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後藤さんと被災地取材を共にして

ニューズウィーク日本版 / 2015年2月1日 17時0分

 後藤健二さんの姿がテレビに映し出されるたび、時間と空気が止まったような感覚に陥ります。ご家族のお気持ちを思うと、言葉もありません。

 後藤さんとは1度だけお仕事をご一緒したことがあります。

 私は311直後、ユニセフの支援チームと一緒に宮城に入ったのですが、そのとき後藤さんはユニセフの活動の記録係を担当されていました。避難所になっている中学校の体育館に入ると、避難している子供たちはみんな元気がなくて、大人しく座ってテレビを見ていました。そこにユニセフが玩具などの支援物資を提供し、元気を取り戻した子供たちに後藤さんは笑顔でカメラを向けていました。各社の記者たちがメモ片手に子供たちからコメントを取ろうと必死になるなか、後藤さんは途中から自分も子供たちと一緒になって遊んだり、被災したお母さん方と取材という風でもなく普通に会話をしていました。今思えばそれが、後藤さんが中東でそれまでも、その後もずっとやり続けてきたことなのだと思います。

 津波にすべて流された地域を前にして、後藤さんは私に言いました。「小暮さん、僕はこれまでいろんな戦場を見てきたけど、こんな光景は見たことがない」。私は戦場を見たことがなかったので何だか恥ずかしくなって、あいまいな言葉を返したような記憶があります。後藤さんがそれまで見てきたものと、私が見てきたものは、あまりにも違い過ぎました。

 後藤さんが車の中でしきりに「~だっちゃ」という言葉で話しているので、「だっちゃって何ですか」と聞きました。後藤さんは助手席からこちらを振り返って、仙台弁だと教えてくれてくれました。後藤さんは仙台出身なのだそうです。今や「被災地」となったご自分の出身地を仕事として取材するのはどんなに辛いだろうと思いましたが、後藤さんは終始落ち着いていて、プロフェッショナルでした。それでいて、打ちのめされた現場を明るくするような、人間味のある方でした。

 私は、後藤さんが殺害されたとされる映像を観ることができていません。この件で真摯な報道を続けているCNN東京特派員のウィル・リプリー記者は映像を観て、自分のツイッターに、後藤さんは「met his end with dignity at the hands of pure evil(悪魔の手の中で、最期まで威厳を失わなかった)」と書きました(リプリー記者は「自分は仕事の一環として観たが、一般の人はテロリストのプロパガンダであるこのビデオを観るべきではない」とも言っています)。報道を通して見る後藤さんは、その表情から伺えるように、最後までご自分の信念と自分らしさを貫かれたと思います。

 強さと優しさを併せ持ったジャーナリスト、後藤健二さんに最大の敬意をもって、安らかなお眠りをお祈り申し上げます。

小暮聡子(本誌記者)

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