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ウエアラブルは何のための存在か - 瀧口範子 @シリコンバレーJournal

ニューズウィーク日本版 / 2014年2月20日 17時27分

「クォンティファイド・セルフ」は、いろいろな意味で歓迎すべきものだろう。自分のことを明確に数字で把握できるようになって、自己向上につながる意味は大きい。はっきりと数字を見せられれば、運動不足やカロリーの取り過ぎがごまかせなくなる。何となくわかっていたが、ダラダラと過ごしていた時間がやっぱり多かったといった認識もできるだろう。そして、いったん向上に努め始めれば、数字がどんどん良くなっていくのが励みにもなるはずだ。

 その一方で、数字だけで自分を測ることの危険もある。

 たとえば、「生産的」とはどんなことなのか。デバイスやアプリによって計測方法は異なってくるだろうが、ウェブのブラウジングではなく、メール送信やドキュメント作成をたくさんしていれば生産的なのか、あるいはそもそもキーボードを叩き続けたり、忙しく動き回っていたりすることが生産的なのか。これが進むと、空を見上げて空想にふける貴重な時間はカウントされなくなってしまうだろう。

 また、刻々と自分のムードや幸せ度を測るというのも、余計な意識を掻き立てるようなことになったりしないだろうか。ちょっとしたムードの変化が数値化されてゆるぎない記録になり、それが気になったりする。また、しばらく時間が経過しなければ感じ取れない幸せ感のようなものを、今すぐ測ろうとすれば、そもそも間違った測定になりかねない。

 それにいったん数量化されると、競争の種にもなる。数値を上げようと頑張るのはいいとしても、数字があるがために意味なく他人と競争したくなる衝動を抑えられなくなるかもしれない。

 その意味では、フェイスブックの「友達」も自分の数量化トレンドの兆しだった。友達の数が自分を計測する尺度になる面があるからだ。友達の深度とは無関係の点取り競争に陥っているかもしれないにも関わらず、数量はある種の力を持ってしまうのだ。

 混沌とした自分や世界をどう認識するか。少々大袈裟だが、「クォンティファイド・セルフ」は、多機能なデバイスやアプリを前にして、われわれユーザーに自分を測るだけではないもう少し高いレベルの問いを投げかけてくるようにも感じるのだ。




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