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『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』 メアリー・マクガキアン監督インタビュー

NeoL / 2017年10月15日 12時10分

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『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』 メアリー・マクガキアン監督インタビュー



東京・上野の「国立西洋美術館」が世界文化遺産登録されたことも記憶に新しい近代建築の巨匠ル・コルビュジエが、生涯で最も羨み、固執した忘れ難き女性―アイリーン・グレイ。サン ローランのオークションの逸話など、いまだアートのみならずファッションなど様々なシーンに影響を与え続ける彼女の半生を美しき映像で綴った『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』が今週末公開される。いまの時代にアイリーンを描く意義について、創作のエピソードなどを、メアリー・マクガキアン監督に尋ねた。


——本作の企画はどのようにして生まれたのでしょうか。アイリーン・グレイという女性のどこに一番魅力を感じているのか。そして今、アイリーン・グレイを描くことの意義についてどう考えていますか。


メアリー「2009年のサン ローランの競売がきっかけで、企画が生まれました。私はアイルランド人ですが、1920年代の祖国では、イングランド系のある種のとても自立した女性たちがいました。そのなかの一人がアイリーン・グレイです。また、私自身がモダニズム、ミニマリズムに興味があったため、彼女の映画に着手しました。テーマは、才能のある女性が世に出ようとすると、必ず男尊女卑に阻まれるということ。それは今も昔も変わっていません。それから日本のみなさんにぜひ伝えたいことがあります。アイリーンが漆を使って家具を作ったことは有名ですが、彼女の他のプロダクトも、ミニマリズムや多機能を兼ね備えた日本の精神を受け継いでいます(E.1027のメインルームの多機能ぶりは、まるで畳の部屋のようです)。ペリアンはアイリーンに憧れて、日本に来日しました。ですから、日本でこの映画が公開されることがとても嬉しいです」


——アイリーン・グレイの生い立ちから家具デザイナーとして成功するまでを描かなかった理由は? E.1027が主要モチーフとはいえ、それ以前をも描くことで人物の全体像を示す道もあったと思いますが。


メアリー「元々のアイデアとしてはそこも入れるはずでしたが、フィクションなのでドキュメンタリーとは少し違うんです。映画で描かれていない色々な物を拾い上げるためにドキュメンタリーも別で作ったのですが、第一次世界大戦、第二次世界大戦などの出来事を描くと、それだけでも3本の映画が出来るほどの情報量があるのです。私にとって映画というのは、見えているテーマと、その底に流れるテーマというのがあり、普遍的な部分を持たなければとならないと思っています。それ以前の部分については普遍的なテーマが感じられなかったのです。男尊女卑や様々な環境を通して普遍性が見えるのがこの部分だと思って作ったのでこうしています。けれどもその前後の重要なものも失わないようにドキュメンタリーも作ったというわけです」


——アイリーン・グレイは、ジャン・バドヴィッチとル・コルビュジエの裏切りや不誠実に対して嫉妬や怒りといった感情をむき出しにせず、どこか寛大です。この一種の「余裕」はどこから来るのでしょう。貴族的な生い立ちからか、あるいは経済力によるものなのでしょうか。


メアリー「色々なことの組み合わせだったと思います。おっしゃるように貴族的な育ちであり、エドワード朝的な時代に育ってきたので、あまり感情を表に出す事は良くないという風潮の中で育ってきたという原因はあったかと思います。またこれは日本の影響だと思いますが、仏教にも興味を示し、タオイズムにも興味を示して、その時代にしては非常に珍しい非常にスピリチュアルな人間になっていったこともあるかと思います。
ある日、マリサ・ダミア役を演じたアラニス・モリセットと、その時代について話していたのですが、私が『(アイリーンは)1960年代っぽいところがあるわよね』と言ったら、彼女は『違うわよ、【1960年代】は【1920年代】になりたがっていたのよ』と言ったのです。セクシュアリティなど、1920年代はいろんな意味で自由な時代でした。彼女自身がバイセクシャルであったり、友達に対しては非常に忠実であったり、恋愛感情について執着しなかったりというところがあったので、バドヴィッチと会った時にも一夫一婦制のことなどは考えてもなかったようです。二人が出会った時にアイリーン・グレイは40代で、バドヴィッチは23歳でした。やがて彼女が52歳になり、彼が30代になって次第に別れにむかったのだと思います。
映画にも描かれていましたが、ヴェズレーにワイナリーを持つほど、バドヴィッチは非常にお酒を嗜む方でした。結果、肝不全で亡くなるほどに、お酒で心身を酷使していたようです。またバドヴィッチが集めた人々、フェルナンド・レジーやル・コルビュジエ、ザボラスという人たちは、みんなヴェズレーにいて、1920年という自由な時代を謳歌していました。コルビュジエの奥さんはイヴォンヌのいう方ですが、非常に伝統的な方だったので、まさか自分の夫が浮気をしているとは、思っていなかったのです。ですが、ザボラスの奥さんは知的な人間だったので当然夫が浮気をしているだろうと思っていたようです。
いずれにしても、アイリーン・グレイという人は、バドヴィッチたちにだんだん飽きていったのです。だから〈E.1027〉から出て行ったのではないかと思います」












——ル・コルビュジエのキャラクターには、やや滑稽味が感じられます。これは監督が意図したことなのか、ヴァンサン・ペレーズのアイデアも入っているのでしょうか。歴史上の有名人であるル・コルビュジエの描き方は難しくありませんでしたか?


メアリー「確かにおっしゃるとおり、ル・コルビュジエは、国のアイコンのような人で、フランスとスイス両国における重要人物でした。それを演じたヴァンサン・ペレーズもフランスとスイスにルーツを持つ俳優です。制作にあたり、この国家的アイコンであるル・コルビュジエについて話をしたり、リサーチをしてみると、ル・コルビュジエという人物は非常に好まれる人物ではないということがわかりました。映画にする場合、元々好まれないキャラクターを描くのは難しいのですが、今回の映画はアイリーン・グレイにおけるル・コルビュジエであり、別に彼の人生を描くわけではないのです。なので、映画的な客観性を用いました。彼は良い人ではないがゆえに重く描くと描きづらくなってしまうので、意識的に軽くしたということもあります。結果的に、彼の行動が観客には滑稽に映ったようで、いわゆるアクシデントのような結果となりました。私たちが約35年間にも渡る出来事を繋げてみたら、結果的に彼がおかしく見えたというだけだと思います」



——なるほど。では、主要キャラクターのキャスティングついて教えてください。


メアリー「まず、ル・コルビュジエ役のヴァンサン・ペレーズは簡単でした。ヴァンサン・ペレーズはフランスを代表する有名な俳優であり、ル・コルビュジエと同じスイスの村で生まれています。その次に簡単だったのはダミア役で、アラニス・モリセットは私の友達だったし、アイリーン・グレイの事も知っており、歌手役でしたのでぴったりでした。主演のアイリーン・グレイ役が一番大変でした。これは卵が先か鳥が先かという話でもありますが、ある程度の年齢になってくると女優にはなかなか主役や良い役がないという状況があるため、その年齢層の女優自体が減ってくるのです。この役のために過去に主演を演じていた有名な女優に35人ほどに会いました。みんな興味を持ってはいるのだけれど、途中で怖がったのです。最終的に演じてくれたオーラ・ブラディはアイルランド人で、フランス語も話せるし、アイリーンに似ていて、美しい。30歳~95歳という幅広い年齢を演じる役をもこなし、誰が見ても最高の主演女優だと思うでしょう。ですが彼女は、当時テレビドラマでは活躍をしていましたが、映画界ではあまり有名ではありませんでした。そのため、配給会社から『もっと有名な女優を探せ』と言われ、そこから1年半もの間、主演女優を探し続けたのです。その間、フランス語も覚え、幅広い年齢を演じるなどの試練もあり、結局、2人の女優がそれぞれ2回ずつ心変わりをしてやめていったのです。また契約までこぎつけたある女優は、撮影する直前になって、ロレアルとの契約で『髪を切ってはならない』ということになり、NGなりました。最近は役を演じるということと、コマーシャルの契約がある種セットになっていて、そのせいで私は最近映画祭にも行きたくないと思うようになりました。近年、女優は映画祭でドレスを着てレッド・カーペットを歩くだけの存在になってしまっていますよね。いい役を演じた俳優が、映画祭で評価され、また次のキャリアに繋げていくというのが本来の映画祭の目的だったかと思うのですが、今はドレスや化粧品の宣伝のためにレッド・カーペットを歩くことがキャリアだと思われている。そのことに、私は個人的にがっかりしています。それは、アイリーン・グレイと真逆なのです。彼女は非常に控えめで、真のミニマリストでした。いずれにしても、キャスティングは大変でした。予算が確定した8ヶ月経っても主演が決まらないという状況は、ある意味狂気の沙汰だったと思います」


——撮影には、建物や家具はどのくらい本物を使いましたか? 


メアリー「アイリーンが装飾を作っていた時代の漆器は、今では何百万ユーロで取引されているのです。そのため、使いたかったのですが、保険料が高くて使用することができませんでした。またマーメイドチェアをNYから運ぼうと思ったのですが、ハンドラーと保険料の問題があり、これも結果、使用できませんでした。なので家具は全てコピーです。権利の問題で、コピー商品は使用後に全て壊さなくてはいけないとのことでしたのでそうしました。けれでも、彼女の近代家具の製造元であるクラシコンというところだけは、家具を貸してくれました。建築として存在しているのは〈E.1027〉で、内装部分は中で撮影をしましたが、その他はほとんどスタジオでの撮影でした。〈テンペ・ア・パイア〉は、存在していますが、現在の内装は全く違っているので、外観は撮りましたが、テラスは違うところで撮りました。パリのシーンも全てスタジオ撮影です。パリのアパートは、建物としては残っているのですが、内装は全く違ってしまっているので、これも別で制作しなければなりませんでした。三つ目の建物であるサントロペの建物も存在していません。スタジオでセットデザインをするにあたって、美術の担当に挑戦状を突きつけました。それは『アイリーン・グレイとして美術を作ってください』というものでした。つまり“多機能”で作ってください、と。セットはひとつなのですが、それを4セットとしても使用できるようにしてください、というものでした。彼女はその挑戦をしっかり受け止めて、セットはひとつなのですが、壁などを動かして4セットで使用できるように、まさに“多機能”で使えるようにしてくれました」


——光の使い方も独特ですが、作品のトーンはどのようにして決めたのですか?


メアリー「光のトーンを決めるのは撮影監督と美術スタッフとの一番大きなプロセスだったのですが、アイリーン・グレイの美学の本質をついたものであってほしいと考えました。どう見えるかではなく、見たときにどう感じるかというために表現したのです。軽快さ、女性らしさ、そしてある種の脆さといったもの、〈E.1027〉は彼女の夢の家だったので、その夢のような感じというものを出したったのです。また〈E.1027〉のエッセンスに対するオマージュでもあります。見た印象は非常にシンプルですが、撮影は本当に大変でした。その夢のような感じを出すために、露出度を上げたり、あらゆるアングル、カメラ、レンズでテストをして、あの感じを出しました」



——ジュリアン・レノンがスチールカメラマンとして参加した経緯を聞かせてください。


メアリー「元々友人だったということもあるのですが、パリで彼がアイリーンのかつての家の近くに住んでいたというのと、彼が写真を撮っていると聞いていたので『(撮影を)見に来る?』と誘ったら来たのです。その後、撮影現場に残り続け、最終的に何千枚も写真を撮ってくれました。本やドキュメンタリー、ビデオゲーム、HPなど、映画に関して8つのプロジェクトが動いているのですが、そのひとつとして、彼の写真は8枚の写真のボックスセットとして販売されています。そのボックスセットの箱は日本製で、そこに使用されている麻はアイリーン・グレイが大好きだった麻なのです。オークションで28億円の金額で落札された“ドラゴン・チェア”は、途中でイーサンという人がかかわって、皮製の男性用チェアとなってしまったのですが、元々は違う素材でした。それがちょっとピンクっぽいアイリーン・グレイが大好きだった麻で、同じ麻が写真のボックスセットの箱に使用されているのです」






——映画はどこまでが真実で描かれているのでしょう?


メアリー「ドラマを作っている時に、どの程度まで想像的な部分を盛り込むかということについて、まず自分なりの指標を決めることが必要です。今回の映画に関しては色々とリサーチをして、この映画の中で描かれている起こったこと、年代、場所は事実通りに描いていますが、どうやってそれが起こったか、あるいは誰がどんなことを言ったかについては、私たちの想像が入っています。ただひとつ例外があるのは、『浮気の部分』です。その浮気に関しては、どこにも確実な資料がないのですが、調べていくと、シャルロット・ぺリアンが、ル・コルビュジエのところに『何か仕事をください』とお願いしに行くと、『刺繍でもしていれば?』と言ったというのは本当のことのようでした。また、バドヴィッチは女たらしで、様々な人と関係を持っていました。そしてシャルロットという人は、自由奔放な人であったようです。CIAMと言われる近代建築の学会は、計3回行われたのですが、1929年にはギリシャ・アテネで行われました。その学会での写真には、ル・コルビュジエ、ジャン・バドヴィッチ、フェルナン・レジェ、そしてシャルロットが写っています。アイリーン・グレイはいませんでした。その翌年、ル・コルビュジエがシャルロットを雇うのですが、後に彼女に家具のデザインをさせます。その際、ル・コルビュジエは彼女に『アイリーン・グレイに似せなくてもいいから、アイリーン・グレイになったつもりでデザインしなさい』という助言をしています。それが1935年前後であったようです。同時期にバドヴィッチはヴェズレーに行き、アイリーン・グレイは〈E.1027〉を出ていきます。ル・コルビュジエはシャルロットを近くに置いておくために自分の従兄弟と結婚させました。その後、バドヴィッチはミレイユという女性と関係を持つのですが、ミレイユの母とも関係を持ち、3人で暮らすようになります。しかしシャルロットはアイリーン・グレイの純粋さや誠実さに憧れ、自分なりの美意識を再発見するため、1937年に日本に行くのです。それはバドヴィッチとの約10年にも渡る関係の終わりでもありました。誰も何も言わないけれど、周知の事実という関係だったと思います。資料としては何も残ってはいませんが、私はそうだったのだろうと考えています」





——監督ご自身が資料を調べて研究をなさり、脚本を書かれたのでしょうか。研究者や専門家の方のご協力のもと書かれた場合、どの段階から、どのようなかたちでご協力を頂いていたのでしょうか。


メアリー「はじめは自分で調査をしました。アイリーン・グレイの人生についてはいくつもの説が存在し、論争もありましたし、それらには必ずしも互換性がありませんでした。しかし信頼できる専門家たちに出会うことができ、大変に尽力いただきました。特にアイルランド国立博物館のキュレーターでもある博士、ジェニファー・ゴフ、Architecture and Chloe Pitiotの名誉教授であるキャロライン・コンスタント、ポンピドゥー・センターのキュレーターたちです。ジェニファー・ゴフには、本作に関連するドキュメンタリー“Gray Matters”では主要な語り手となっていただきましたし、プロジェクト全体において重要な人物となりました。しかし、脚本は自分で書いています」


——監督の想像によるエピソードがあれば具体的にどの部分か教えてください。


メアリー「アイリーン・グレイは自身が残した書簡を死ぬ前に全て破壊してしまいました。何とか、私はそれぞれのピースを継ぎ合わせることができましたが、どの作品がいつ、どこで、誰と創られたのか、そして各シーンのインテリアの性質については想像するしかありませんでした」


——ペリアンとバドヴィッチの浮気のエピソードは想像ですか?


メアリー「ジャン・バドヴィッチとシャルロット・ペリアンは親密な間柄だったという論争を裏付ける状況証拠はたくさんありますが、絶対的に動かしがたい証拠があるわけではありません。アイリーン・グレイとジャン・バドヴィッチの関係性も同様です。動かしがたい証拠がなければ、多くの研究者はこれらの親密な関係が本当にあったのかを問いただすでしょう。ですが、これは事実から浮かび上がってきた彼らの関係の可能性に対する、私の1つの見解なのです」



——撮影の際、E.1027のどこを修復し、どの家具を復元しましたか?


メアリー「映画のために復元が行われたのは、主に構造的な部分でした。E.1027の作り付けの家具については、現在カップ・モデルヌがマネージメント権を持っていますが、映画で使用した家具は、彼らの前にその権利を所有していた“E.1027アソシエーション”により一つ一つを復元されました。劇中に登場するそれ以外の家具は、最初に映画に寄付され、それから権利者であるARAMによってE.1027に寄付されました」



——本作のコルビュジエのモノローグはとても主観的ですが、これは資料に基づいたものですか。それとも創作でしょうか?『私の壁画は、自己表現の形。私自身の性的妄想を表しているのだ』の部分はアイリーンへの性的な思慕という意図にも思えます。


メアリー「劇中に登場する言葉は、映画の主要人物であるアイリーン・グレイ、ジャン・バドヴィッチ、そしてル・コルビュジエの三人による著作や書簡にインスパイアされています。『私の壁画は、自己表現の形。私自身の性的妄想を表しているのだ』については、これは彼が母親にあてた手紙にインスパイアされた創造的なセリフです。この手紙は、当時としては珍しく、非常に率直に親密さについて書かれていました」


​​『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』

【監督・脚本】メアリー・マクガキアン
【音楽】ブライアン・バーン 【スチール】ジュリアン・レノン
【出演】オーラ・ブラディ / ヴァンサン・ペレーズ / ドミニク・ピノン / アラニス・モリセット
© 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
2015年 / ベルギー・アイルランド / フランス語・英語 / 108分 / カラー / シネスコ / 5.1ch / 原題:THE PRICE OF DESIRE
配給:トランスフォーマー/提供:トランスフォーマー+シネマライズ
後援:アイルランド大使館、ベルギー大使館、スイス大使館 協力:国立西洋美術館、hhstyle
http://transformer.co.jp/m/lecorbusier.eileen/




アイリーン・グレイ(1878-1976)
アイルランドの貴族の家に生まれ、単身パリに渡る。1906年、日本人工芸家・菅原清造と出会い、漆を取り入れた斬新な家具を生み出し、当時のシーンで話題を呼ぶ。アールデコだった作風は徐々にモダニズムへと変化し、1922年には自身の店<ジャン・デゼール>をパリにオープン。1929年に手掛けた建築処女作<E.1027>は、かのル・コルビュジエを驚嘆させ、彼をこの地に惹きつけた。生涯に渡り自らのスタイルを貫き続けた、気高く勇敢なクリエイター。

















『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』
Bunkamuraル・シネマにて10月28日(土)公開決定!
10月14日(土)の公開が迫る、近代建築の巨匠ル・コルビュジエと、彼が生涯で唯一その才能を羨んだと言われる女性建築家・アイリーン・グレイの間に隠された波乱万丈のストーリーを美しき映像で描く極上のドラマ『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』。本作は5年に渡る丹念な調査を重ね、実際の史実に基づき構成されている。そして、このリサーチの中で並行して制作されていたのが、アイリーン・グレイの人生を深く掘り下げたドキュメンタリー映画『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』。その公開が、10月28日(土)よりBunkamuraル・シネマにて決定。妥協のないビジョンと冒険心を持ち、装飾、デザイン、建築の分野できらめく才能を発揮しながらもアイリーン・グレイは、死の直前に自身にまつわる多くの資料を処分。そのため死後、彼女の名前は表舞台から徐々に消えていく。しかし2009年、世界で最も長い歴史を誇る美術品オークションハウス、クリスティーズにて開催された『イヴ・サンローラン&ピエール・ベルジェ・コレクション 世紀のオークション』にて、彼女が手掛けた<ドラゴン・チェア>が、当時史上最高額の約28億円で落札され、大きな話題になった。本ドキュメンタリーでは、アイリーンの生い立ちから亡くなるまでを、当時の作品や関係者、研究家のインタビューを交え、そのヴェールに包まれた肖像を明らかにしていく。「物の価値は、創造に込められた愛の深さで決まる」という言葉を残したアイリーン。100年近く経った現在でも彼女のデザインは、時代の最先端を走り、各界に影響を与え続けている。本作はそんな彼女の生き様や創作の秘密を知ることが出来る絶好チャンス。鑑賞料金は1500円で、『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』の半券提示で300円割引となるので、お見逃しなく。




10月28日(土)Bunkamuraル・シネマにて公開
【監督】マルコ・オルシーニ 【出演】メアリー・マクガキアン、ジェニファー・ゴフ
2015年 / アイルランド / フランス語・英語 / 75分 / カラー / シネスコ / ステレオ / 原題:Gray Matters 日本語字幕:ブレインウッズ / 字幕監修:五十嵐太郎 配給:トランスフォーマー 
提供:トランスフォーマー+シネマライズ 後援:アイルランド大使館 協力: hhstyle
評伝「アイリーン・グレイ」(11月1日(水)・みすず書房より刊)
© 2015 MOJO ENTERTAINMENT LLC Authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd., London.

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