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「アンネの日記」事件に思う - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 / 2014年3月2日 11時55分

 むしろ注目すべきなのは、アラブ、イスラーム側のイスラエル批判のロジックが、「ホロコーストを経験したユダヤ人なのに、なぜ同じ人権無視と人種差別を、パレスチナ人に対して行うのか」ということだ、という点にある。アンネ・フランクの存在も、その延長に位置づけられている。

 エジプトの英字紙「アハラーム・ウィークリー」が2012年7月に掲載した記事が、典型的な例だ。そこでは、2003年にガザでパレスチナ人のためにボランティア活動をしていたところ、イスラエルの戦車によって轢き殺された23歳のアメリカ人、レイチェル・コリーとアンネ・フランクを比較している。両方とも、若くして非人間的な暴力によって命を奪われた女性であること、日記を残したという点で、似ている。

 その記事は、いう。「アンネ・フランクは、生きたいと思い、最悪の事態に抵抗しようとする人間の意思と願望を体現している。・・・・だがアンネ・フランクの死は(ホロコーストのシンボルとされたことで)永遠に生き続けているが、(パレスチナの地でイスラエルに殺された)レイチェル・コリーの名前と生と死は、パレスチナ人がそうであるのと同じく、アメリカの歴史から消し去られている。・・・アンネ・フランクはきっと、レイチェル・コリーを尊敬したに違いないのに」。

 つまり、アラブ、イスラーム社会のアメリカ、イスラエルに対する批判は、なぜ自分たちがされて嫌なことを他者にするのか、ということに尽きる。アラブ対イスラエルの対立は、ユダヤとアラブ、イスラームの人種間の否定のし合いでは、決してないのだ。だから、ナチスやヒットラーを礼賛したり、アメリカ嫌いが嵩じて第二次世界大戦の間違いを正しかったと言い出すような人々の発想は、アラブ、イスラーム社会の上のような認識とは全く異なっている。

 しかし、前者のような人々が回りまわって反ユダヤ主義に陥ったら、アラブ、イスラームを、短絡的に「反ユダヤ主義の同胞だ」などと考えたりしないだろうか。欧米諸国が、アラブ、イスラームの反イスラエル姿勢を即座に「ヒットラー同様」と断罪することも問題だが、逆に欧米の姿勢をけしからんと考えたら即、「反米=反ユダヤ=ナチス=アラブ、イスラーム」と誤解するのも、大いに問題をはらむ。

 欧米植民地支配に苦しむアラブ、イスラーム社会と共闘するふりをして実際にはアジアへの進出に利用した、戦前の日本の発想の轍を踏むようなことにならなければよいがと、切に思う。

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