「非常袋」は暮らしの歴史

NewsCafe / 2013年9月6日 15時0分

9月1日は90年前の「関東大震災」を忘れないために設定された「防災の日」である。関東大震災は、1923年9月1日11時58分32に神奈川県相模湾北西沖80kmを震源としたマグニチュード7.9による地震災害である。神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし「日本災害史上最大級の被害」を与えた。

190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明・建物被害は全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。関東大震災と言うと東京の被害が中心に報じられることが多いが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内。建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、岸部では高さ10m以上の津波が発生した。

能登半島付近に位置していた台風による風と火災発生時の強風に煽られ、東京では「陸軍本所被服廠跡地惨事」で知られる被害が引き起こされ、鎮火したのは2日後の9月3日10時頃とされている。「3.11東日本大震災の死者の多くが津波被害」であったのに対して「関東大震災の死者の多くは火災被害」であったのである。

今年も各地で「防災訓練」が行われ「参加人数は140万人弱」であった。政府主催の防災訓練は「最悪で死者34万人が予想される南海トラフ巨大地震」を想定した今までにない具体的なものであった。「儀式化した訓練」から「少しでも現実化した訓練」と言う流れは重要である。東日本大震災で頻発した「想定外」を少しでも減らそうとの意気込みが感じられるのである。我が家でも久々に「非常持ち出し袋類」の総点検を行った。1階と2階にそれぞれリュック・納戸に非常用備蓄ポリ容器・外の納屋にも大型収納容器。いつの間にか増えた防災備蓄である。庭にビニールシートをひいて「全品点検」。まさに「災害用備蓄&持ち出し品」は我が家の歴史であった。

初期の備蓄には「子供を配慮した品物や食品が多く・阪神淡路大震災後の備蓄は「質・量ともにサバイバル食品や食品や燃料類が充実・中越地震後には寒さ対策品の備蓄が増え・東日本大震災後には「狼狽外の電池や保存食料品」が増えたのである。驚くことに「懐中電灯が10本・使わなくなったガラ系携帯電話の充電器が6ツ・電池類が単1~単4まで60本・ランタン類が5ツ・米軍用のフリーズドライ食品からレトルト食品やパックご飯類が50パック・浄水器類が3台・ガスボンベが10本…いかに思い付き&パニックで備蓄品を買ってきたかがわかるのである。かなりの食品類が賞味期限切れ・ガスボンベは錆びて危険な感じ・電池を計ってみると能力は半分以下…である。使わなくなった携帯電話の充電器を含め「かなりのものを廃棄処分・補充を購入」と言う事になった。皆さんの「「災害備蓄品」もぜひ点検を…。

31日~1日にオンエアーされた「NHKの巨大地震特番」は「さすがNHK」と言うものであった。カミサンは「南海トラフ大地震は生きている間に必ず来る」と悲観的である。民放TVの「関東大震災体験者インタビュー」では「いずれも95才を超えた体験者」の「団体行動をした人・家財を多く持った人は焼死した。火事も津波もテンデンが生き残る秘訣」と言うコメントが妙に印象的だった。

[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]

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