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「とにかく始めてみれば必ずできるようになる」Interview with Saya Gray about “19 MASTERS”

NeoL / 2023年2月6日 17時0分

「とにかく始めてみれば必ずできるようになる」Interview with Saya Gray about “19 MASTERS”



リナ・サワヤマやビーバドゥービーと同じ〈Dirty Hit〉に所属し、昨年発表したデビュー・アルバム『19 MASTERS』が話題を集めたサヤ・グレー。カナダと日本にルーツをもつアーティストで、両親の影響で幼い頃から楽器を学び、世界のさまざまな場所で演奏を重ねてきたという彼女。ウィロー・スミスやダニエル・シーザーのサポートを務めたこともあるグレーだが、そんな彼女がつくる音楽は、多様なアートやカルチャーに囲まれて育ったバックグラウンドを物語るようにボーダーレスでジャンルレス。繊細な心の揺れ動きが吐露されるフラジャイルなムードのなか、ニュアンスに富んだアコースティックのみずみずしくも張り詰めた音色が印象的だ。そのアルバムや音楽の話を含めて、子供時代のことやこれまでの来歴について、久々の“帰京”となった昨年末の12月、原宿のマンションでグレーに話を聞いた。


→ in English


――今回、日本に来られた目的は何ですか。


サヤ「アニエスベーのクリスマス・コレクションでホログラムを使ったショーをやって。そのキャンペーンで日本に来ました」


――日本に来るのはいつぶり?


サヤ「2019年のフジロック以来ですね。その時はダニエル・シーザーと一緒で。すごく雨が降っていたけど、とても美しい光景だった。ただ、パンデミック以降は来れていなくて」


――今回のインタヴューにあたり、好きな日本の音楽やカルチャーを挙げたリストをいただいていて。そのリストには藤井風やmillennium paradeも入っていましたが、そうした日本のポップ・ミュージックもよく聴くんですか。


サヤ「そうですね。かれらは素晴らしい。椎名林檎も大好きです。あと、まふまふ、バンプ・オブ・チキンも本当にかっこいい(笑)。80年代のカルチャーが好きで、私にとってのクラシックのようなものですね」


――今のサヤ・グレーの音楽からすると意外な印象も受けますが、かれらの音楽から影響を受けている部分もあると思いますか。


サヤ「100パーセントそうですね。私の母は家ではいつも日本の音楽をかけていて、テレビも日本のものしか観ませんでした。だから、自分が幼い頃に触れるものはすべて日本のもので。それと日本の学校に通っていたので、J-POPの影響も受けています。日本の音楽って、フュージョンというか、メタルやロック、ファンクの影響が融合しているでしょう。いろいろなものが一つに盛り込まれていて、全体がひとつになっているところは、私の音楽についても言える特徴だと思う。何かひとつの影響を受けている、というのではなくてね。それと父は、オペラ歌手の宮本さん――フルネームは忘れてしまったけど、彼女と一緒に日本中をツアーしていたこともあるんです」





――グレーさんはご両親が長年アートや音楽に携われてきた方で、自身も幼い頃からさまざまなアートや音楽に触れてこられたと思いますが、そうした環境から影響を受けたことのなかで一番大きかったこと、これは重要だったと思うことを挙げるとするなら、それは何でしょうか?


サヤ「私の母は、RCM(Royal Conservatory Music)という音楽メソッドに基づいた、とても厳格なクラシック・ミュージックを教えていて、彼女は独自の音楽のストラクチャーを大事にしているひとでした。対して、父はビバップのジャズ・ミュージシャン(※エラ・フィッツジェラルド、アレサ・フランクリン、トニー・ベネットなどのために演奏してきた熟練のトランペット奏者、作曲家、プロデューサー)で。なので、一方で規則に基づいた約束事があり、一方で完全な自由があるという、その両極端の性格の影響を受けていると思う。“これだけは守らなければならない”というものと、“これだけはやめておこう”というものの両方があった。そして私自身、今は即興で演奏しています。だから、母の厳しさと父のゆるさ、それとクラシックやジャズなどの音楽が私を形作っている。日本の文化よりも、トロントにいたことよりも、そうした正反対のものがある環境に育ったことが何よりも大きかったし、そのことに一番影響を受けていると思います」


――たとえばプロのミュージシャンとして活動するにあたって。ご両親からアドバイスとか何かいただいたものはありましたか。


サヤ「私の母はかなりの反骨精神の持ち主で、彼女は何でも自分でやってきました。父もそうですが、上司に仕えたことがないタイプというか、誰のためにも働かない、そしていつも自分たちのことは自分たちでやるという、常に自立しているひとたちで。だから、特別何かアドバイスをくれたということはなかったけど、ただ、そうした両親の姿を見てきて育ったんです、私は。かれらはやりたいことを何でもやってきて、そんなふたりを見ていて影響されたということはあると思う」


――へえ。


サヤ「私の母は、どんなことであれ私をいつも後押ししてくれました。彼女は達観しているようなところがあって、だから家でも、やるんだったら100パーセントか、やる気がなければまったく何もしないか、そういう感じでした。ただ、それはアドバイスというものではなかった。それに、そもそも私は聞く耳を持たないことを知っているので、かれらはアドバイスをしてこないんです(笑)」





――グレーさんは2歳でピアノを始めて、それ以降もいろいろな楽器を習い、世界中で演奏を重ねてこられたわけですが、自分で曲作りを始めたのはいつ頃ですか。


サヤ「5歳か6歳ぐらいです。楽器を習うのと同じような感じですぐに始めて」


――それは歌詞とヴォーカルをのせたものですか。


サヤ「そういうのを始めたのは13歳かそこらだったと思う。詩を書いたのがきっかけで、それを音楽にしました。初めはピアノやギターでアコースティックなものをたくさん書いていて。それで14歳の頃、コンピュータを手にするとすぐにGaragebandでレコーディングを始めました。それ以来、そのやり方が今も変わらない自分のフォーマットになっています」


――自分で曲を作り始めたのは、どこかで発表したり誰かに聴かせるために? それとも、自分のために曲作りを始めた?


サヤ「完全に自分のためだけのものでした。というのも、私が住んでいた家は、つねに14人から20人の学生がリサイタルやパフォーマンスのための練習をしているような環境だったので、家のなかで流れている音楽が完全なクラシックかジャズかっていう感じで。なので、そうではない、そういうものに縛られない自分の世界に入り込むための音楽を持つ必要があったんです」


――そうして幼い頃からたくさんの音楽に触れてきたなかで、サヤ・グレーというアーティストを形成する上でもっとも影響や刺激を受けたアーティストを挙げるとするなら、誰になりますか。


サヤ「答えるのが難しいけど、アリス・コルトレーンのようなスピリチュアル・ジャズを聴かされたことは大きかったかな。あとはニルヴァーナみたいなパンクだったり、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか。そうした全然違うものが一緒になった感じが自分であり、自分のサウンドだと思う」



――ちなみに、リアルタイムで聴いていたアーティストでいうとどうですか。いま挙げてくれたアーティストはグレーさんの世代的に上のような感じがするので。


サヤ「いや、うーん、自分って、中身が100歳くらいの人間なんで(笑)。実際、10歳の時に『50歳みたいだね』って言われることがあって。だからソウル自体はとても歳をとっているんです(笑)」



――音楽の趣味的にマセた子供だった?(笑)


サヤ「冗談じゃなくて、本当にそう。私の友達はみんな60歳くらいで、年上ばかりなんです(笑)。だから本当にマセていたし、かなり変わっていたと思う」







――今年の夏にリリースされたデビュー・アルバム『19 MASTERS』は多くの反響を呼びましたが、ご自身としてはどのような手応えを感じていらっしゃいますか。


サヤ「結局一人でやることになったので、自分への信頼が生まれたのだと思います。面白いことに、私が一緒に仕事をしたいと思ったひとたちは、みんなこれに触れたがらなかった。私がやっていることは、他の誰にも影響されるべきでないという想いがあったんだと思う。だから、エンジニアリングやミキシングのやり方、ストラクチャーの作り方など、すべてを学ばなければならなかった。プロデュースの方法は知っていましたが、完成まで持っていく過程、最初の楽器のレコーディングから最後の仕上げるところまでの方法は知らなくて。だから、すべてを早く学ばなければならなかった」


――なるほど。


サヤ「実際に自分にはどれだけのことができるのか、あるいはできないのか、それを知ることは得難い経験です。そして、たとえそれが自分の能力からかけ離れたものであったとしても、とにかく始めてみれば必ずできるようになる。それが、このアルバムから得た最大の成果でした。そもそもアルバムをセルフ・プロデュースしようとは思っていなかったんです。いつも誰かと一緒に仕事をしようと思っていたし、私の友人には素晴らしいプロデューサーがたくさんいます。けれどみんな『自分でやるしかない、あなたならできる』って言ってきて。最初は『どうやって?』という感じだったけど、結果的にはとてもよかったです」



――アルバムを聴かせていただいて、なかでもピアノやストリングス、ギターといったアコースティック楽器の音色に耳を引かれました。そうした楽器のオーガニックでやわらかな音の響きが、ジャンルレスに混じり合ったサウンドを結びつけ、あるいは痛みや孤独、不安といった自分のなかにあるダークな部分と向き合った歌詞の内容を優しく包み込んでいるような印象を受けたのですが。


サヤ「正直なところ、音楽を作るときはまったくの無心でした。このときばかりは、頭の中が真っ白で。楽器をどう重ねるか、ベースをどう操作してギターのように聴かせるか、といったテクスチャーについて、言葉を必要とするまでもなく自分のなかで掴めた感覚がアルバムを作っている時にはあって。自分の感情を表現するために、時には多くを語る必要はないのかもしれない。今にして思えば、あのアルバムを作ったときは何も考えず、意識の流れに身を任せていたようなものだった。でも、それがよかったんだと思う。逆に、今は自分がやっていることについて、より意識的に、意図的に臨んでいるという感覚がある。だって、今は自分のチームがあるし、当時の私にはマネージャーも誰もいなかった。あのアルバムを作った時は、まさに『ただ進むだけ』だったんです」








―― 一方、アルバムからはスペインのフラメンコやブラジルのボサノヴァ、ジャマイカのレゲエ、ニューオリンズのドラムラインなど、音楽にのせてさまざまな文化や歴史の息吹も感じられます。



サヤ「そこは、私の演奏家としてのバックグラウンドが生かされているんだと思う。私が一緒に演奏してきたアーティストや、父が一緒に演奏してきたアーティスト、そして私の兄もそうです。私は若くして世界中を旅することができ、ニューオリンズのEssence Music Festival(※主にアフリカ系アメリカ人の女性を対象とした雑誌「Essence」の 25 周年を祝うイベントとして1995 年に始まった音楽祭。アメリカで最大のアフリカ系アメリカ人の文化と音楽のイベントとして知られる)やさまざまな場所で開催されるフェスティバルに参加することができました。私の音楽からさまざまなジャンルやカルチャーが感じられるのは、そうしたバックグラウンドの影響があるのは間違いないと思う。実際、これまでストレートなポップスも含めていろいろなジャンルの音楽を演奏してきました。そういうところからきているんだと思います」



――“TOOO LOUD!”という曲では、日本語によるモノローグ、ポエトリーが使われていますね。


サヤ「私は毎日、友人のクレア・ウチマが運営するアラントン聖地(Allanton Peace Sanctuary)で祈りを行なっていて。クレアは素晴らしいひとで、私の親友の一人です。彼女がこの、半分が“祈り”で半分が“詩”のようなポエトリーを作りました。そして私はそれを聞いて、大切にしたいと思ったんです。スピリチュアリティは、私という人間の大きな部分を占めていて。だから彼女と一緒にやりたいと思ったんです。彼女がこの詩を思いついたとき、私にとって特別なものだと感じたので、それを曲につけました。詩を朗読しているのは彼女なんです」





――そういえば、先ほどの好きな日本の音楽やカルチャーのリストで、宇多田ヒカルさんの名前も挙げていましたね。ちなみに、今年のコーチェラで行われた88risingのステージでの宇多田さんパフォーマンスはご覧になりましたか。


サヤ「いえ、私はふだんオフラインで過ごしている人間なので、誰かが教えてくれないと世のなかで何が起こっているのかわからないんです。何かあったら教えてください(笑)」



――今年一年、個人的にアジアにルーツをもつ女性のアーティストに話を聞く機会が重なって。あなたと同じ〈Dirty Hit〉に所属するビーバドゥービーとか、ジャパニーズ・ブレックファストとか。で、そこで彼女たちが、ここ数年世界の音楽シーンのなかでアジア系のミュージシャンが注目を集めていることについて、そうした状況を歓迎している反面、そういったルーツやバックボーンだけにスポットが当てられ、ある種の役回りを期待されたり、ステレオタイプな見方をされることに窮屈さを感じる、と話していたのが印象的で。


サヤ「ほんとそう。というか、『19 MASTERS』のヴィジュアルはまさにそうした状況を象徴しているんです。あのジャケットのパッケージは、餃子の包み紙を撮影したもので。つまりこのパッケージは、私がミュージシャンとして採用されるとき、“アジア人である”ことがまず評価され、それが理由で採用されることが多かったことを表している。過去にはイギリスのアーティストのために、文字通りアニメのキャラクターのコスプレを頼まれることもありました。同じ業界の私の友人たちも、『女子高生のような格好をしてほしい』と言われたりとか、とても似たような経験をする人が多いんです。それはとても暗鬱とした気持ちにさせることで、自分から声を上げない限り、いまだに起こっていることなんです。“アジアのアーティスト”というのは、やはりいまだに目新しい存在なのだと思う。自分もこうしてカナダからやってきて、アメリカを回っていると、やはり異国の文化なのだと感じる。多くの人々にとって、アジアの文化に触れる機会がまだ少ないんです。だからアジアのアーティストにとって、自分たちのルーツを表現し、あるいはそのルーツに触れることは重要だと思います。『19 MASTERS』のイートイン・パッケージのヴィジュアルは、そうした私の経験をとてもよく表していると思う」







photography Satomi Yamauchi(IG)
text Junnosuke Amai(TW)





Saya Gray
『19 MASTERS』
Now On Sale
(Dirty Hit)
<トラックリスト>
1.1/19
2.I FOUND A FLOORBOARD UNDER THE SOIL!
3.CERVICAL CEDRIC
4.SAVING GRACE
5.WISH U PICKED ME…
6.EMPATHY 4 BETHANY
7.GREEB APPLE (EVERY NIGHT I RIDE NIGHT MARES)
8.2019 WAS AN EMPTY CARB
9.9/19
10.TOOO LOUD!
11.11/19
12.N’SUFFICIENT FUNDS (THIS SONGS SOUNDS LIKE MY WINTER)
13.SADNESS RESIDUE (ERASER ROOM)
14.S.H.T (silent hot tears / send hot tempura)
15.PAP TEST
16.LITTLE PALM
17.SEEDLESS FRUIT(S OF MY LABOUR)
18.LEECHES ON MY THESIS!
19.IF THERE’S NO SEAT IN THE SKY (WILL YOU FORGIVE ME???)



Saya Gray
カナダ、トロント出身、日本とカナダのハーフというバックグランドを持つマルチインストゥルメンタリスト、シンガー・ソングライター。父親はミュージシャン、サウンドエンジニアとして活躍しアレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ジェフ・ベックなどの作品に参加。サヤは2歳でピアノを習い始め、幼少期は兄と一緒にトランペットやピアノ、トロンボーン、サクソフォーンなどなどあらゆる楽器を習得。10代なるとバンド活動を始め、その後セッション・ミュージシャンとして活躍。14歳からジャズ・フェスティバルをはじめジャマイカのペンテコステ教会で演奏し、国際的なアーティストのベーシストや音楽監督として世界中をツアーしました。The 1975やリナ・サワヤマ、ビーバドゥービーなどが所属するレーベル、Dirty Hitと契約すると2022年にデビュー・アルバム『19 MASTERS』をリリース。








――What was your reason for your visit to Japan this time?


Saya : I was doing an Agnes b hologram for their Christmas collection. I was doing a little campaign show for them.


――When was the last time you came to Japan?


Saya : I was here for Fuji Rock in 2019. I went to see Daniel Caeser, and it was really rainy but beautiful. I haven’t been here since the pandemic.


――We heard you quite like Japanese artists such as Kaze Fuji and Millennium Parade.


Saya : Yes, they are amazing. Shingo Rina is my favourite, I love her, iconic. Mafu mafu,
Millennium Parade is great, Bump of Chicken. I’m into the eighties, like the classics.


――It’s interesting because we don’t see much similarity between Japanese Pop music and your music. Do you think you are influenced by their sounds?


Saya : My mom always plays Japanese music and she only watches Japanese TV. So when I was young it was all Japanese. I went to a Japanese school and I was influenced by J-pop. You know Japanese music is a fusion of metal, rock and funk influences. The whole thing as one is what I am influenced by. Not just one thing.
My dad also toured with an opera singer, Hiroko Motomiya, and she was touring around Japan.





――You grew up in a musicaly artistic family. You certainly have experienced a lot of music, art and culture. What do you think had the biggest influence on you?


Saya : My mom taught strict classical music, she was an RC and piano teacher with classroom structure. My dad was a jazz musician. I think the influence of extreme rules, and complete freedom, almost an anti was what influenced me the most. Having to follow something and drop everything and improvise is what I am influenced by. Coordinating the strictness of my mom and the looseness of my dad, the music came along with the classic and jazz. That was what influenced me more than anything. Being in Toronto, the household was complete opposites.


――Did your parents give you any advice as an artist?


Saya : My mom is quite rebellious and she has done everything herself. Both of my parents never had bosses. They don’t work for anyone and they have always been independent. I don’t think they ever gave me advice but it was more about watching, and never having to work for somebody, whatever they did they just did. My mom is always pushing me to be bigger in whatever it is. She reaches for mastery. The household is a lot about being a hundred or nothing, if you are not doing it fully, don’t do it at all. I think it’s less advice, they don’t do it cause they know I don’t listen anyways.


――You first learned to play the piano when you were two. Ever since you have been learning to play various different instruments. When did you start making your own music?


Saya : Immediately. As soon as I started, I started doing my own thing. It came hand in hand with learning the instruments. I think around five or six years old.






――How old were you when you started writing lyrics to songs? What sort of music did you make then?


Saya : Maybe thirteen or so. It came with poetry I feel. It was then I put it to music.
I wrote a a lot of acoustic stuff on piano or guitar. As soon as I got on a computer, around fourteen, was when I started to record on Garageband. I have been keeping this same format since then.


――Looking back, do you think the music was for yourself or an audience?


Saya : It was in my world. In my entire house, there were fourteen or twenty students making music. My mom had these recitals, and it was a way to perform and be in my world rather than strictly jazz or classical.


――Being surrounded by so many musical influences, what music had the biggest influence on your sound identity, as Saya Grey?


Saya : It’s hard to say, but probably when I was given Alice Coltrane, spiritual jazz. Nirvana, very punk, and Rage Against the Machine, those two are important to my music.


――These artists are older than you. Are there any artists that you are closer to in age?


Saya : Oh no, I am about a hundred years old. When I was ten people used to say I was fifty.


――You are musically mature then.


Saya : Like really mature. It’s really strange, all my friends are like sixty years older (laughs).I’m not even kidding.







――Your new album, “19 Masters”, is somewhat dark and it discuss emotions of pain. Is there anything you discovered about yourself through making this album?


Saya : I think the self-trust is what came for me because I ended up doing it all alone. It was interesting because everyone I wanted to work with didn’t let want to touch this. They felt that
what I was doing shouldn’t be influenced by anyone else. So I had to learn everything, like to engineer, learn how to be quick, learn how to mix and learn how to structure. I knew how to produce, but I didn’t know how to bring things to completion or record the first instrument till the end. So I had to learn it fast. That’s what I learnt from this. How much you can do, and this feeling that you can do something is untouchable. Even if it's so far away from our capabilities, if you just start, you will be there. That was the biggest thing I took from this album. My capability and my capacity. I never thought that I was going to self-produce an album. I always thought I would work with someone. Most of my friends are amazing producers, but they were all telling me to do this by myself. Nobody can touch this and you can do this, and at first, I was like how? It can seem so daunting but it ended up being gratifying.


――We like the acoustic element in your music, with piano, guitar and strings. Those different elements are what links the genres together. It overall has a warm impact, and even the serious lyrics seem to feel tender. What were you conscious of when making the sound of this music?


Saya : I can honestly say that it was completely mindless. It was the only time that I wasn’t just in my head. Instead of having to say much, the textures of how you layer the guitar base or like taking the base and manipulating it to sound like a guitar. I didn’t need to say much because that’s what it was like to portray the emotion. It’s kind of nice that looking back, I didn’t think at all when I made that album. I think it was a stream of consciousness. It was quite cool because now I feel that I am more intentional about what I am doing because now there are Teams, I had no manager no one. It was very much “just go”.







――We can feel different cultures and sounds from this album. From Flamenco, Bossa Nova, Reggae, and Drumline from Neolinson. Were you conscious of it?


Saya : That’s where my playing background comes in. Just because of the artists I played with, and my dad played with, my brother as well. Being able to travel the world so young. I was able to go to Essence Festival and many other festivals in all these different places. That’s probably where all these genres came in. That’s where my playing background comes in. I’ve played many different kinds of music including pop, and straight pop. So that’s where I think I get it from.


――“TOO LOUD!” starts with a monologue. How did you come up with this idea using Japanese poetry?


Saya : I do these prayers every day with my friend Clare Uchima at her organization, Allanton Peace Sanctuary. Clare is amazing and she's one of my best friends. She made this poem that was half prayer half poem. I thought that was important. Spirituality is a huge part of who I am. I wanted to include her because she is incredible as well. So when she came up with this half poem, the half prayer I felt that it was special to me so I put it on. She is the one who is reading the poem.

At the Allanton Peace Sanctuary, we do these prayers with one man from Japan, Masahisa Goi, every day. So we made a poem for the song.





――We heard you liked Utada Hikaru as well. Have you seen her performance at Coachella, with 88rising?


Saya : No, I didn’t. I stay offline so I don’t know what is going on in the world unless someone tells me. Do let me know if anything is coming up.


――This year there has been a lot of attention on female artists with an Asian background like Beabadobe and Japanese Breakfast. We felt that obviously, it was great that such Asian artists are being recognized, however, there is so much emphasis on this background that it enforces a stereotype of them. Do you feel the same way?


Saya : Oh yes, when I was touring. That was what the whole visual for “19 MASTERS” was about. The cover package is a dumpling wrapper package that we photographed. The package represents the times when I would be hired as a musician, a lot of it was because I was checking the boxes of being an Asian woman. There were times that I would get asked to dress up as an Anime character literally, for some British artist. A lot of my friends in the industry have very similar experiences when they want them to look like school girls. It is a very dark strange thing that still happens unless you speak up about it. It’s still new for people how Asian artists are being platformed. Coming from Canada and going around the States, it’s still a foreign culture. It’s still not exposed as much to Asian cultures over there. I think it is important for Asian artists to represent where they are from and get in touch with those roots as well.
The visual of the eaten package is very much about my experience of being.







photography Satomi Yamauchi(IG)
text Junnosuke Amai(TW)




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