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バイクのクイズ 第23回 情熱的なフランス人が関係? 異色の4気筒パリダカマシンとは

マイナビニュース / 2024年11月15日 8時0分

オリビエ氏の熱意に奮起したヤマハはFZ譲りの5バルブを持つ並列2気筒エンジンを開発し、これを搭載した「XTZ750スーパーテネレ」を1989年に市販します。そして1991年、この市販車をベースにしたパリダカ専用マシン「YZE750Tスーパーテネレ」が1位から3位までの表彰台を独占するという快挙を成し遂げます。ヤマハにとって10年ぶりの優勝でしたが、その後も1993年まで3連覇を続けるという偉業を達成しました。

4気筒のFZ750テネレはパリダカで活躍できませんでしたが、このマシンでトラクションの重要性を学んだヤマハは「270度クランク」というアイデアを生み出し、テネレをはじめとした2気筒エンジンをさらに進化させます。これは「クロスプレーンコンセプト」として再び4気筒のオンロードにもフィードバックされ、MotoGPのレーシングマシンや市販モデルにも採用されて大成功をおさめています。

また、パリダカに情熱を燃やしたオリビエ氏は、オン/オフを問わず1970年代からフランスの「ソノート・ヤマハ」のレース部門で手腕を発揮し、数々のチャンピオンライダーを輩出しました。ヤマハのバイクは「ブルー」のイメージが強いですが、このカラーもオリビエ氏が率いていた「ソノート・ヤマハ」や、メインスポンサーとなったたばこブランド「ゴロワーズ」が関係していると言われています。

オリビエ氏は1992年から2010年までヤマハ・モーター・フランスの社長に就任し、紳士的で優れたビジネスマンとして従業員からも敬愛されていましたが、一方で在任中もパリダカへの熱意が冷めることはなく、自らハンドルを握って2年連続で参戦しています。不幸にも2013年に自動車事故に巻き込まれて亡くなりますが、突然の訃報にフランス国内外のヤマハやレース関係者のみならず、オートバイを愛する世界中の人たちが悲しみ、追悼の声が寄せられました。

「テネレ」はサハラ砂漠中南部の地名ですが、アフリカ遊牧民が使うトゥアレグ語では“何もない場所”を意味する言葉だそうです。現在もヤマハ製アドベンチャーモデルの名称として継承されていますが、そこには勝てるエンジンがなくても不屈の精神で道を切り開き、ついにはヤマハに栄冠を与えたオリビエ氏の魂も込められているのではないでしょうか。

それでは、次回をお楽しみに!

津原リョウ 二輪・四輪、IT、家電などの商品企画や広告・デザイン全般に従事するクリエイター。エンジンOHからON/OFFサーキット走行、長距離キャンプツーリングまでバイク遊びは一通り経験し、1950年代のBMWから最新スポーツまで数多く試乗。印象的だったバイクは「MVアグスタ F4」と「Kawasaki KX500」。 この著者の記事一覧はこちら
(津原リョウ)



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