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衆参ダブル選挙を憲法改正に絡めるのは強引すぎる - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2016年3月25日 18時0分

 具体的には、まず、この4つの争点のうち、そもそもの「解散の大義」となるべき(a)の「税率アップの先送り」に関して、与党は「先送り」を提案するわけですが、野党も「先送り」に関しては異議がないであろうことです。これは、2014年12月の総選挙でもそうだったのですが、与野党で選択が違うのであれば民意を問うことになりますが、野党が与党の提案に乗ってしまっているのであれば、民意として選択はできないわけです。

 選択肢がないにもかかわらず「増税の先送り」に関する民意を問うことが、選挙の「大義」になるのでしょうか? 有権者の側からしたら、与野党にバカにされたような感覚が否定できません。2014年12月の総選挙のムードが「白けていた」ことを考えると、その再現をするのは適切ではないと思います。

 さらに問題なのは(c)です。増税先送りに関しては選択ができない、成長戦略に関しては、与野党どちらも決定打に欠けるとなると、結局は「政権担当能力」ということが決め手になります。そうなると、今でもそうですが、特に2014年12月の時点では、民主党は世論の中で決定的な悪印象があったので、ほぼ自動的に自民党が勝利しました。今回も、現時点では、同じ展開が予想されます。

【参考記事】「予備選」が導入できない日本政治の残念な現状

 ところが、2014年の選挙の場合は、安保法制の賛否も同時に争点になっていました。ですが、有権者の多くには「政権担当能力」という点から、やや消極的ながら自民党政権を信任したが、安保法制に関してはさらに消極的だったという中での投票行動だった可能性があります。安保法制は、その後に反対運動が盛んになったわけですが、その際に「選挙の洗礼を受けている」という政権側の思い込みと、そんなつもりで投票したわけではないという世論の間のズレが賛否両論の騒動を大きくしたのではないでしょうか。

 仮に今回ダブル選になったとして、同じような構図、つまり「野党の低迷を前提」にして、「政権担当能力の比較」との「強制的なセットメニュー」として、改憲論議を絡めるというのは、強引すぎると思います。

 解散の大義名分となる「増税先送り」に関しては与野党が合意してしまって選択のしようがない、その一方で「政権担当能力」という点からはほとんど与党以外に選択肢がない、けれども、そこに改憲論議が「強制的なセットメニュー」としてついてくる、仮にそのようなダブル選となるとすれば、それは極めて異常です。

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