際、11月に安楽死をするという決断をまだ家族には伝えておらず、最初に実際に会うまでの間に、初めて向き合って話をしていた。
当時、高校3年生の長女(18)と小学6年生の次女(12)は、受験を控えていたこともあり、マユミさんも伝え方に苦悩。特に次女については、直接の会話だけでなく、直前までLINEで「ままは安楽死したいの?」(※原文ママ)と問いかけられ、それに答えるという形で理解を求めた。
夫と娘たちは、この選択に「納得」とまではいかないものの、最終的に「理解」「尊重」することになったが、山本Dのそれまでの取材経験では、家族全員が一定の理解を示すというのは、とても珍しいという。この一家がそれをできたのは、マユミさんの人柄が大きいと考えている。
「本当に友達のようにすごく仲の良い家族なんです。親としての責任をきちんと果たしつつ、同じ目線で話している印象があって、その表れとしてあだ名で呼び合うのが印象的でした。だからこそ、こういう形になったのではないかと思います」
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