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外交舞台に躍り出るモンゴルの内幕

ニューズウィーク日本版 / 2014年4月2日 13時22分

 緊張関係が続く日朝関係。トンネルの出口はまだはっきりとは見えないが、そんななか、ダークホースが仲裁役を買って出た。モンゴルだ。

 3月10日から5日間、日本の拉致被害者家族である横田滋・早紀江夫妻と北朝鮮に住む孫のキム・ウンギョンが面会したが、その場所は北朝鮮が主張していた平壌ではなく、モンゴルの首都ウランバートルだった。

 伏線は昨年9月にあった。日本の安倍首相はこの時、東京の私邸でモンゴルのエルベグドルジ大統領と非公式会談。以前から拉致問題に関心を寄せてきたエルベグドルジがその場で面会の設定を約束し、翌月には北朝鮮を訪れて調整したという。

 北朝鮮との仲裁の成功には、歴史的な背景がある。「モンゴルはモスクワでのパイプを活用した」と、モンゴル出身で静岡大学教授の楊海英は指摘する。同じ社会主義国でソ連の衛星国だったモンゴルと北朝鮮のエリートたちの間には、かつて留学先のモスクワで一緒に学んだ人脈が今も生きている。帰国後はそれぞれ母国で政治家や官僚となり、ソ連が崩壊してからも情報交換を欠かさなかった。中国が共通の「敵」だったからだ。



 北朝鮮とはひそかに経済関係も強化してきた。急増した中国人労働者に代わって、現在では北朝鮮から多くの労働者を受け入れ、北朝鮮の港湾都市・羅先の開発にも乗り出そうとしている。内陸国であるモンゴルに港はないが、シベリア横断鉄道などを経由して羅先を自国の豊富な資源の輸出港とすることができるからだ。

 長らく清朝に服属したモンゴルは20世紀に入ると、北はソ連の衛星国となり、南は内モンゴル自治区として中国に併合された。中ソ両大国に挟まれた国際環境で生き抜くため、モンゴルは独自の外交力を磨き、冷戦崩壊後は民主主義移行国の成功例として中央アジアで頭角を現した。

 チンギス・ハンの祖国という歴史の栄光はモンゴルを大国外交に駆り立てている。国連PKO(平和維持活動)はもとより、イラク戦争やアフガニスタン作戦にも積極的に参加。今では北朝鮮をめぐる「7者」協議参加やEU加盟も模索するほどだ。

 その志は壮大だが、人口は280万ほど。経済力や軍事力は周辺諸国と比べものにならないほど小さい。外交の調整役にはなれても北朝鮮を動かす力までは望めないと、楊は言う。

[2014.4. 1号掲載]
深田政彦(本誌記者)

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