大森立嗣監督『セトウツミ』インタビュー
NeoL / 2016年6月29日 17時16分
大森立嗣監督『セトウツミ』インタビュー
大阪の川沿いにある、何の変哲もない遊歩道。そこで放課後交わされる、男子高校生2人のまったりしたやりとり──。2013年から「別冊少年チャンピオン」で連載されているコミック『セトウツミ』は、ほぼそのやりとりだけを独特のウィットで描いた異色作だ。おもな登場人物は元サッカー部でお調子者の瀬戸と、塾通いのインテリ眼鏡男子の内海。全編ほぼワンシチュエーションで、大きな事件も起こらない。考えようによっては、これほど実写化しにくい素材もめずらしいだろう。だが7月2日に公開される劇場版は、その魅力を余すところなく捉えている。主人公を演じたのは、いまもっとも注目度の高い若手俳優の池松壮亮と菅田将暉。2人の会話はどこまでもリアルでばかばかしく、どこか懐かしい。中味があるんだかないんだか分からないお喋りに身を委ねていると、いつしかこのありふれた日常がたまらなく愛おしく思えてくるから不思議だ。ダブル主演の魅力をいかんなく引き出した大森立嗣監督に、撮影の背景と2人の魅力について聞いた。
──原作はほぼ、男子高校生2人の会話だけで構成されていますね。全編通してほぼワンシチュエーションで、いわゆる絵変わりもなく、映画化はなかなかハードルが高そうです。そもそも大森監督は、どうしてこの素材を手がけてみようと思われたのですか?
大森「これは至ってシンプルで、親しいプロデューサーから『やってみない?』と声をかけてもらったんです。その時点ではすでに、主演2人のキャスティングは決まっていて。で、原作を読んでみたら、たしかに面白かった。セリフと間が独特だし、高校生ものなのに部活も恋愛もケンカもほとんど出てこないでしょ」
──ですね。
大森「お調子者の瀬戸とクールな内海が、川沿いの歩道に座ってひたすらダラダラ喋っているだけ。へええ、こんなマンガがあったんだ、面白いじゃん、と(笑)。それで素直にやってみたいと思ったんですよ。あと何より、池松君と菅田君という俳優2人をたっぷり撮れるっていうのは、監督としてはやっぱり魅力的な仕事だしね」
──なるほど。
大森「ふつう映画というのは、登場人物が歩いたりゴハンを食べたりと、いろんな行為が集まって成り立っています。俳優同士の演技が正面からぶつかりあう芝居場というのは、実は1つの作品に3〜4箇所しかなかったりする。ところが『セトウツミ』は、逆に芝居場しかないんですね。演技のトーンが淡々としてるのでそうは見えないけど、実際は2人のガチンコのお喋りだけで構成されている。これ映画監督にとっては、けっこうなチャレンジなんですよ。それに僕は、芝居場を撮るのが一番好きなので」
──そういえば映画『まほろ駅前』シリーズでも、松田龍平と瑛太の何気ない会話がすごくチャーミングに切り取られていました。いわゆるバディ(相棒)ものには、特別な思い入れがあったりするんですか?
大森「あぁ、自分では意識してなかったけど、そうかもしれませんね。オリジナル脚本で撮った『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』もある部分、そういう話だったし。男同士の人間関係の微妙な距離感みたいなものは、嫌いじゃないんだと思います。何だろう、変にベタつかない、乾いた感じっていうんですかね。ことさら『分かる分かる』みたいなことは言わないのに、なぜか一緒にいて楽な関係性」
──まさに大阪弁でいうところの「ツレ」ですね。
大森「この映画に出てくる瀬戸と内海も、温度差がハンパないもんね(笑)。全編通してほとんど相手に共感してない。うん。そうやって全然タイプの違う人間が、対等に存在してるシチュエーションに惹かれるんでしょうね」
──高校時代って、そういう関係が違和感なく成立しちゃうんですよね。社会に出ると、まったく異質な友だちができるチャンスって、意外に少なかったりする。
大森「そう。だから『セトウツミ』って、儚いっちゃ儚いんですよ。こういう時間がいつまでも続くわけじゃないって、観る方がどこかで分かってますからね」
──エピローグも含め、ぜんぶで8つのエピソードが描かれています。マンガを脚色するにあたっては、何を意識されましたか?
大森「(チラシを指しつつ)今回、作品のメインビジュアルになっている、瀬戸と内海が並んで座ってるショットがあるでしょう。僕の中では最初から、この構図の印象がすごく強かったんです。要は観た後に、これに近いイメージが残る作品にしたかった。実は原作マンガの方は、もう少し動きがあって……。河原以外のシーンもけっこう出てきます。でも脚本化に際しては、そういうパートはあえて省いて。むしろ2人のやりとりだけで構成されてるエピソードを意図的に選んでいます。で、それを時系列に並べただけだと面白くないから、ほんの少し順番を入れ替えて。最後はヒロインの一期ちゃん(中条あやみ)で締めてもらったと。そんな感じですね(笑)」
──2人の男が延々、意味があるのかないのか分からない会話を続けてるところは、ちょっとサミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』を思い出しました。
大森「はははは、なるほど。今回の『セトウツミ』とは直接関係してないと思うけれど、俺、『ゴドーを待ちながら』大好きなんですよ。俳優ワークショップでお芝居を教えるときも、よく題材に使っています。あの芝居って、1つひとつのセリフの意味がよく分からないじゃないですか。意味の分からないことを、とにかくずっと言い続けてる」
──はい。
大森「芝居してるとね、どうしてもセリフを意味で分解したくなっちゃうんですよ。これは役者に限らず、僕らの日常がそうなのかもしれないですけど。でもそれって、けっこう人の手垢が付いちゃってるんだよね。自分で考えた気になってても、実は昔誰かが言ったことの反復だったり受け売りだったりする。『ゴドーを待ちながら』のセリフは、そういう堂々巡りからちょっと逃げられる感じがあって」
──でもそれって『セトウツミ』の2人のやりとりにも通じませんか? 「意味ありげな会話」という呪縛から自由だという意味では。
大森「ああ、うん、そうかもしれませんね。全然意識してなかったけど(笑)」
──お喋りのリズムの心地よさでは、エリック・ロメール作品も思い出しました。これもまた突拍子もない連想ですが。
大森「ははは、それも全然考えてなかったな。でも俺もロメール、けっこう好きですよ。同じヌーヴェルヴァーグの流れだと、ジャック・リヴェットの作品もいい。『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974年)って長い映画があってね。ロメールと同じで、これも女の子たちがひたすらお喋りに興じてる。ああいう軽やかさを映画にするのって、すごく難しいんだよな。仕上がりは『セトウツミ』とまるで違うけれど、そういうところは少し重なってるかもしれませんね」
──あえて動きの少ないエピソードを選んだとのことですが、それで娯楽映画として成立するんだろうかという懸念はなかったですか?
大森「それ、皆さん質問されるんだけど、僕自身はほとんど心配してなかったんですよ。だって、魅力的な俳優2人が喋ってるのをちゃんと切り取れれば、それは間違いなく作品として成立するわけで。もちろん適正な尺の問題はあります。でも自分としては『みんな映画という表現を、まだまだ狭く捉えてるんだな』と、むしろ意外だった」
──なるほど。骨太なストーリーとかアクションとか、背景のバリエーションとか、全然ない映画もあっていいじゃないかと(笑)。
大森「もちろん、しっかり物語性のある映画も好きなんですよ。自分でもそういう脚本もちゃんと書いてるし(笑)。ただ同時に、映画界に長くいすぎて、そんな制約に飽きてる自分もいるわけ。そもそも物語って、動きがあって起承転結がはっきりしたものには限らないじゃないですか。その枠には収まりきらない何かを、いかに映画として成立させるかというテーマは、今回のオファーをいただく前からわりと考えていて……」
──たしかに映画という表現分野のなかで、分かりやすい「意味」とか「メッセージ」の部分ばかり肥大化すると、ちょっと息苦しくはなってきます。
大森「そう。それは最近めっちゃ感じてます。最初にも話しましたけど、たしかに高校生を題材にする際、不良とか恋愛とか部活っていう切り口があると分かりやすいですよね。それこそ観る人が意味を見出しやすい。でも現実には、そうじゃない青春だっていっぱいあるわけで…。最近の映画は、それをまるごと取りこぼしてる気もするんです。一方『セトウツミ』は、そういう思い込みから自由な感じがあってね。だから、僕の中でもうまくタイミングがはまったんだと思います」
──そういえば作品中にも、内海君の「この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃんか」ってセリフがありました。
大森「あれ、マンガだともっと軽いタッチなんですけどね。映画ではハイスピード撮影を使って、池松君の表情が少しダークに見える撮り方をしていて。あそこは良くも悪くも、ちょっと意味ありげな感じになっちゃってますね(笑)」
──今回のロケ地は、大阪の堺市。この川べりは、原作者の此元和津也がモデルにされたのとまさに同じ場所なんですね。
大森「ええ、櫛屋町のザビエル公園。文字どおり、何の変哲もない場所でした。奥行きもなくてね。だから太陽が傾くと、すぐ建物の影が入っちゃうんです。すごく撮影しにくい場所だったんですけど……そういう場所をちゃんと映画的な空間に仕立てるのも、1つのチャレンジなのかなと。実際やってみると面白かったですよ。たとえば2人の全身が写る引きの絵は、なるべく午前中に撮っておいて。影が入ってくる午後帯には、アップの芝居を集中的に撮るとか。いろいろ手順を工夫しながら進めてました。あと、2週間くらいの撮影日数で約1年間──春先から冬までの四季を見せなければいけなかったので。雑草を抜いたり、枯葉を置いてみたり」
──主演の池松壮亮さんと菅田将暉さん。スクリーンで観ると、どちらも自然な存在感が素晴らしかったです。実際に芝居を撮ってみてはいかがでした?
大森「いやぁ、楽しかったですね、やっぱり。今回『セトウツミ』を撮るにあたっては、2人の距離感がすごく大事だと思っていたんです。彼らが座るポジションに端的に表れているんですけど、いつも人ひとり分のスペースが微妙に空いているでしょう。近すぎもせず、決して遠すぎもしない。互いの境遇に同情するわけでもなく、むしろ淡々と、そしてどこまでも対等な立場で喋っている。今回、池松君と菅田君には細かい演出をほとんどしませんでしたが、2人ともその空気感を見事に出してくれました」
──細かい会話の間とか動きも監督からはあまり指示せずに?
大森「うん。それをやっちゃうと、振り付けになっちゃいますからね。観客はそんなのが観たいわけじゃなくて…。最終的には、内海という高校生を演じる池松壮亮がそこで何を考えているのか。瀬戸という男の子と一体化した菅田将暉が、その瞬間に何を感じているのかが知りたいんだと思うんですよ。そこまで行って初めて、他の役者とは取り替えがきかない何かがスクリーンから出てくる。だから、池松君と菅田君には『今この2人は何を考えてると思う?』と聞いたことはあるけど、『こういう風に演って』と演出したことは一切ない。これは『セトウツミ』に限らず、僕の映画との向き合い方ですね」
──大森監督から見て、池松壮亮と菅田将暉という俳優の魅力は?
大森「菅田君はね、ちょっとした表情ひとつで無垢なキャラクターと嫌な奴のどっちにも転がれる。というのは、一緒に映画を作ってみて分かったんだけど、彼は自分の見え方をまったく意識してないんですよ。現場でどう撮られていて、その結果スクリーンにどんな風に見えるのか、どうでもいいと思ってる節がある(笑)」
──へええ。イマドキの俳優さんには、ちょっとめずらしいタイプですね。
大森「と思います。最近の若い子はどうしても自意識に縛られがちで、しかも雰囲気から作ろうとするからね。ただ、僕はワークショップでもよく話すんですけど、いわゆる空気感みたいなものって、あくまで芝居をした結果生まれるものだから。菅田君はそれがよく分かっていて。自分は役になりきるのが仕事で、その姿がお客さんにどう映っても構わないと割り切っている。それって結局、俳優としての強度なんですよ」
──池松さんはいかがでした?
大森「やっぱり、チャーミングですよね。少年っぽいのに、独特の色気がある。演技者としてはものすごくうまいし、映画作り全体のプロセスも深く理解していて…。そのなかで自分のやるべきことを正確に見通せる俳優、という感じがすごくしました。例えば映画のラストで、内海が瀬戸にミルクティーを渡すところがあるんですね。それにしても脚本には『内海、ミルクティーを取り出す』としか書いてなかったのを、池松君が自分で2つ用意してきて、ああいうシーンになった。そういう俯瞰の視点も持てる人です」
──2人とも役作りが深いだけじゃなく、現場での反射神経も優れていた?
大森「正直言うと俺、俳優さんの役作りってあんまり信用してないんですよ(笑)。頭で考える作業は、脚本段階でこっちが散々やってるので。役者にはあまり頭でっかちにならずに、1つの肉体としてその場で反応してほしい。例えば川沿いの石段にずっと座ってると、お尻だって痛くなるじゃない。周りには光を遮るものが何もないから、日差しが眩しくてたまらないかもしれない。そういうのも全部引っくるめて、その人物になってほしいわけ。その意味では2人とも、撮っててすごく楽しかったです。瀬戸がガクランを脱いでTシャツの袖を肩まで捲るところとか。スニーカーを脱いで裸足になるところとか、こちらからは何も指示してません。自然に出てきた動作を、そのまま撮ってます」
──その楽しさは、観ていても伝わってきました(笑)。
大森「最近、日本映画のパワーが落ち気味なのとシンクロするように、俳優の言葉がだんだん強くなってきてる感じがあるんですね。何だろう……意味を込めすぎて、かえって押し付けがましく感じられるっていうのかな。僕は個人的に、そういう傾向があまり好きではなくて。シンプルに『ただ演ってくれればいい』って思うところはある。僕はときどき俳優もやりますが、あまり才能がないこともわかっているので(笑)。実は役者に対してリスペクトする気持ちがすごい強いんです。でもそれは、演技についてあれこれ深く考えてるからじゃなくて。むしろそれをすっ飛ばして、平面的だった役に血肉を通わせることができる人たちだから。一流の俳優はみんなそうですよ。『監督、このセリフにはどんな意図が込められてますか』なんて絶対聞いてこない」
──なるほど。
大森「たとえば菅田君って、地元が大阪なんですね。で当初、僕に『大阪弁なんだけど、むしろテンション低めに喋っていいですか?』って彼の方から提案してくれた。でも実際現場に入って演ってみたら、思ってたのと違ったりもするわけですよ(笑)。そうすると即座に『監督、やっぱり声のボリューム、少し上げてみます』って照れくさそうに修正してくる。そうやって自分で発見することが何より大事ですから」
──全般的に楽しい撮影だったみたいですね。
大森「うん。夕方には撤収して飲みにいけましたし(笑)。特別何かメッセージを込めたわけでもないけど……ありふれた空気のなかに、普通の高校生ものとはちょっと違う面白さがあるのかな、とも思うので。ただ瀬戸と内海がそこにいる感覚を、気軽に楽しんでもらえると嬉しいですね」
取材・文 大谷隆之/interview & text Takayuki Otani
企画・編集 桑原亮子/ edit Ryoko Kuwahara
『セトウツミ』
7月2日(土)新宿ピカデリーほか全国公開
監督:大森立嗣 『まほろ駅前狂騒曲』『さよなら渓谷』
原作:此元和津也 (秋田書店「別冊少年チャンピオン」連載)
出演:池松壮亮 菅田将暉 中条あやみ
鈴木卓爾 成田瑛基 岡山天音 奥村 勲 笠 久美 牧口元美 / 宇野祥平
配給:ブロードメディア・スタジオ
(C)此元和津也(別冊少年チャンピオン)2013
(C)2016映画「セトウツミ」製作委員会
www.setoutsumi.com
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