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石川竜一(写真家)×天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野学芸員)「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」対談インタビュー

NeoL / 2016年2月20日 22時13分

石川竜一(写真家)×天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野学芸員)「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」対談インタビュー

石川竜一(写真家)×天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野学芸員)「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」対談インタビュー


考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム


平成27年度のあざみ野フォト・アニュアル企画展として、写真家石川竜一の個展『考えたときには、もう目の前にはない』が開催中。2014年に最初の写真集を2冊同時に出版し、第40回木村伊兵衛写真賞、2015年日本写真協会賞新人賞を続けて受賞し、写真界で大きな注目を浴びる石川。本展では自身の生活の場でもある沖縄で撮影された人物像と風景を中心に、最初期の実験的な作品や木村伊兵衛賞の対象となった沖縄での作品に加え、極限に近い環境での山行で撮影された最新作によって構成される。なぜ石川の写真は見るものに強烈な印象を与えるのか、本展の企画を担当した学芸員・天野が迫る。


天野「今回の石川さんの展示と同じ会期で、コレクションの中から写真を発明した一人であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの展示があるんです。目の前の世界を正確に写しとりたい、そのイメージと何とか定着させたいというタルボットをはじめとする19世紀の人々の写真に対する欲望の変遷が石川さんの活動と被るところがあって興味深いのです。テクノロジーが進む中で、失われていく自然の魔術的な作用が生み出す写真イメージの誕生のプロセスの面白さは、石川さんの初期のryugraphの中で見出せるところがある」

石川「へえ、なんでですか?」

天野「コンタクトで撮ると綺麗に写るのに、レンズやネガのテクノロジーが追い付いていないから撮ろうとするとぼやける。それで、世の中は進歩していくけど、タルボットはその最初のところにもう1回戻ろうとする。ネガポジじゃない一番オリジナルのところで本人は喜びを感じたい、とことがどうもあったのではないか。で、翻って石川さんは、フォトグラム(カメラを用いずに、印画紙の上に直接物を置いて感光させるなどの方法により制作された写真作品)とは言えないかもしれないけれども、印画紙と溶剤を使って自分の絵のようなものを描く。ただ石川フォトグラムは、誰かの像を写しこんでるわけじゃない。要するに溶剤の面白さというか……」

石川「写しこんでるものがあるとすれば、液ですよね(笑)」

天野「それが印画紙の上に自分のイメージを定着させたいという欲望をストレートに表してくれている。カメラの中で何が起きてるんだろうじゃなく、今起きてることは全部見れるという直接的なことをしている。石川さんは写真始めてから10年くらいですが、19世紀から今に至る写真の歴史をその間に全部試している。だから何を撮るかという以前に、最初に興奮したのはそこだった。しかも本人は別に写真の歴史を知ってるわけじゃなく、思いのままにやったら写真の歴史とほぼ同じことをやってた。それはすごいことだと思ったわけです。これは、言い換えると、テクノロジーが進化しても、人間そのものは進化しないんだな、と。だから石川さんがなんで写真にハマったんかは聞いてみたかった」


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ryu-graph #0028/2009年/ゼラチンシルバー・プリント




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八重瀬, 2014 (絶景のポリフォニーより)/2014年/インクジェット・プリント

石川「端的に言えば、それだけ間口が広かったから。カメラというのは誰でも触れて、ボタンを押せば写るというイメージがあった。だけど僕はそれができなかったんです。その試行錯誤のうちに、たぶん写真には可能性というか、できることはたくさんあるという気がした。要は、初めに撮った写真に不満がたくさんあったんです」

天野「撮ろうと思ったけど撮れてないこととか」

石川「多分そこですよね。そこが楽しかった」

天野「それをほかの誰よりも楽しいと思うわけですよね。僕らから見ると写真にハマっちゃうと、みんながその人生を変えてしまう。せっかくいい銀行員になれたのに、いい会社に入ったのに、辞めて写真の世界に入っていく、みたいな。もうこれしかないという、写真には、それが生きてく上で伴侶になると思わせることがあるんだと思うんです。一文無しになっちゃうからやめようとか思わない。それはなんやろう」

石川「夢を見せるんですよね、触りやすすぎて。簡単になんでも作れてしまうという誘惑に負けてしまう。だってカメラを持てば誰でも撮れるじゃないですか」

天野「実際の目の前の世界を撮れることが大きい?」

石川「自分のことを考えたら違うな。なんでハマったんだろう。自分で形にすることは簡単だけど、中身を掘ろうと思えば掘れるみたいな」

天野「写真の中身って何?」

石川「僕の場合、結局は自分です」

天野「撮ってる本人?」

石川「それもあるし、ある部分では自分の中でもコントロールできない部分でもあるし、それを瞬間的に形にできるからなのかな。ものを作るって、そうやって動いて変化していくものだし、それが簡単だから」

天野「絵は描かなきゃいけない。彫刻は掘らなきゃいけない。カメラは全部やってくれるから」

石川「だからこそ、いちばん重要な内容のことは普段の生活に関わってくる。自分がどうあるかみたいなことにかかってくる。だから生き方みたいなものがそのまま出る」

天野「出ますよね」

石川「写真も絵のように自分の内面を映し出すものでもある。ただ絵などは画力や費やしてきた時間も労力もわかりやすく出るけど、写真は差異をなくすようなところがある。そこに何があるか。絵や音楽もどういう歴史を継承しているとか、そこにその人の感覚がうまく表れてるんだということにもなってると思う。天野さんが言ってたように、人だけが何も変わってないとは言わないけど、小手先でやっていることほど人は早く進まないってことですよね。でも1つの欲望の現れではあると思う」

天野「写真はある意味視覚の欲望の塊だから。例えば、カメラは戦争のたびに進化している。特に1950〜60年代の東西冷戦航空写真。NASAも宇宙から撮ってるし、何万眼も撮れる技術を生み出して、それが20世紀のカメラに反映される。つまり写真やカメラは産業に支えられている、これも他のジャンルとは違うところ」

石川「でも絵画も産業だった時代がある。僕はメディアやツールは次の媒体が出てきて初めてそこから自由になれると思います。行き詰って初めて広がりが出てくる。絵画や音楽もそうだと思っていて。その当時絵に求められていた何かが写真に取って代わられたときに、初めて本当の絵が見えてきて、中心が見えてきた。そこから広がりがでてきたというイメージがあるんです。それは勝手な僕のイメージですけど」

天野「うん」

石川「写真はそこの可能性がまだあって、まだ行き詰ってないと思われている。だけど、実際にはもしかして行き詰っているかもしれない。もっと時間がたったときにそれを見て、あの時には行き詰ってて、そこから広がりが出てきたよねとなるような感じがあって。そういうことは結局は後になってからしか判断つかないことだから」


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印画鏡02/2010年/ゼラチンシルバー・プリント




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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム

——商業や目的のあるものから解き放たれてから。

石川「うん。多分そうだと思うんです。相手にされなくなって初めて面白いみたいなのってあるじゃないですか。そんなもんだと思うんですよね。目的がなくなって、本当の意味で、その人の中での目的が行われる」

天野「石川さんが本当に美術の本を読んでないで言ってるなら、天才かもしれない。美術史の本を読むとその通りのことが書いてある。美術の使命は長い間自然を再現させることだったけれど、写真の登場でそのミッションが終わってしまった。そこである意味、絵は自由になった。それまでは神話と宗教と歴史の3つを主題としていたのが、抽象画を描き始めた。人がわかろうがわかるまいが好きに描くんだと自由になったわけ。だけど自由になりすぎてわからなくなっちゃった。誰がみてもわかる絵があったのに、誰が見てもわからなくなって、1970〜80年くらいに一回行き詰って、次に物語を書き始めたの。物語といっても昔の歴史や神話ではなく、『君が昨日の晩見た夢じゃないの?』という内容のものを描き始める。勝手に見た夢だからみんなが共有できるわけじゃないけど、何人かは共有できて、その夢や気持ちがわかる。そういうことでずっと続いてきている。つまり何かを再現しなきゃいけないというのを解き放たれて以降、ずっと解き放たれたままなんですよ。絵を自由にさせたのは写真。その写真が最初に何を一生懸命やったかというと、画家が絵を描くように写真を撮ること。写真は自由なはずなのに、一挙に自分で世間を狭めた。でも写真はすごく気が付くのが早いので、これじゃあだめだと、絵とはさよならする。写真の最大の特徴は人が肉眼では見えないことを映し出してくれることに尽きる。それは、僕はやっぱり発見だと思う。写真を見ると、ザッとしか見てなかったものにこんなものもあるんだと見る方が発見する。それで今に至る」

石川「みんな何かの方法で自分と言えるものを残すことがしたい。人は一番何が作りたいかというと、子どもだと思うんです。表現って全てそこだと僕は思っていて。空間や時間、全部を超えることができるのは子どもだと思うんですよね。それを何かに置き換えたときに、表現、美術になるんだと思うんです」

天野「面白いね、それ」

石川「男が社会やものを作ることの先に立ってきたのは、子どもに対するリアリティが薄いからだと思ってるんです。女性は自分の中から出てくるから、それ以上の必要性がない。男は自分の子供だと言われてもやっぱり心のどこかに『本当か?』ということがある。そこが一番モノや社会を作るときに強い動機になっている気がして……」

天野「それはフィクションだよなあ」

石川「うん、そこが一番強い。それが例えば、クローンが作れるという可能性が出てきた時に、男性性や女性性というのが平たくなってどんどんどこまでも自由になる、もう何もわからない状態になるということが言えると思ったり。それが今の、タルボットの子どもがえりじゃないけど、そういう状況に置き換えられるし、どこに視点や重点を置くかということにもなるけど。誰もが物を作れて誰もが子ども産めるとなった時に、どういうものが出てくるのか。どういうことが重視され、求められるか。そう考えたときに、僕は子どもを作りたい思ったし、これしかないんじゃないかと思いました」

天野「すごい、それはロジックとしては成立してるよね。しかも正しい。生物学的に言うと基本的に性別は雌なんです。環境が悪くなるとカエルは一斉に雌に変わって、環境が良くなると雄を作るというように。でも私ら人間だけが人工的に頑張るわけよ。できんのやったら何とかして作るか、と。やれ美術だ表現だというのはおまけで、それも全部男があかんからできる。それこそ太宰治もそうなんやけど、やっぱり無理と知って死ぬ男もいる。それが僕ら男のリアリティを形成しているのは間違いない。だって実際に子供を産んでみないとわからない。ある日突然出てくる自分の子どもに、一億分の一の心の中どっかで『ほんまか?』って気持ちがある」

石川「実際にその統計をとった学者がいて(笑)。嘘か本当かもわからないけど、その生物学的なところに自分の中でのリアリティが描ける瞬間があるんですよ。それだけは本当に正直な気持ちで。無意識的に女がコントロールできる範囲と男がコントロールできる範囲も幅が違いすぎる」

天野「まあ、無力ではあるわね」

石川「女がやっぱりコントロールしているとなれば、じゃあちょっと絵でも描こうかって気にもなりますよね(笑)。僕は単純にそこかなという気もしているんです」

 


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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム




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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム

 

天野「カメラと今ということに話を戻すと、カメラという装置は政治家の欲望や誰かの欲望が全部入ってる。それは見えず、ただ便利ですよという風にしているだけで、さらにデジタルで言えば全てのアナログの写真好きの人たちの欲望を具現化したんで、人間はもはや何も考える必要がなくなる。どんどん退化していく」

石川「それは退化というかな、うーん……そういう動きだと信じるしかない。筆がカメラに変わったその時も、その筆の何かを継承しようとした瞬間があるわけで」

天野「今は本当に押せばいいから、暗いならレンズを絞ってとかそういうことをやることがない。そういう経験をさせないという意味。それが退化になるかはわからないけど、人は体を動かしてた方が退化しないので」

石川「だから人はそこでバランスとろうとしている。楽になった分、別のところで無駄に体を動かそうとする(笑)」

天野「本能的に。チャラにしないと人間は成り立たんようになっているみたい」

石川「それはめっちゃわかります」

天野「慣性の法則だけど、動いたぶん戻ってくる。元に戻ろうとする法則が働いている。例えばいくらでもお金を使ってもいいとなった時に、人間はバランス崩すよね。で、どこかで回収するというか、担保が欲しい」

石川「僕はどれだけでも金があるよとなったら穴掘ります」

天野「どこまでも?」

石川「どこまでも。ありったけの金を使って穴を掘りたいです」

天野「僕の友達は地球に穴あけて楔を作ると言ってた。真顔で」

石川「僕はそこまではちょっと、うーん……できるだけ大きい穴あけて、何百年か経った後に誰かが友達とか家族とかと一緒に崖の上に立って、『向こう側ってどうなってるんだろうね。そういえばこの盆地って人が掘ったらしいよ』って言ってもらいたい(笑)。そういう意味のないことが最高に面白いんじゃないかと思ってる」

——それは今自分がやっている写真にも通じているんですか?

石川「部分的には。今話したことを含めて、何もしないで自分が得る利益と、行動を起こして利益を得ないバランスのとり方って感じじゃないですか。穴は掘ったらどこかに山ができる。何も考えずに好きなことをやれたら、くだらないものを作ってしまったり、どこかで何かのバランスとろうとするんでしょうね。あり余る何かがあれば、体を動かして無駄なことをしようとするんだろうなと」

——それが今の時代に自分がやりたいことですか?

石川「いや、今言ったのは具象的な現象で、僕が求めたいのは女性の中にあるかもしれない」

——子供を産むことへのリアリティ?

石川「とか、女性が子供を産んだら変わると言われることの中にある何かかもしれない。僕にはそれがわからない。想像はできても、言葉にするまでのリアリティがない」

天野「言葉の代用で人間は色んなことしている。泳ぐ人も、写真撮る人もいる。それが好きなんだよとは言うけど、でも本当のことは何も伝わっていない」

石川「そう。それが今回の『考えたときには、もう目の前にはない』という展示タイトルなんです」

天野「写真を撮ることがある種の欲望に繋がっていくというのはなんとなくわかる。でもその間を言葉で埋めることができないですよね。埋めた瞬間に音楽やるやつも写真やるやつもいなくなる」

——そしてそれを考えることをやめてもそうなると思います。

天野「なるね。人間が終わるだろうね」

石川「そうだと思います。僕なんか、答えがないことを考えることだけが理由。それだけ」


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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム




C.43


C.43(CAMPより)/2015年/インクジェット・プリント

——そういう考えや先ほどの子どもを作るという感覚は色々学んだ末に辿り着いたんですか? それとも自分の実感として?

石川「なんでしょう。でも、そういう実感があります」

——最初に撮り出した時からあるんですか?

石川「いや、ないけど」

——これはなんなんだろう、って後から考えた時にそうなる。

石川「うん。『俺、何してんの?』と『何がしたいの?』とか。基本的には勉強したことはあまりない。本は、物語が好き。花村萬月とかが好きなんですけど、何かを自分でやろうとするときに必要になったり、興味や基本にあるのは存在論みたいなもの。でも写真を始めてからは、そういう勉強や音楽を聴くことをやめてしまったんです。ここで消化されることがすべてもったいないというか、すべて写真に置き換えてみたらどうなるかと思った。写真に関すること以外は出来るかぎり自分の意志では選択しない。要は、写真で考えてみようみたいなことになって」

天野「お父さんやおじいさんはどんな人でした?」

石川「お父さんは元々ヤンキーで、土木会社を立ち上げて、そのあとに株とか畑とかにはまって、って人。お母さんは銀行員。小さい頃から自分で考えろと言われてて、怒られることをしてごめんなさいと言うけれど、『ごめんじゃない、なんで起こられているか考えろ』って感じなんです。でもそんなのわからないからまたやってしまったり。あと僕はデブで意地っ張りだったから人に嫌われたりすることも多くて、小さい頃から『なんでこんなことされるんだろう』とか『こいつら何考えてるのかな』とかそういうことをよく考えてました。女の子にもよく泣かされてたんです。女の子には手が出せないから。バレンタインの時に、ちょっと人気のあるグループの女の子が、学校終わったらここに来てって。頭の中ではわかってるんですけど、気になるから行くじゃないですか。そしたらいなくて、『ほらな、いないわー』って。で、次の日に学校行ったら噂になってるんです。俺がそこに来て、どういうことをしてたのかを見てたやつらがいて、あいつこういうこんな感じだったぜとか。それはマジでやばかった」

天野「何年生の時?」

石川「小学校3年生くらいの時。そんなやつらがいっぱいいて、男がスカートめくりしたら、女の子は男の股間をガッと握っていったり。保育園まで辿ると、昼寝の時間に自分の体を触らせてくれる女の子がいたり、性的意識は昔から強かったですね」

天野「個人的にネガティブにさせられるような思い出はありました?」

石川「親同士はめちゃくちゃ喧嘩が激しかったです。何度か救急車が来たり。そういうのを見てて、止める勇気もないし力も無くて、無力だと思って」

天野「なるほど。人って誰に影響されたかが大きいと思うんです、子供の時に。1人で大きくなったわけじゃない。誰がこういう人を作ったのかを聞きたくて家庭環境を聞いたんですけど、まだ石川竜一という人間がわからない(笑)。ただ石川さんの最たるものは、ブレないところ。判断がブレてない。その判断が正しいと僕は思った。異常なこともしないし、真っ当で、すごいなと思った。人間をそんなに真正面から見るなよ、という。僕は何かがあると相当ぶれて違う判断をすると思う。正しく判断する人はいるんですよ。正しく判断っていうのは、そこにいる人に押しなべて最大公約数の判断をする人。それと真っ当は違うし、そこがブレないというのはすごいこと。しかも打率が高い。初めて写真を見たとき、136点どれも無駄がなかった。それで興奮して、木村伊兵衛はとるなあと思った」

石川「くだらないことばっかりやってるんです。死ぬ前に、人は何かやり残したい。そこにすら欲望というか、何かを持ってしまう。それはしょうがないと思うんですけど、それやって、その時にやりきったわって心から言える人がいるかって言ったら、それはいないと思う」

天野「人の生き死にでもそうだけど、何が作用してとか、人のどう生きていきたいというのも、何が上手くいって、何が失敗かというのは誰にも分らない気がする。やはり事後なので」

石川「でも上手いこといくことを目指すんでしょうね」

天野「上手いことの上手いことってなんだろうって思いますよ」

石川「だからそれを探すんでしょうね」

天野「ずっとね。ずっと探すんだかわからないけど。しゃあない。でも、石川竜一という人の展示をあざみ野でやれたというのはすごく光栄なことやと思うよ」

石川「うまくまとめていただいてありがとうございます(笑)」


instant_22


 考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム

 

 

石川竜一展『考えたときには、もう目の前にはない』

開催中~2月21日(日)


10:00~18:00 ※会期中無休


横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1


入場無料

http://artazamino.jp

 


instant_16


石川竜一

1984年沖縄県生まれ。沖縄国際大学社会文化学科卒業。在学中に写真と出会う。2010年、写真家 勇崎哲史に師事。2011年、東松照明デジタル写真ワークショップに参加。2012年『okinawan portraits』で第35回写真新世紀佳作受賞。『okinawan portraits』『絶景のポリフォニー』で第40回木村伊兵衛写真賞を、2015年日本写真協会賞新人賞を続けて受賞。私家版写真集に『SHIBA踊る惑星』『しば正龍 女形の魅力』『RYUICHI ISHIKAWA』がある。


 
肖像


天野太郎

横浜美術館主席学芸員を経て横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員に。北海道立近代美術館勤務を経て、87年の開設準備室より横浜美術館で国内外での数々の展覧会企画に携わる。美術評論家連盟所属。主な企画展覧会は、「ニューヨーク・ニューアート チェース マンハッタン銀行コレクション展」(89年)、「森村泰昌展 美に至る病―女優になった私」(96年)、「奈良美智展 I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」展(2001年)、「ノンセクト・ラディカル 現代の写真III」(04年) 、「アイドル!」(06年)、「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」展(09年)など。横浜トリエンナーレ2005キュレーター、同トリエンナーレ2011、2014キュレトリアル・ヘッド。多摩美術大学、城西国際大学、国士舘大学非常勤講師。

http://artazamino.jp

 

企画・取材・文 桑原亮子/edit & interview & text Ryoko Kuwahara

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http://www.neol.jp/culture/

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