「比較」は諸刃の剣

NewsCafe / 2013年8月6日 18時5分

先月の7月22日、イギリスでは未来の王となるジョージ王子が誕生した。
英国中が喜びに沸き、遠く離れた日本でも祝福の声が上がった。
きっと同じ「王・皇室」という存在を大切にしているからこそ、日本人としては「国の文化・伝統を引き継ぐ方のご誕生」がいかに喜ばしいことか、共感できるのだろう。

しかし、日本ではその喜びの中、一抹の寂しさの気持ちを持つ人々がいたようだ。
「雅子妃にも男児がいらっしゃればなあ」と。
やってしまったのである。「比較する」ということを。

確かに雅子妃には結婚当初から「男児を」との期待があっただろうが、今になってそのことを持ち出してキャサリン妃の男児誕生と比較する必要性はない。

日本では秋篠宮家に悠仁様がお生まれになり、いわゆる「皇位継承権問題」は一応回避された。
それにキャサリン妃と雅子妃では制度は当然として年代の違いもある。色々な意味で、比較して見えてくるものはないのである。
大体からしてこう言ってはなんだが、他国のことである。

それでも、それでも比較してしまうのである。なぜか。
「とりあえず、比較でもして雅子妃を批判したいから」である。

比較とは何かと他の何かを比べ、差異や優劣を見極めることである。
つまり、結局は人の心を差異でもって傷つける武器となるものなのだ。

人間はある程度社会生活を過ごしていれば、この「比較」は他人を容赦なく傷つける武器になることをよく知っている。
人を傷つけたいならそれは簡単、「あの人はできたのに、あんたはできないのね」と一言つぶやけばいいのだ。

雅子妃を執拗に他国のプリンセスと比較し続ける人は「比較」の心の殺傷能力を熟知している。皇太子妃なので直接的な批判は避けるにしても、「でも他国の王室ではねぇ・・・」と遠回しに嫌味を言い続けるのだ。とりあえず比較しておけば責めれらることもなし・嫌味も言える、と一石二鳥なのだ。

雅子妃を批判する人々がそうなるに至った経緯・理由は人それぞれあるだろうが、雅子妃と他国のプリンセスを比較し続ける意義ははっきり言って皆無である。
残るのは皇太子夫妻の悲しみだけである。

ところで、この便利な凶器は他人ばかりではなく自分自身をもばっさりと斬る。
人間は生まれてからずっと己と他人との比較の中で葛藤し続ける運命にある。
容姿・健康・財力・才能・・・などなど、比較の材料は尽きない。
他人と比較し続けた結果、自分を不必要に責めてしまう。最悪、自殺ということも現実にはあるのだ。

誰かと誰かを比較するのは人の勝手である。しかし「比較」は他人も、自分もひどく傷つける諸刃の剣であるということを忘れてはいけない。

【執筆者:猫紫】

NewsCafe

トピックスRSS

ランキング