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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#59 ティク・ナット・ハン

NeoL / 2018年10月9日 9時24分

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#59 ティク・ナット・ハン



 最近の習慣として、毎朝3冊の本を少しずつ併せて読み進めている。


 良い波動を持つ本、言葉を、1日の始まりに読んでいる。インドの人々が夜明けにガンジス川で沐浴をするように、それには身を清める効果があるようだ。


 ベトナム人僧侶ティク・ナット・ハンさんは、その影響力から故国ベトナム政府に疎んじられ、帰国を認められず、長らくフランスを拠点に世界中を講演して巡る生活をしている仏教者である。その名は知りつつも、近づく縁がないままであったが、熊本の長崎書店で数冊が平積みされているのを目にするに至り、ようやく彼の言葉と縁を持てたのが2年ほど前である。
 「瞑想」「歩く瞑想」「呼吸」などのキーワードを挙げることは出来るが、彼のシンプルな言葉使いによるメッセージ、波動こそが、まず素晴らしいと思う。翻訳を経てもなお伝わるその力にまず驚きを覚える。詩はときに音楽のような効果があるから、原語の持つ響きは重要だと思う。だが、ハンさんの言葉は、やはりメッセージの波動力が強いと感じる。原語の音楽的な響きを超えた場所から読者の心の深い場所にまで届く。その力はどこから来るのだろう。ハンさんの魂からだろうか、宇宙からか、神からか。おそらくその全てからであり、さらに加えるなら、読者の奥深くからハンさんの言葉を経て現れるのだと思う。
 「怒り」「和解」「恐れ」。確か、その日は雨が降っていたと記憶している。アーケード街にある長崎書店の奥まった場所に並んだ3冊のタイトルの強さにちょっとたじろいだが、シリーズ最初の一冊である「怒り」を手に取りレジに向かった。
 その書店は数年前にイベントをさせていただいた縁がある店で、レジには村上春樹さんのサイン色紙が飾られてある。村上さんはサインをしないようなイメージを勝手に持っていたので、ちょっとした驚きでその色紙を見つめていたら、レジ担当さんから一言二言挨拶された。挨拶を返しながら「怒り」と大きく書かれた本を差し出すのにちょっと照れたので、その場面を割とはっきり覚えている。
 「怒り」というのは、多くの人が抱える問題ではないだろうか。怒らない自分を探して、いったいどれだけ多くの人が、日々の後悔を重ねているのだろう。その悔いの重みを海に浮かべたら、世界の水位が1メートルほど上がってしまうのではないか。
 著書「怒り」から、いくつか引用しようと思ったが、あいにく机の辺りには見当たらず、本棚からも去っている模様。いったい「怒り」はどこに隠れているのか。この部屋のどこかに居るはずなのだが。どうせなら本当の怒りも、こんな具合に、気づけば無くなっているような存在であってほしい。


(2ページ目につづく)






 ハンさんは、怒りへの対策として、否定したり目を背けるのではなく、寛容な心で受け入れ、観察し、その怒っている自分を抱きしめてあげることによって、怒りを愛へと変容させていくことが大切だと教えている。
 否定ではなくて、変容させること。それは、容易くはないことだが、始めなければ、何も変わらないのだから、覚束ないながらも、とにかく、まず怒りを受け止めることから始める。とはいえ、頭では理解していても、実際には血が登っている最中に冷静になること自体が難しい。となれば、事前の準備として、大らかな心を育てる日常を過ごすことが大切になってくる。ベース作りである。ハンさんの言葉を読むことは、実はこういうベース作りにとても役立つのだ。
 いくつか引用してみたい。
 

・ 私たちは、幸福が「今、ここ」にあるのではなく、未来にあると信じているため、いつも走ることが習慣になっています。走らないで、止まってごらんなさい。それは重要なことです。
・ あなたが探しているものは、すでにあなたの中にあります。
・ 自由に至る本当の道は、何も求めず、今、この瞬間の中にただ存在することです。
・ 存在する質が、行動の質を決めるのです。
・ 私たちは苦痛から逃げるのではなく、苦痛に対して、愛情を込めて世話をしなければなりません。
・ 私たちは、未来のために現在を犠牲にしようとします。しかし、私たちが現在に完全に存在し、それに没頭するならば、幸福に存在するために十分すぎるものを持っていることが分かります。
・ 人生は、今、ここにのみ在るのです。私たちが今、この瞬間を抜け出してしまったなら私たちは生きるということを深く体験できません。
・ 私は、幸福というものは、「幸せに存在する能力だ」と考えます。
・ 新しい始まりは、いつどの瞬間からでも可能なのです。
・ 怒りは毒と一緒です。怒りはすべてのものに害を与えます。
・ 怒りと闘ってはいけません。怒りを押さえつけてもいけません。愛情のこもった心で怒りを受け止めるのです。
・ 瞑想は、目覚めた心と集中の目で現実を観る、その勇気を意味します。
・ あなたの祖国と国民が目覚めれば、政府は国民の知性に合った行動をとらざるを得ないのです。
・ 何よりも神は、私たちの神に対する考えに左右されません。
・ あなたは、自らを神にゆだねてますか?
・ わたしたちみんなが平和で自由で幸福だとするなら、先祖、父母、子供、世界のために、することは何もないのです。
 

ここまで「抱擁」からの抜粋
 

 あくまで抜粋なので、文全体を味わうのが難しいが、それでも飾らない言葉の連なりに何かを感じてもらえるだろうか。難解な宗教用語や、読めない漢字、書き手本位の比喩などなく、私たちの日常語によって平易に語られている。
 

(3ページ目につづく)







 

 私は、こういった言葉を毎朝数ページずつ、一杯のコーヒーを味わうように、染み込ませている。当初は、ある意味、快楽的なものであったと思うが、習慣化するにつれ、良質の言葉による美しい1日の始まりは、時には夜遅くまで続く日々のハードワークによる混乱、疲労をスタートから鎮静させてくれる効果があることに気づき、心のサプリメントのようになっている。
 さらには、「怒り」を愛へと変容させるための、ベース作りになっている。穏やかなゆとりのある心の経験値を高めることにより、一歩一歩ではあるが、確実に好影響を与えている。怒りっぽい人には、穏やかに微笑んでいる時間はイレギュラーなことだが、それが逆転すれば、あとは穏やかな時をレギュラー化し増やしていける。怒りを変容させるゆとりは、このように日々の細やかな努力によって作ることが可能なのだと、私は経験上言うことができる。
 

 美しい言葉というものは、美しい人生を映す。これは飛躍が過ぎるだろうか?
 言葉というのは、声に出されるものだけではない。心に浮かべる言葉、表情に出る言葉、全て言葉である。思考は言葉によって作られる。生活は様々な思考がもたらす結果の集合でもある。生活は日々重なり、人生となる。これは逆に辿れば、人生の始まりは言葉になる。
 もちろん、言葉にならない感覚こそが、生命の主役なのだが、わずかな敷地とはいえ、言葉はやはり人生を映すと言える。他人を蔑み、比べ、妬み、憎んでいる言葉に浸されている人の、人生は、やはり暗さを映す。波動の高い言葉が脳内に常駐している人は、表情も温和で、それが類を呼び、その集団の波動を高めていく。
 再びいくつか引用したい。
 

・心が狭いと、理解も思いやりもわずかしか持てず、辛い思いをします。ほかの誰かの欠点を受
 け入れきれなくて、相手の方に変わることを強いてしまうのです。でも、心が広く大らかにな 
 ると、たとえ同じ問題が起きても、ささいなことへのこだわりは消え、心は穏やかになります。
 何よりも大切なのは、自分の心を大きく育てること。
・どんなものでも、生きているものはみんな養分を必要とするのです。それは愛ですらも同じこ 
 と。あなたが自分を大切にして、幸せでいるとき、愛する力は育ちます。
・「その人の苦しさを理解すること」が、あなたが誰かにあげられる最上の贈り物です。
・愛は樹と同じく、成長を止めたその瞬間から枯れ始めます。
・ 誰かに幸せを分け与えるためには、まずあなた自身がしあわせでなくてはなりません。
・ 「愛」とは素晴らしい言葉です。この言葉を正しくていねいに使って、この言葉を癒し、本来の意味を取り戻さなくてはなりません。
・ 子供達には、君はかけがえのない存在で、君らしくあるだけで充分なんだよ、誰かほかの人になる必要はないんだよ、と大人の私たちが伝えてあげましょう。
・ 愛する人の寝顔を見つめると、その人の幼さ、辛さ、希望、悲しみが見えてきます。ただそこに座って愛する人の寝顔を見つめてください。
 

ここまで「愛する」よりの抜粋
 


(4ページ目につづく)






 ティク・ナット・ハンさんは、ベトナム戦争を経験している。その渦中で、僧院の中で修行を続けるべきか、それとも僧院を出て戦争に苦しむ民衆のために行動すべきかを悩んだ末に、修行も支援も、両方することに決めた。つまり、修行を通して高めた自己を、みんなのために役立てようとしたのである。これはとても当たり前のように思われるかもしれないが、大方の人々は、努力によって得た力を自分の利益となることを優先に考えがちである。簡単に言うなら利己的になる。ハンさんは利他的であった。エネルギーというのは一箇所に溜めてしまうと、水がそうであるように淀む。流れてこそエネルギーが活きるのである。
 修行とまではいかなくても、何らかの手段で自分を高める努力を絶やさず続けている人は多いと思う。その結果・報酬を仕事を通じて世の中のために還元している意識を持っている人も多いと思う。エネルギーというのは循環することで、その輪の中にいる者たちを癒し、活気づけるのだ。


 さしずめ、美しい言葉、美しいエネルギーと、意識的に触れ合っていくことは、良い波動の循環に入るためのチケットを得るようなものだ。日々それを絶やさずにいたい。肩肘貼らずに、敬遠しがちな教訓臭のある物事を、無理せず、コーヒーやお茶を飲むように、このうちに含めたらいいと思う。最後にハンさんの言葉をもうひとつ。
 

 目覚めていることを実践に移さなければなりません。
 私たちはみな、自らの人生を生きなければないません。
 
      
                               「抱擁」より







※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#60」は2018年11月8日(木)アップ予定。

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http://www.neol.jp/beauty/

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