イラク新首相、任命されたはいいが - 酒井啓子 中東徒然日記
ニューズウィーク日本版 / 2014年8月12日 20時9分
不安なのは、アバーディ首相がダアワ党でもロンドン支部出身の欧米経験の長い人物だという点である。米英にとっては、話しやすく扱いやすい相手だろう。だが、国内のドロドロした権力関係のなかで、どれだけ手腕を発揮できるか。
似たような経歴で思い浮かぶのは、米軍統治下で移行期首相に選出されたイブラヒーム・ジャアファリである。流暢な英語と哲学的な会話を楽しむにはいいが、現実の政治からはどこか遊離した存在だった。今回のアバーディ任命の過程では、2008年にダアワ党と決別したジャアファリの姿が、あちらこちらで見え隠れしている。
そう書くと、結局は欧米の都合のいい政権に代えたかっただけではないか、との批判が聞こえてくるだろう。確かに、「イスラーム国」への空爆も、モースルが制圧されてスンナ派であれシーア派であれアラブ人が苦境に立たされたときには動かなかった米軍が、クルド地方政府の支配するクルディスタンに危機が及んだ途端に、行動に出た。クルド地方政府とアメリカの密接な関係を、「陰謀論」的に取沙汰する向きも強い。少数宗派のヤズィーディ教徒が孤立無援になったことで急きょ「救済」ムードが高まったことも、普通のイスラーム教徒にとっては、「多数のイスラーム教徒だって多大な被害を受けているのに、国際社会はなぜ動かないのか」的不信感につながる。
(ちなみにヤズィーディ教徒は、「悪魔崇拝」でイスラーム教に反する、とみなされたり、その名前が、カルバラーの戦いでシーア派の三代目イマームのフサインを死に至らしめたムアーウィヤ軍の指揮官で、その後ウマイヤ朝二代目カリフとなったヤズィードと名前が似ているというので、シーア派から疎まれたりと、歴史的に差別されてきたが、存続の危機に至るほどの迫害にさらされたのは、イラク建国以来初めてだ。)
だが、それは短絡的に過ぎる見方だろう。イスラーム国は着々と統治の基盤を固めており、危機は少数宗派への迫害やクルド自治政府だけに及んでいるのではない。イスラーム国は8月初めにモースル北にあるモースル・ダムを制圧したが、これは首都バグダードを含めイラク国内の主要都市が水源を依存するティグリス川の上流を、イスラーム国が手中に入れたことを意味する。イラク国内全体の水の供給を支配したばかりでなく、ダムを決壊させれば川を氾濫させてイラク社会を破壊できる、重大な手段を手に入れたのである。迫害されるキリスト教徒やヤズィード教徒の生死が懸念されていることはもちろんだが、制圧下にあるスンナ派のモースル住民も、イスラーム国に服従を強いられている被害者に他ならない。それだけの脅威を、数日の米軍の空爆で排除できるとアメリカも思っていないだろうし、新政府が挙国一致で対応できるとも思っていないだろう。クルド地方政府を助ければそれで済む、とも思っていない。
空爆の是非はともあれ、この状況に対して国際社会が動かないでいること自体が問題ではないか。そもそも周辺国が地域一体となって、シリア、イラクともに対処すべき事態なのではないか。イスラーム国に対する危機感は共有されているにも関わらず、具体的な手立てに繋がらない現状がもどかしい。
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