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【写真特集】震災と「核」をダゲレオタイプで撮り続けて

ニューズウィーク日本版 / 2016年3月15日 17時35分

 だから新井は、ダゲレオタイプで撮り続けている。そうすることで、例えば福島の現状を直接知らない人たちに対して、その「モニュメント」に触れることで新たな感情や想起を触発することができると考えている。「忘れてはいけない、忘れたくない、と思っても結局私たちは忘れてしまう」からこそ、モニュメントが必要なのだ。

2012年2月19日、飯館村から避難してきた母と娘、福島市 『ヒア・アンド・ゼア―明日の島』 2012 25.2x19.3cm 所蔵:東京都写真美術館


2013年3月12日、常円寺住職・阿部光裕と私有地に集められた汚染土、福島県山口 『ヒア・アンド・ゼア―明日の島』 2013 25.2x19.3cm


 震災後、新井は福島の飯舘村や南相馬市、川内村などに入り、時には非常サイレンや線量計のアラームに恐怖しながら、撮影していく。

【参考記事】<震災から5年・被災者は今(2)> 原発作業で浴びた放射線への不安

 それだけでなく、長崎や広島、さらには人類が史上初めて核実験を成功させた地、米ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」へと足を運ぶのだ。その理由として新井は、「現在の福島の状況がなぜもたらされたのか、そもそも日本に54基もの原発があったのはなぜなのかを知りたかったから」と話す。

トリニティ・サイトのためのマケット No.2、2013年4月6日、ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場 『百の太陽に灼かれて』 2013 20x53cm


 遡ること2008年か2009年に、新井は旅したサンフランシスコで『100 SUNS』という写真集を購入している。マイケル・ライトという従軍写真家の手による、アメリカの核実験のキノコ雲だけを集めた写真集だった。「その写真を見て、あまりにも圧倒的な規模、そして時には『美しい』とすら思える『造形』と、それがもたらす災厄との筆舌に尽くしがたいギャップに深い衝撃を受けた」と、新井は言う。

 それが核に関心を持つ最初のきっかけだった。震災後、福島を訪れ、強烈な憤りを覚えた新井は、モニュメントという概念について考え始め、ダゲレオタイプによる撮影を続けていったのだ。

 さて、震災前に〈死の灰〉のサンプルを借りていた第五福竜丸展示館である。新井は2013年の夏に展示館に通い詰め、展示されている船体を300枚もの銀板写真で分割撮影し、ひとつの大型作品をつくるというプロジェクトに取り組んだ(記事冒頭の写真は、300枚の銀板写真による作品の前に制作した習作)。

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