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日本人ムスリムの姿から、大切な「当たり前」を再確認する

ニューズウィーク日本版 / 2015年7月24日 19時38分

 しかし個人的には本書について、だからこそ読む価値があったと感じている。なぜならここに描かれている在日イスラム教徒(日本人も含む)の価値観やライフスタイルは、これまで彼らに対して抱いていたイメージとはだいぶ違うからだ。

 たとえば、ともすれば私たちはイスラム教徒のことを「厳しい戒律に縛られた人たち」であるように思いがちだが、実際には信仰の度合いも礼拝の仕方も、食べものや酒についての考え方も人それぞれ。もっといってしまえば、「思っていた以上にアバウト」だったりもする。

 特に印象的だったのは、イスラム教徒の子どもたちの意見だ。なかでも福岡県の高校と中学校にそれぞれ通う、優平くんというお兄ちゃん、そして怜和ちゃんという妹の話には、ずいぶん納得させられた。


「たまに先生が、ちょっと間違ったことを言ったりする。『イスラム教は厳しい』とか。そういうときは『厳しいと思うか、そうでないかは、人それぞれだよねー。場所にもよるし』とか思う」(117ページより)



 これに続くふたりのやりとりは、ちょっと痛快ですらある。


 怜和ちゃんの話を受けて、優平くんがお祈りの所要時間について指摘した。「一日五回のお祈りも、それぞれたった五分じゃないですか。合計しても一日三〇分もかからない」
 怜和ちゃんも同感だ。「二四時間ある中での、たった五分。そう考えたら、『それくらい神様に時間やってもいいんじゃねえのー』っていう感じですね」(117~118ページより)



 ちなみに優平くんはインドネシア生まれなのに、イランや中東付近のことを質問されることがあるという。私たちはそんなエピソードからも、自身の内部にある誤解や偏見を認めるべきだろう。だが、その一方には、「ボーン・ムスリム(イスラム教徒として育てられた信者)」の問題もある。外国人のボーン・ムスリムのなかには、イスラム教の正確な知識を持たない人も多いのだそうだ。

 だとすればなおさら、イスラム教徒と非イスラム教徒が、誤解のない状態を共有することは不可能に近い。でも、果たしてそこまで理解しなければならないのだろうか? 本書を読んでそう感じた。

 日本人のなかにだってイスラム教徒も、仏教徒も、キリスト教徒もいる。そもそも大半は無宗教だ。そして冒頭で触れたとおり、異端に見えるイスラム教徒も、意外に普通だったりする。日本人同士だって相容れない相手はいるし、イスラム教徒だってそれは同じ。


ニュースには現れないイスラム教徒も存在する(中略)。私たちと同じように、「普通に」日本で生活している彼らの声は、私たちの耳にはほとんど届かない。(34ページより)



 つまり、当たり前だが、お互いに普通の人間なのだ。だから、理解できたりできなかったりするのだ。そんな当たり前すぎることを、本書は再確認させてくれるのである。



『日本の中でイスラム教を信じる』
 佐藤兼永 著
 文芸春秋

印南敦史


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