又吉直樹氏の傑作『火花』は、日本文学を変えるか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
ニューズウィーク日本版 / 2015年7月21日 16時30分
その結果として、作者の又吉氏は、この「問いには答えはない」というおそらく正解にたどり着きつつも、「答えがないと言い切ることもまた間違いである」という理解、あるいは境地に主人公の視点を通じて、読者が到達するように書き切っているのです。
この「表現というもの」に関する境地に加えて、社会的な視点もちゃんと入っています。これはネタバレになるので申し上げられないのですが、結末にある種の「オチ」が仕掛けてあります。その「オチ」に関して、主人公が「差別」の問題になるのではないかという懸念を、実に丁寧に誠実に議論するという部分があります。
その丁寧な処理の仕方というのは、本作のクオリティを高めているだけでなく、社会的な影響度にふさわしい「ディセンシー(品格)」ということを、この作品はしっかりと意識しているし、同時に自分たち「お笑いの世界」にいるプロたちはしっかりやっているんだという自負を宣言しているようで、小気味いいほどでした。
いずれにしても、これは大変な達成であると思います。どうしてそのような達成が実現したのかというと、それは、この又吉氏という作者が「お笑い芸人」という職人仕事に徹底したプライドを持っていると同時に、観客に対する無限のリスペクトを持ち合わせているからです。
観客へのリスペクトは、本作の場合には読者へのリスペクトであり、読者に対して、いかに誠実に面白く、分かりやすく伝えるかという、物書きに取っては、最も大切な姿勢を、しっかりと貫いているのだと思います。
一つだけ苦言を呈するならば、最初に出てくる「熱海の花火のシーン」の文章にちょっと硬さがあって、言葉のリズムが自然に流れていかない傾向があるように思います。文章が「上手でない」などという批判が出ているのはこの部分のためだと思われます。ただ、そうした「地の文」が余り活き活きしてしまうと、この種の一人称のモノローグの場合は全部が「嘘くさく」なってしまうので、こうした処理にしたのかもしれません。
しかしそれ以降、徐々にダイヤローグが絡んでいくと、全ては自然に流れていくようになりますから、問題視する必要はないと思います。
ところで、この作品ですが、読了直後は、自分の職業である「お笑い」の本質を描いてしまったら、次には何を題材にしたらいいか困るのでは、そんな心配をしたのも事実です。ただ、おそらくそれも杞憂に終わるのではないかと思います。
というのは、本作は確かに「お笑い」という自分自身の職業の世界を描いていますが、作者に取っては「お笑い=話し言葉の芸」から「小説=書き言葉の芸」へのトランジション(移行過程)にある作品なのだと思うからです。いずれ、まったく「お笑い」とは関係のない題材で、この人は書くのだろうし、その時がさらなる飛躍のチャンスになると思います。楽しみな才能だと思います。
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