毛沢東は日本軍と共謀していた――中共スパイ相関図
ニューズウィーク日本版 / 2015年11月16日 15時23分
毛沢東、中共軍と日本軍との停戦を要望
日本の外務省との共謀に味をしめた毛沢東は、今度は日本軍と直接交渉するよう、潘漢年に密令を出している。
ある日、岩井は潘漢年から「実は、華北での日本軍と中共軍との間における停戦をお願いしたいのだが......」という申し入れを受けた。これは岩井英一自身が描いた回想録『回想の上海』(「回想の上海」出版委員会による発行、1983年)の中で、岩井が最も印象に残った「驚くべきこと」として描いている。
潘漢年の願いを受け、岩井は、陸軍参謀で「梅機関」を主管していた影佐禎昭(かげさ・さだあき)大佐(のちに中将)に潘漢年を紹介する。潘漢年は岩井の仲介で南京にある日本軍の最高軍事顧問公館に行き、影佐大佐に会い、その影佐の紹介で日本の銘傀儡政権であった国民党南京政府の汪兆銘主席に会う。
汪兆銘政権の背後には軍事顧問として多くの日本軍人がいるのだが、潘漢年は都甲(とこう)大佐にも会い、中共軍と日本軍との間の和議を申し込んでいる。
汪兆銘傀儡政権との共謀
毛沢東は実は第一次国共合作(1924年〜1927年)のときに孫文や汪兆銘に気に入られて、汪兆銘とは兄弟分のような仲となっていた。汪兆銘が国民政府の主席で毛沢東が同じ国民政府の宣伝部部長を務めていた時期もある。
そこで毛沢東は潘漢年に、重慶国民政府の蒋介石と袂を分かち南京国民政府を日本軍の管轄のもとに樹立していた汪兆銘政権とも接触を持たせ、さまざまな形で共謀を図っていた。
汪兆銘に「あなたが倒したいのは重慶の蒋介石ですよね。それはわれわれ中共軍と利害を共にしています。ともに戦いましょう」という趣旨のメッセージを送っている。
汪兆銘政権のナンバー2には周仏海という実権を握っている大物がおり、その下には特務機関76号を牛耳る李士群がいた。潘漢年は汪兆銘と李士群と会うだけでなく、汪兆銘政権ナンバー2の周仏海にも接触を持っていた。このことは周仏海の日記および周仏海の息子の手記に書いてある。
葉剣英(ようけんえい)(のちの中共中央副主席)は、女性作家・関露を李士群の秘書として特務機関76号に潜り込ませており、饒漱石(じょうそうせき)(当時は中共中央軍事委員会華中軍分会常務委員など)は潘漢年や揚帆(ようはん)(当時は中共中央華中局・敵区工作部部長)に中共スパイとして日本軍との接触を命じている。すべて毛沢東の密令であり、重慶の国民党軍に対する中共軍の戦局を有利に導くためだった。日本軍との戦いは蒋介石率いる国民党軍に任せ、中共軍はその間に強大化していくという戦略である。
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