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カレー沢薫の時流漂流 第320回 モスキート音で子どもを泣かす前に、大人同士で殴り合えばよかったのだ

マイナビニュース / 2024年10月7日 14時49分

画像提供:マイナビニュース

近年日本は年々深刻化する少子高齢化対策として、子育て家庭支援だけでなく、「社会全体での子育て」を掲げている。

しかし当然その中には「俺を勝手に全体に入れるんじゃねえ」と思っている人もいる。

だが、それを公言しづらい、ぶっちゃけ「子どもが嫌い」と言えない世の中に対し窮屈さを感じている人もおり、それに関する討論番組も放送されたようだ。

そもそも嫌いな物をわざわざ嫌いだと言う必要はない。
○世界には嫌いなものと好きなものしかない

嫌いなものに対しては「触れない」以上の得策はなく、それが互いのためである、相容れない者は、森とタタラ場に別れて暮らし、関わらないのが一番平和なのだ。

だがタタラ場の人間が突然森の者に腕を引っ張られ「自然大事っすよね、あなたも貴重な休日を森林保護活動に費やしましょう」と言われたら困るのである。

しかし地球に間借りさせてもらっている者として「自然とかどうでもいい!」とコンクリートロードを熱唱しながら、相手の顔面に高濃度CO2を吹きかけるのも憚られるため諾々と奉仕活動に参加してしまったりもする。

確かに老になった我々の社会や年金を支えるのは今の子どもである、将来自分の面倒を見てくれる者の世話をするのは当然、少なくとも寛容であるべきというのは正論だ。

しかし、リアルタイムで知らない子どもに10分以上スネを蹴られ続け、それを親と思しき者がスマホから一瞬たりとも視線をはずさず放置している状況で、30年後の社会に思いを馳せるのは難しかったりもする。

だが、誰しも最初は子どもだったのだ。

「子どもが嫌い」などと宣う人間は、自分がかつて子どもであり、様々な支援を受けてここまで成長できたことを忘れてるんじゃないかと思うかもしれない。

だが逆に、他でもない自分自身が「子どもにどれだけ理解や支援を注いだところで、それに対する感謝や還元する気もない口が臭いだけの中年になるだけなのでリソースの無駄」と立証してしまったからこそ、子どもを育てることに希望を見いだせなくなっている場合もある。

ただ己の育てられ結果が絶望だったという1ケースのみを根拠に、人様の子どもまで絶望と決めつけるのは間違っている。
○子どもと子持ちにヘイト溢れるネット空間

ともかく、子どもに対しての思想は様々なので、国が「子は国民全員の宝」を前提に「社会全体の子育て」を押し過ぎると、却って子育て世帯と非子育て世帯の諍いを招くことになる。

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