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中東外交:銃より薀蓄、兵士より詩人 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 / 2015年6月17日 11時40分

 歴史と社会についての薀蓄が役に立つのは、研究のためだけではない。外交の重要な舞台でも、それはずいぶんに役に立っている。

 イラク戦争後、ヨルダンのアンマンでイラクの将来に関する学者の集まりがあった。ヨルダンが音頭を取って欧米とイラクの学者を出会わせたわけだが、会議の資金調達や運営は、日本の国際交流基金やドイツの文化支援機関、ゲーテ・インスティテュートが請け負っていた。筆者は、国際交流基金のサポートを得て、参加し研究報告をしたのである。

 そこでショックを受けたことがある。後援機関であるゲーテ・インスティテュートの中東担当者が、会議の司会をしていたのだが、これがたいへんな中東通だった。自身が研究者で、アラブ地域の古・中世史に実に詳しい。司会をしながら、有り余る知識をふんだんに披露していた。

 対照的に悲しかったのが、日本である。国際交流基金は、資金は出したが、誰も出席しなかった。日本大使館から、最初に挨拶があったが、挨拶しただけで帰ってしまった。最後まで参加していて、このときほど、「ああ、日本の外交官も参加者を唸らせるぐらいの知識と教養を披露できないものか」と思ったことは、ない。

 それから、十年。ようやく、日本の外交官が、外交駆け引きではなく知識と教養でアラブ人たちを唸らせることが起きた。今年四月、アラブ首長国連邦のドバイで開催された第9回「シャイフ・ザーイド書籍賞」授賞式で、塙治夫氏がアラビア語から日本語に翻訳したナギーブ・マフフーズのカイロ三部作(『張り出し窓の街』『欲望の裏通り』『夜明け』)が、翻訳賞に輝いたのである。2007年から設けられたこの賞、日本人は初めての受賞だ。

 塙治夫氏は、日本外務省屈指のアラビストである。筆者も氏が在イラク日本大使館に公使として赴任されていたときに、いろいろとお世話になった。イランとの戦争中、まさに今の混乱の出発点にいたイラクで、外交の最前線に立っていたその人が、ノーベル文学賞受賞作家のマフフーズを翻訳していた――。まさに、知識と教養でアラブ社会に強烈な印象と感銘を与えた外交官である。そう、外交活動においては、教養と知識と文化理解こそが大きな財産なのだ。

 さて、先週9日、文部科学省が発した通知に、人文社会科学系の大学の間で衝撃が走っている。「国立大学の人文社会系の学部や大学院は、社会にニーズのある人材を育てるのでなければ、廃止するか分野転換しろ」という通知である。すべての学問は社会にニーズがあるぞ、というような反論は、なかなか聞いてもらえない。すぐ利益につながるとか、政策や経済繁栄に直結するとか、そういう学問が重視される世の中になる。

 だが、繰り返すが、外交は教養と知識と文化理解で成り立っている。一見役に立たない古代メソポタミア文明とか、ペルシア文学の詩とかについての知識は、しかしそれを披歴することで、相手の心をがっちり掴み、うわべではない外交的友好関係を構築できる重要な鍵である。

 何億円のカネを費やして武器を装備した人たちを派遣するよりも、現地語で詩を暗唱するほうが、よほどコストとリスクのいらない、有意義な外交活動ではないだろうか。

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