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神仏も恐れぬ宝物泥棒、国境の島が怯える韓国資本

ニューズウィーク日本版 / 2015年9月16日 16時30分

 倭寇は一種の生活手段だった。16世紀の後期倭寇と称された集団も大半は日本人ではなく、中国南東部の福建人や広東人の割合が大きかった。平時に貿易をし、不穏な時には略奪もする。明朝中国は自国民の海上活動を制限(海禁)しており、日本人と自称すれば尚武の名声も響くので、倭寇の名がはやった。

 もっとも、海原を自由に行き来する男たちに国境意識はなかった。17世紀の明末の名高い海賊・鄭芝龍(ていしりゅう)は日本の平戸藩士の娘を妻にしていた。その妻が産んだ国姓爺(こくせんや)(鄭成功[ていせいこう])はオランダ人の統治するフォルモサ(台湾)を占領して清朝と対峙した。このように、人が動けば物も流転する。歴史をすべて「侵略」「略奪」と解釈して、目の前の政治的な目的で過去の遺産を盗む行為は、そもそも先人の遺志に反しているのではなかろうか。

 文化財の窃盗だけではない。私は昨年2月に対馬を一周する旅をした。自衛隊駐屯地周辺の土地が韓国資本に取得される状況が続くことにも、地元住民は危機感を抱いている。寺社に出没する個人だけでなく、巨大な資本による戦略的な進出に対し、日本政府がいかなる対策を取るかが注目されている。

 如来立像は7月に対馬に帰郷したが、観世音菩薩坐像は半島に「抑留」されたままだ。


[2015.9.15号掲載]
楊海英(本誌コラムニスト)


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