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エジプト・イタリア人学生殺害事件を巡る深刻 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 / 2016年3月15日 11時30分

 教え子を無残に殺された教師、大学はどれだけ怒り、苦しんでいるだろう。ケンブリッジ大学は、1週間もたたずエジプト政府に抗議し真相究明を求める書簡を発出した。在英の学者たち4600人が、署名した。筆者の親しい友人たちの名前も、いくつも並んでいる。

 イタリア人学生が在籍したカイロ・アメリカン大学でも、追悼と抗議の集会が開催された。彼の指導教官だったエジプト人女性教授は、はっきりと「これは殺人だ」と非難した。だが会場には、大学の対応を生ぬるく思った参加者が掲げたのだろう、「イタリア人学生が殺されたのは氷山の一角だ、大学は守ってくれやしない」と書かれた垂れ幕が吊るされた。

 2013年の軍事クーデタ後、エジプトのシーシ政権は「アラブの春」以前の独裁と比べても、人権抑圧が激しいと伝えられている。外国人研究者だけではない。エジプト人ジャーナリストや活動家も次々に逮捕、投獄されて問題視されている。アメリカの中東研究者の間でも、「今後エジプトとの研究協力関係を見直さなければならないのでは」という声が上がり始めている。

 ここが、中東研究で常に悩ましいところだ。政府の非人道性、抑圧性を糾弾して面と向かって糾弾すれば、その国での調査許可は下りなくなる。それを避けて政府を刺激しないような研究しかしなければ、御用研究に成り下がる。しかし調査許可がおりなくても結構、という態度を貫けば、その国についての研究はおろそかにされ、情報も知識も蓄積されない。あげく、その国に対する外交政策で大きな間違いを犯すことになる。13年間接触をもたなかった結果、十分な知識もないまま戦争をしかけて、目論見違いの連続で失敗した、アメリカの対イラク政策がいい例だ。危険だから、許しがたい相手だから研究するな、では解決にならない。

 筆者もまた、イタリア人学生同様、かつてカイロ・アメリカン大学で客員研究員を務めていた。そのとき、大ベテランのアメリカ人教授、シンシア・ネルソン女史が話してくれたことが印象に残っている。その当時、90年代後半だったが、若手のエジプト人研究者が平気でイスラエルとの学術交流やアメリカの財団からの援助を受けることを公言していたことに、苦言を呈してのことだ。「私がカイロ・アメリカン大学に赴任して長い間、アラブ・ナショナリズムの激しい糾弾に会い続けてきたのよ。1960年代、ナセルは、アメリカン大学をアメリカの手先だ、イスラエルの協力者だと、疑いの目で見ていた。だからこそ、そうじゃないことを繰り返し繰り返し、強調しなければならなかったの。そんな苦労を知っている私からみれば、簡単にイスラエルだの米財団だの口にするのは、アメリカン大学や欧米の研究者の置かれた危うい立場が、わかっていない」。

「大学は守ってくれない」と嘆く学生を、どう守っていけるか。今も海外で活躍する元教え子の顔をひとりひとり思い浮かべながら、どうか無事で、でもひるまず頑張れ、と思う卒業シーズンである。

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