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衝撃! あのバイクメーカーが最初に作ったのはスクーターだった?

マイナビニュース / 2024年8月11日 11時30分

画像提供:マイナビニュース


太平洋戦争の終戦後、日本国内では富士重工業(現・スバル)の「ラビット」がヒットし、たくさんの企業がスクーター市場に参入します。写真のモデルもその1台ですが、どこのメーカーが作ったのでしょうか?

ヒント:スクーターとは一番縁遠いと思われているメーカーです

重厚なバイクのイメージから“漢(おとこ)○○○○”というフレーズでおなじみのメーカーです。

――正解は次のページで!


○問題をおさらい!

正解はこちら!

○【答え】カワサキ

正解は「Z」や「Ninja」シリーズでおなじみのカワサキでした!

写真のスクーターは「川崎号」といいます。1953年に現在のカワサキの前身にあたる川崎航空機工業(川崎機械工業)が初めて作った量産のバイクです。58.2ccの空冷単気筒2ストロークエンジンにペダル切り替え式の2段変速機を持ち、テレスコピック式サスペンションを備えるなどの意欲作でしたが、商業的には成功しませんでした。

川崎重工業はIHIや三菱重工と並ぶ日本の三大重工と呼ばれています。戦前から船舶や鉄道、飛行機を製造していましたが、戦後は中島飛行機(現・スバル)などと同様、GHQから飛行機の開発・製造が禁止され、川崎航空機工業はオートバイメーカーにエンジンを供給する事業を展開します。しかし、供給先の大日本機械工業が二輪事業から撤退したため、自社販売を目的として車体まで作るようになり、初めてカワサキマークを付けた量産車両が「川崎号」だったというわけです。

かつては同じ航空機メーカーとしてライバルだった富士重工業の「ラビット」や三菱の「シルバーピジョン」が人気で、これらに対抗する形で登場した「川崎号」ですが、国内の二輪車総生産数16万台に対して、わずか200台で生産を終了しています。会社の知名度や性能は十分でしたが、軍の指令で飛行機を製造していた戦時中とは違い、一般消費者向けの販路がなく、価格も高かったことが原因だったようです。

その後、川崎航空機工業は大日本機械工業からオートバイの製造販売を継承した「メイハツ工業(川崎明発工業)」や、中・大型オートバイメーカー「メグロ(目黒製作所)」との提携・合併、川崎グループ内の再合併を経て1969年に川崎重工業となり、「W」や「Z」シリーズなどの大ヒット車を生み、現在のカワサキモータースジャパンに発展します。

1960年代後半に国内二輪メーカーが4社に絞られたあとも、カワサキは流行を追わずに自社のポリシーを貫き、他社やユーザーが驚くような新技術を披露するメーカーとして存在感を発揮し続けています。そんな硬派で腕の良い職人気質のイメージから“漢(おとこ)カワサキ”という言葉が生まれたのかもしれませんね。

ちなみに、「川崎号」以降のカワサキがスクーターを販売しなかったわけではなく、2000年代初めにはスズキからOEM供給された「エプシロン150/250」、2015年には台湾のキムコ製エンジンを積んだ「J125/300」(欧州向け)というモデルをリリースしています。

それでは、次回をお楽しみに!

津原リョウ 二輪・四輪、IT、家電などの商品企画や広告・デザイン全般に従事するクリエイター。エンジンOHからON/OFFサーキット走行、長距離キャンプツーリングまでバイク遊びは一通り経験し、1950年代のBMWから最新スポーツまで数多く試乗。印象的だったバイクは「MVアグスタ F4」と「Kawasaki KX500」。 この著者の記事一覧はこちら
(津原リョウ)

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