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ママたちの不安を知る、型破りな保育園経営者(1/3)

ニューズウィーク日本版 / 2015年9月9日 16時40分

 日本へ行くことに家族はみな反対し、とくに祖母の反対は猛烈でした。というのも祖母は、日本の中国侵略で悲惨な体験をしていたからです。若いころ日本軍に家を爆撃され、一家は逃げまどいました。それから日本人が町に攻めてきたので、防空壕に隠れたそうです。そのことになると、祖母の話は止まりません。でも私は家族の忠告に耳をかさず、頑として出国の意志をまげなかった。なぜなら私は200人以上から選ばれた、3人のうちの1人だったからです。選ばれたからには、もしやご縁があるのかもしれない。まずは行ってみよう、ダメなら戻ればいい。そんな考えで日本にやってきました。

 ところが日本に着いてから、騙されていたことに気づきました。どこが電子工場の研修生でしょう。仕事は風俗業のホステスにすぎなかったのです。空港を出ると、迎えにきた車でそのまま田舎のアパートに連れて行かれました。アパートを管理していたのは台湾人です。私たち3人の寧波出身の女の子はそこに落ち着くやいなや、夜にはホステスの仕事に就かされました。

 こんなことを家族に知られたら大変です。これからどうしよう。逃げて帰国しよう。日本語が全くわからなくて、どうやって逃げようか。しかもパスポートは取り上げられてしまったし......。やむを得ない状態で、2カ月ほど過ごしました。ある日、バーで初めて中国人客に出会い、ワラをもつかむ思いで、脱出を助けてくれるか尋ねました。その男性はなかなかいい人で「君を連れて出ることはできないが、電車のルートなら教えられる。必要な交通費もあげよう」といってくれました。また、東京にいる友人を紹介してくれ、「困ったことがあれば彼を頼っていいよ」と。こうして私はついに1人で逃げ出したのです。

 東京に着くと、その友人が当座の住まいを探してくれましたが、生活するにはお金がいります。日本語もわからないのに、どうして仕事が見つかるでしょう。唯一の仕事は、やはりバーのホステスでした。いっそのこと帰国しよう。でも身分を証明するものさえなくて、どうやって帰国しよう。どうにか帰国しても家族になんて説明するのか、などと思い悩み、結局、日本に残ってから考えようと決めたのです。

 脱出してから、例の会社の人間がすぐに私の家族に連絡し、私が逃げたことを伝えました。しかも私が数々の悪事を働いたといい、私に連絡をとってただちに戻ってこさせろ、でないと暴力団や警察が捜し出すぞ、とおどしたのです。恐ろしかった。本当に、日本全国の暴力団と警察が私を捜すのだと思いました。

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