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富士スピードウェイの東側に広がる黒い壁、いったい何?

マイナビニュース / 2024年9月11日 11時30分

画像提供:マイナビニュース


静岡県にある「富士スピードウェイ」のショートコースを訪れると、その先、反対側の斜面に左右に長く続く黒い壁のようなものを見ることができます。これはいったい何でしょう?

かなりの傾斜がついています

近くに行ってみると、傾斜が30度近いアスファルトの斜面になっています。昔は「ハコスカGT-R」なんかが走っていたといえば……。

――正解は次のページで!


○問題をおさらい!

正解はこちら!

○【答え】30度バンクの跡

正解は、富士スピードウェイが完成した1965年当時に本コースとして使用していた30度バンクの跡です。

同コースは当初、アメリカのオーバルサーキットのような楕円形で、バンクと直線だけのものを計画していたようですが、途中からヨーロッパ式のロードコースへと設計変更されました。その名残もあって、バンク部分を残したレイアウトになったようです。

急斜面の路面は、斜面上部の平らな部分からブルドーザーがロードローラー吊り下げ、前進したり後退したりしながら舗装を行うという難工事だったようです。

当時のコースは全長6km(現在は4.3km)。1.6kmもある長いストレート(現在は1.5km)を全開で駆けてきたレーシングカーは、そのスピードを維持したままレコードラインを狙って下り坂のバンクに突入(約250km/hで)したといいますから、当時のドライバーは最高のテクニックだけでなく度胸も兼ね備えていないと務まらなかったはずです。

開業直後には、当時のF1世界チャンピオンのジム・クラークが来日し、試走を行いました。最初のビッグレースは1966年の第3回日本グランプリ。メインレースでは生沢徹や砂子義一のプリンス「R380」、滝進太郎のポルシェ「カレラ6」、細谷四方洋のトヨタ「2000GT」などがこのバンクを快走しました。以降の日本GPでは北野元、高橋国光のニッサン「R381」、福沢幸雄の「トヨタ7」など、3L~6L級の大排気量エンジンを搭載したレーシングカーが駆け抜けました。

また、市販車ベースのツーリングカーレースも人気で、日産「ハコスカGT-R」やロータリーエンジンのマツダ「サバンナRX-3」などが、メーカーの威信をかけてバンク上でデッドヒートを繰り広げたのは有名な話です。

1971年に始まったGC(グラチャン)レースも大人気を博しましたが、1973年にはまさにこのバンク上、1974年にはバンク直前で立て続けに死亡事故が発生。30度バンクの危険性がクローズアップされ、結果的に永久的な使用禁止措置が取られるとともに、現在のようなコースレイアウトに変更されました。あの黒い壁は、バンク角の最もきつい部分から先の数百メートルだけを残した部分で、入り口には当時のコース全体を示すモニュメントが置かれています。

それでは、次回をお楽しみに!

原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら
(原アキラ)

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