歴史の中の多様な「性」(3)
ニューズウィーク日本版 / 2015年12月2日 16時6分
さらに、男色と同性愛は、もっと根本的なところから異なっていると私は考えるようになった。その説明には、私が『岩波講座 日本の思想 第5巻 身と心』掲載の「性と愛のはざま─近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う─」で使った「川の流れの図」を使うのがわかりやすい。
説明のしやすさから、まず近代のセクシュアリティ観を示す「川の流れの図」から見てみよう(図4)。
図4:近代のセクシュアリティ観を表す「川の流れの図」
境界の川は「男」と「女」の間を流れている。「川」を挟んで成り立つ愛が異性愛である。それに対して、「川」の同じ側でなされる愛が同性愛である。愛は「川」(境界)を越えて成り立つとされていたので、境界を越えない同性愛は「変態性欲」として強く忌避されていた。
一般的には、こうした「川」の流れは、古今東西普遍で変わらないとイメージされている。しかし、本当にそうなのだろうか? 日本の前近代のセクシュアリティの在り様を見ていると、どうもこの図にうまく乗らないのだ。そこで、私は次のような前近代のセクシュアリティ観に適合するような「川の流れの図」を描いてみた(図5)。
図5:前近代のセクシュアリティ観を表す「川の流れの図」
境界の川は「大人(男)」と「子(女子・若衆)」の間を流れている。「大人(男)」からすれば、「子」である「娘」(女子)と「若衆」(男子)は同じく「川」の向う側にいる存在であり、ともに大人(男)が「色」を仕掛ける対象という点で近似し互換可能である。「色」が「娘」に向かえば「女色」で、「若衆」に向かえば「男色」になるが、両者は「川」(境界)を越えるという点で根本的に差がなく、固定化もされていない。
「若衆」は、成長して元服すれば、境界の川を渡って「大人(男)」になり、今度は「色」を仕掛ける側になる(年齢階梯性的循環と永続性)。「娘」も結婚すると境界の川を渡って「大人(男)」の「妻」(妾)になる。「大人(男)」にとって「妻」は「川」の同じ側の存在なので、「色」の対象にはならない。もちろん、子孫をもうけるための性行為はするが。ちなみに「若衆」と「娘」の間には小川が流れているので、「川」(境界)を越える形で「恋」は成立する。
こんな「川の流れの図」を描いてみると、「女色」と「男色」の対置構造や可変性、「娘」と「若衆」の服装の類似(髪形・振袖)などが説明しやすくなる。
しかし、こういう説明をすると「若衆だって体は男じゃないか。だったら川の同じ側だろう」という反論が必ず出てくる。それに対して私は「そうした性別の身体構造決定主義こそが近代思想なのではないでしょうか」と問いかけたい。
この記事に関連するニュース
-
山崎まさよし、地上波連ドラ26年ぶり主演「三ツ矢先生」共演の犬は「福耳」MV出演犬の子ども
日刊スポーツ / 2024年7月24日 16時28分
-
「中絶手術前に胎児の心音を聞かせる」国内外から批判多数も地元ハンガリーの若者が「妥当」だと語る深い理由
プレジデントオンライン / 2024年7月21日 10時15分
-
同性愛迫害で難民認定判決 大阪地裁、北アフリカ男性
共同通信 / 2024年7月4日 17時53分
-
同性愛で有罪の軍人恩赦へ、バイデン米大統領が発表
ロイター / 2024年6月26日 19時38分
-
【イタすぎるセレブ達】メリル・ストリープの三女、母の誕生日にカミングアウト 同性恋人との2ショット披露
TechinsightJapan / 2024年6月26日 14時57分
ランキング
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)