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右派と左派の融和に向けた2つの提案 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2016年2月12日 19時0分

 こうした憲法観に対しては、「立憲主義を理解していない」ということで強い非難がされるのが通常です。それで済めばいいのですが、問題は、一旦「憲法による権力の制限への違和感」を持ってしまうと、「お前は立憲主義を理解していない」という批判が受け入れられないばかりか、「立憲主義」の立場から批判をする人が「まるで民意を受けた政府よりも高い権威を振りかざしている」ように見えてしまうということです。

 そうなると、「アンチ立憲主義」の側では「立憲主義の名による暴力的な決め付けと見下し」を受けたことに対して「強い反骨精神」が走りだしてしまうことになります。これは、非常に不幸なことだと思います。

 人間には自分を含めた多数派が民意を託した政府を支持して、その政府への制限に否定的な感覚を持つということがあります。また、国家というコミュニティに帰属意識を持つ人の一部には、政府権力の制限という考えがやって来ると、まるで「自分の愛する国家が敵視されて」いるように誤解することもあります。

 そうした感覚に対して、頭ごなしに「お前は立憲主義を理解していない」という罵声を浴びせて全人格を否定するようなアプローチが、かえって逆効果となっている、この点について30%ぐらい沈静化はできないものでしょうか? これが提案の第1です。

【参考記事】なぜ日本には「左派勢力の旗手」が出現しないのか?

 提案の第2は、反対にいわゆる「右派」の方々へ向けたものです。第二次大戦における日本軍の行動、あるいは朝鮮半島の保護国化から直轄領化、さらには「二十一箇条要求」以降の対中政策など戦前の歴史について、否定的な歴史観があります。この歴史観は、何よりも戦争により敗者となった戦後日本の中で、「二度と倫理的な負け組にはなりたくない」という強烈な自意識から来たものです。

 裏返してみれば、この「戦前の歴史に対する否定的な歴史観」というのは、自分の帰属する日本は、世界に冠たる倫理的優越を実現したいという、一種の強いナショナリズムから来ているとも言えます。そこにあるのは、強い愛国心であり、国を愛するがゆえに過去の失政を批判し、国際社会の中での過去の悪評を甘んじて受けることで、現在の日本についての「ある種の国威発揚」を狙っているとも言えます。

 ですが、いわゆる「右派」の側からは、こうした歴史観のことを「反日」であるとか、「自虐史観」などという言い方がされるわけです。日本のことを悪く言っているから反日であり、日本人でありながら日本のことを悪く言っているから自虐だというのですが、これも妙な話です。

 戦前に関する「否定」を言っている側は、日本が嫌いなのではなく、日本こそ世界に冠たる倫理的優越を実現したいというバリバリのナショナリズムから言っているのです。それにも関わらず、それを反日とか自虐という形容をするというのは、その形容をしている方が滑稽に見えてしまうように思います。これは80%ぐらい減らした方がお互いのためではないかと思います。結果的に、左右対立を深めてしまうばかりか、それぞれの「行き過ぎ」をお互いに自制することもできなくなってしまうからです。

 左派による「立憲主義を理解していないのは人間ではない」という決め付けと見下し、そして右派による「戦前の否定は反日であり自虐」という形容、この2つを止める、あるいは軽減してみてはどうでしょう? 少しは日本の不毛な左右対立が軽減されるのではないでしょうか?

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