藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#43 巨木に会いに
NeoL / 2017年6月24日 4時12分
藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#43 巨木に会いに
神社の多くが御神木を有するように、日本人は昔から巨木に対して頭を垂れてきた。
清められた神社内の静謐な息吹の全てが、御神木から溢れているような感じさえするその佇まいは、僕が神社を尋ねる楽しみの筆頭とする美しさに溢れ、早朝や夕暮れなどの、昼夜の境に訪ねれば、枝や葉のひとつひとつに妖精が見えるようである。
神社の巨木は神が降りてくる依り代として敬われているが、巨木そのものが神とも言える。最近は囲いのために触れない御神木が多くて残念だが、触れれば、木という生き物が、いかに多くの知識を蓄えた賢者でるかが感じられる。そう、巨木は賢者なのだ。
樹齢二百年の巨木は、人間の尺でいえば、約7代ほどが入れ替わる時間を生き、約二百回の夏を経験している。僕の想像が及ぶのは、精々二世代前くらいで、祖父の幼年期を写真などを頼りになんとか辿るのが精一杯である。それ以前は五代前も十代前も一緒である。想像が及ばない。
だが二百年生きた木は分かっているのだ。二百年前に起きたことが。古い記憶を持っているというのは、経験値が高いということ。年老いた賢者はいるが、幼児の賢者はいないように、経験量は賢さに繋がっている。もちろん処理能力、学習能力には個人差があるので、一概には断じられないが、人間の数倍も生きている木は、まず賢者だと僕は考えている。というよりも、触れれば感じられるのだ。手の平から伝わるその力には、深い知恵と観察眼があることを。
僕が健康そうな美しい木を好み、必ず触れるのには、師に教えを請うのに似ている。言葉を介さずに伝わる何か。言葉を介さないからこそ伝わる何かに常に心身を開いておきたいと心に置いてある。それは、人間以外の知恵と繋がっておくことで、自分の調和を保ち、心身の健康を気遣うことになっている。
不調の時には、進んで人混みに入っていかないのは、そこがきついからで、入院中に来客が多いのも同様に疲れる。それは気を使って疲れるというのもあるが、それ程親しくない同種、近種というのは、本来程よい距離がないともたないと僕は思う。人といるよりも猫を撫でている方が休まるというのも、それに当たる。どんなに恋人どうしでも、四六時中触れ合っていては、何かが壊れてしまうのだ
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ちょっと話が遠回りしたが、植物があることでストレスを感じる人は少ないと思う。観葉植物が有ると無いとでは、部屋の雰囲気と自分のメンタルコンディションが違うように、人と植物とは相性の良いパートーナーなのだと思う。木を触っていると、攻撃性は失せ、柔らかな心地がする。そう、ストレスを緩和させてくれるのだ。
そういう植物の中でも巨木というのは、古老のような者から、壮年期のもの、まだまだ青年のようなものまで様々で、森の中で見つけて思わず寄って行ってしまうような木には、今現在の自分が必要な力と知恵を授けてくれると僕は信じている。この辺は科学的根拠を出せないのだが、当たり前のように僕は信じている。
なぜか?それは僕の経験からである。森や山に入り、出会う動物、出会う草木、そして巨木は、恋愛が運命という言葉を使うなら、ここにもその言葉を当てたいのだ。
無数にいる異性の中から出会うことを喜ぶように、動植物との出会いも同じように喜んだっていい。
先日、三重の飯高という土地を訪れた。友人が林業に携わっている山を案内してくれるというので、喜び勇んで行った。
山をいくつか持っているというので、実際こんもりした山の全容を想像していたのだが、それぞれ数キロ以上先に離れた山々の一部100箇所以上にも分散していて、山を分譲住宅地に見立てた場合、まとめて持っている面と虫食いのように持っている部分があるような感じである。
その散在している場所には、当然異なる植生があり、今回は標高差も交えた異なる場所を案内していただいた。
自分のクライマックスは二つあった。一つ目は野生のニホンカモシカとの出会いである。確か標高千メートルぐらいな所だっただろうか。ふと振り向いた先にニホンカモシカが一頭で急な斜面の上で食事中な様子であった。
僕は声を掛けながら斜面の下に取り付いて登っていく。一般的には、刺激しないようにそおっと近づいていくようなイメージがあるかもしれない。だが、僕はこういう時は、必ず先に声をかける。それで逃げられたらそれまでで、近くなって気付かれて驚かれるよりも、遠くからノックをしてお邪魔していいかを確認するのだ。人間に対して、そうっと近づかないのと同じで、お邪魔していいですか?と前もって許可を得るのである。
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とは言っても視界が開けている場所では、たいていあっちが先にこちらをすでに気づいている。それでものんびり食事をしているのだから、まず半分許可を得ているも同然で、あとは距離を詰めながらどこまで許されるのかを、やはり声をかけながら確認し続けるのである。
そのニホンカモシカは五メートルぐらいまでは近づかせてくれた。僕は標準レンズの付いたカメラしか手元になかったので、その距離でもまだまだ遠い。それでもその辺が限界だろうなと思って、何枚か撮らせていただいた。もちろん「写真撮りますね」と声に出したのは言うまでもない。
その後に、ニホンカモシカはぴょんぴょんと跳ねつつ悠然と去っていった。野生動物だけが持つ、あの気高さには、いつもこちらの背筋が伸びる。一時一場の人間代表として、恥ずかしさの無い行いであったかを都度反芻するのである。
三重の山での二つ目のクライマックスは、栃の巨木との出会いである。
急な斜面に両手を時々着きながら、カモシカにかなり劣るちょっと無様な姿勢で進んでいくと、栃の兄弟家族のような巨木数本が出迎えてくれた。
台風通過直後に落ちる実を求めて、鹿や近所の老人たちと競争になるのだという友人の説明を聞きながら、それぞれに季節ごとの色が違うのだなと、改めて感じ入った。結構急な、車道からかなり入る山道を鹿や老人が父に実を求めて歩く姿は微笑ましい。案内してくれた友人は29歳の女性なのだが、久しぶりに会う彼女の顔つき、体つき、そして目の輝きたるや、すでに山の人であった。家業である林業を継ぐために東京から三重の実家へ戻って早五年だという。
地下足袋に履き替えて、先頭だって山を行く姿は、なんだか羨ましくもあった。こういう人生が僕にもあったのではないかと思った。
そして、今回のテーマである巨木についていよいよ語ろうと思う。
まず、大きいものが持つ力について考えてみたい。それは巨鯨でも、巨木でも、巨星でもいいのだが、巨大なものというのは、あくまで同種、同環境内での相対的なものである。だが、それだからこそ、その巨大さが意味と力を持つ。いったいなぜ、巨大なものを出現させるのだろうか。
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巨大といっても突然変異の結果としてのケースと、他の個体が淘汰される中で、生き残った結果として大きかったというケースが考えられる。いずれにしても、放っておいたら巨大なものが出現しているのである。
この自然が巨大な個を出現させるのは、種の保全のための多様性を得るためだというのが本筋かもしれないが、僕の想像だと、同時に種長をも出現させるためだと思う。大きな者が小さい者を束ねるというのは分かりやすい。大きさというのは攻撃力であり保身力でもある。人間以外は、身体的にこの攻撃力と防御力に直接優れた者が種長となる。人間では国のレベルでいえば、経済力と軍事力がこれに当たるのであろう。だが裸の個のレベルでいえば、他の動物と同じで、一般的には体の大きい方が強い。
自然は種を束ねるために大きな者を出現させたのではないかと思う。大きな中心がある種は、それを持たない種に比べて、生存力が劣るのではないか。これは僕個人の想像でしかないが。
栃の巨木を見上げながら僕が得たのは、森の王に謁見しているような感覚である。数本巡りながら、その幹元に座って背中で寄りかかり、その加護に入る事のなんとも言えない安堵は、人の中で暮らしていては得難いものだ。
僕が日頃から、他の種族と触れ合う事を勧めている理由は、まさに人間からは貰えない感覚やエネルギーを得られるからだ。そしてそれこそがヒーリングになると信じているからだ。人間は同種の中でいると淀むと思う。家の中でばかり遊んでいたら、足腰が弱くなるというのと同じレベルの話である。もっと外に出て、風や温度を体感して、免疫力を高める。そのために、異種と交流し、中でも多種の王と触れ合えたら最高である。
健康であるために、植物の王とも言える巨木に会いにいく。それを人間も本能的に知っていて、ずっとずっと崇めてきたのだ。
実際に両手の平を幹に当てて目を閉じることを自然にする人が多いのは、僕たちはすでに交流の方法すら知っているのだ。
公園にも大きな木があるが、やはり山に住む巨木は、野生の力に満ちていて、僕たちの野生、美しく健やかに生きようとする本能を刺激してくれると思う。街旅から一旦離れて、山の入り口へ。上を見ながら歩こう。
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#43」は2017年7月23日(日)アップ予定。
関連記事のまとめはこちら
http://www.neol.jp/art-2/
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