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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#62

NeoL / 2019年1月7日 18時45分

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#62

 

5年間続けさせていただいた連載も最終回となる。
私がこれまで受け持った連載では最長となった。お付き合いいただいた読者の皆様には深く感謝している。新月の日に更新することを61回も続けてこられたのは、編集長の桑原さんのご理解と寛容さによる。改めてここに感謝を記しておきたい。

 


 旧正月を本正月とする沖縄に暮らしているせいか、一般的な大晦日や正月の感慨に乏しくなっている近年なので、正月の気の緩みのせいにできないのだが、最終回にして新月の日に更新することを初めて忘れてしまったのは、自分らしくもあるなと一笑。今年もゆるゆると生きるのだろう。


この5年いろいろ記させていただいた。

 ヒーリング放浪記「新月譚」が正式なタイトルだったと思うが、そこはかとなく社会に漂う疲弊感、希望を持ちづらい未来像への不安、経済の停滞感、などのネガティブな要素が最終的にそれぞれの個人に集積しているように感じ、小さな一助となるようにとの願いをこめて、始まったのがそもそもであった。

 毎回様々なヒーリング方法を紹介し、また健康への意識の向け方のアングルを模索し、心身が好調であること、それを維持すること、それらがもたらす健康な毎日の素晴らしさについて、初めての物を見るような気持ちで、記してきた。

 既知の知識や経験から紐解いた回もあるが、ほぼ毎回自分自身の好奇心の行き先に従って学びつつ進めていった。その立ち位置はおそらく読者の多くの視点と共通していたと思う。


 そもそも私がヒーリング以前に、目に見えないが確かに存在する不思議な力に好奇心を抱いたのは小学生の頃だった。成長するにつれ、その好奇心は、人を癒すエネルギーへの抑えがたい興味へと行き着いた。何故かは私自身にもわからない。心の奥から突き上げるような、衝動のような、と言えばいいだろうか。それは私の生業である撮影や執筆への熱意と比べても、劣らないものだった。
 育った家庭環境を考えれば、両親それぞれに異なる宗教への信仰を持っていたので、いわゆる宗教は身近だったが、身近なだけに憧れもなく、また拒絶もなく、現在の私は宗教的にニュートラルな位置にある。聖なるものへの信仰心はあるが、特定の宗教に帰依しているわけではない。

 なので、私のヒーリングへの興味は、宗教とは一線を引いたところにある。ちょうど科学と宗教の間にある場所を基本的な立ち位置とし、自由にその空間を動いて、偏見なくつぶさに様々なヒーリングを追ってきた。

 是非バックナンバーをご覧になっていただきたい。61回も感じ、考えたので、そのいずれかには誰かにとっての役立つ何かが潜んでいると信じている。ここ数年で扱ったものは、睡眠、日光浴、禅、怒り、冷えとり、ことば、肩こり、砂糖抜き、守護霊、巨木、レイキ、トークセン、瞑想、散歩、などなど、手技から精神世界的なものまで扱っている。

 これら61回の試行を経たのだから、さぞかし私を健康で心身ともに充実していると思われるかもしれない。確かに滅多に寝込んだりしないが、人より抜きん出て健康というわけではない。人並みよりはちょっと上かな、というのが正直なところだ。だが、考えようによっては、この5年間のヒーリング経験があったからこそ、人よりちょっと上かなという健康状態を得られているのかもしれない。それがなかったら大病していたかもしれない。




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 いわゆる健康オタクでもないし、諳んじられる知識もごく僅かだ。ストイックでもないし、取り組み方もいい加減でいいとさえ思っているほどだ。ただ、健康に留意したり、新しいヒーリングを試すことを楽しいと感じられる。健康を維持するゲームをしているような感覚に近い。当たればラッキーとクジを引いているぐらいの気軽さでやっている。

 このような感じで一つ一つを遊び心で取り組んでいても、いろんなことに手を出せば、知らないうちに経験値は上がり、全く異なるヒーリング間にも、共通点を見出し、その共通項をシンプルに並べていくと、ヒーリングの要点が見えてくる。科学的なものとスピリチュアルなものとでも、共通点は見いだせる。

 その共通点は、客観的にというよりもかなり主観的、直感的に選ばれることが多い。同じ映画を見ても感動する場面が人によって異なるようにだ。なので、こればかりは個人として多くを試しながら、オリジナルな解釈で共通点を見つけていくのがいいと思う。

そしてアップデートを忘れずにすることも大切だ。

 例えば、私はワークショップを催すほどに瞑想を大切にしているが、経験としても知識としても、常に本や瞑想会を通して、新しい気づきを入れるように心がけている。同じ本を何度でも読み返したりもする。エネルギーは流れさせておくべきもので、十分な経験を積んでも、形骸化しないためにそうするようにしている。

 そして、硬い骨さえ5年サイクルで細胞の全てが入れ替わるように、ちょっとでも違和感を持ったら、これまで大切にしてきたヒーリング方法を一旦手放す勇気も大切である。永遠の別れをするわけではない。必要となったら、また再開すればいい。それができないとただの執着になってしまう。執着は仏教でも手放すべきものとされている欲望の悲しいなれの姿である。これは物や人間関係にも当てはまるだろう。

 南方熊楠は、若い頃に存分に海外を見聞して歩き、その後は日本の山中に生涯留まり続け菌の研究に没頭した。もう外を見る必要はなく、山にいて宇宙を見る心境だったのだろう。身は一所にあっても、心や胸の中には宇宙の風が吹き抜けていたのである。アップデートといっても、あくせく動き回る必要はない。落ち着いて、ただ心を自由に泳がせておくような心持ちで取り組みたい。

 思えば、ヒーリングの目的は、心を自由に遊ばせておくことかもしれない。心が固まると、身も強張り、気、血、体液の流れが悪くなり、不調をもたらす。


 

何も持たずに生まれて来て、何も持たずに去る。




これはどんな人にも当てはまる事実だと思う。墓には何も持っていけないと誰もが言うが、その通りなのだ。なのに、生涯かけて積み木を乗せ続け高さを競って何になるのだろう。幻の塔だったと最後の一息を吐いて気づくとき、そこにどれだけの満足があるだろうか。明日の幸福のために今日の幸福を我慢して自分を滅し、生涯の唯一の日を無駄にしていないだろうか。明日へ持ち越された希望や光は、順繰りに先延ばしされ、最後の日に受け取れることになるのだろうか。



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 私たちはすべからく今日幸福でいた方がいいと思う。明日のことは明日に任せておける心境を得るために、様々なヒーリングから最適なものをその都度選択し、今日の幸福を感じ得る。健康とは、今の状態に満足できる心境を伴った心身の好調を言うのだと思う。



 また参考までに、現在の自分の生活の中で、ヒーリング的なものがどのように1日に組み込まれているかを最終回の締めとして記させていただきたい。まず、大切にしていることは以下のことである。




 頭を空っぽにする時間を作る。


 深い呼吸をする。


 適度な運動(時に過度に)


 肩の力を抜く。


 腹八分目の食事。




 私が気にかけているのは、これだけである。実にシンプルだと思う。この5項目が現在の着地点である。5年かけて得たものは、こんなものなのだ。逆に言えば、これが今まで出来ていなかったということになる。


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 頭を空っぽにするというのは、思考を外すことである。眠ればできると思われるかもしれないが、眠っている間も人はいろいろ考えたり夢を見たりするので、起きている時にその時間を得るようにしている。具体的な方法としては、瞑想である。頭を空っぽにすることは、新しいアイデアを得るための空き地を作るだけでなく、心身を深い安らぎに導く。私は朝晩に瞑想をすることを課している。たとえ5分しかできなくても、必ずやるようにしている。

 この瞑想時に、深い呼吸を意識する。息が浅くなると酸素が不足するし、免疫力も低くなる。瞑想時だけでなく、仕事の合間や車の運転時の信号待ちなどでも、頻繁にやるようにしている。


 人間の身体は、座り続けるために設計されているわけではない。動き続けられるように作られている。なので、適度な運動を行うことを前提として、全体の調和が保たれる仕組みになっている。毎日ジョギングや散歩を欠かさないようにしている。また週一回は強負荷をキックボクシングジムで与えている。自分の限界値を下げないためだが、これは寿命を縮めているかもしれない。だが、現在の年齢やライフスタイルには、このくらいの負荷をかけた方が、身体の張りがいいのでしばらくは続けようと思う。

 肩の力を抜く、というのは、不要な力みを心身から除く目的である。力みは流動性を弱める。執着心や肩こりを生み、生き方を強張らせてしまう。もともと私は頑張ったり気を張ったりすると、肩に力が入りやすく、これを抜けるようになったのは、40代になってからである。力を入れるよりも、力を抜くことの方が遥かに難しい。考え方が硬い人は、たいてい肩が凝りやすい。深呼吸する時に肩を回したりするようにしている。

 腹八分目は、昔の言葉にもあるように、過度な労働を胃腸にさせて、体内のエネルギーを無駄に使わないためである。また、間食なども控え、時には一日一食にして小さな断食状態を意識的に作ることも時々している。

 食事に関しては、昨年は身体の声に従ってアルコールから去ることになった。意を決したわけではない。飲みたくなったら飲もうと思っていたが、身体が欲しいと声をあげなかったので、飲まずに過ごした。体調は劇的ではないにしろ、一年を通して好調を維持できた理由のひとつかもしれない。その声には続きがあって、今年はコーヒーをまだ一口も飲んでいない。そのうち飲みたくなるのだろうが、常飲しなくなるような気がしている。

もしかしたら、身体の声が聞こえる客観性と、それに気安く従う柔軟さが、この五年で得たものかもしれない。

あと、これもヒーリングかな?と思える習慣は、雲を眺めることである。

人は人を真似て成長する。私は、時々なら自分自身が人でなくてもいいと思っているので、雲を眺めて真似ている。

 


流れよう、光を浴びよう、地上に恵みの雨を降らせよう、いつの間にか消えてしまおう。

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http://www.neol.jp/beauty/

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